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(4)



 広がる光景に、できることなら、逃げ出したい。

 そう思ったのは誰でもない、アーデルハイドだった。

 彼女にしては珍しい、弱気の理由が、目の前にある。


 それは、真っ赤な彼岸の花だ。


 辺り一面に現れたそれを前にシレーヌは過去を思い出し、身を震わせた。

 アーデルハイドもまた、自らの術とは違う形の花に、確かな畏怖を覚える。


 それは異様である。

 ふたりの妖精の、呼び掛けるような「みんな、いいよ」に応え、まず聞こえたのは笑い声。いくつもの笑いが木霊して、さながら、舞台へと向けられた満場の拍手であるように。しかし観覧席は天高く、見上げるそこから降り注ぐような無数の声が、生まれた。


 そして、華が咲く。


 滝へと続く河川の畔。奇しくもそれは、死後の世界へ続く川辺のように、咲き乱れる華々もやはり、彼岸のような紅であった。幾つも、地面から這い生まれるそれは、

 しかしよく見れば、


「あ、アル……これは――ッ」


 手。

 ヒトの手だ。

 地面から、突き破るようにして天に掲げられる、五指。細く枯れた、枝のよう。すべからくそれらは朱に染まり、ただ異様に咲き誇る、彼岸の花。笑い声は止むことなく、降りしきる雨のように続くなか、正面に連続して。慄き、一歩を下がれば、その退路を塞ぐように背中の方へ。やがて、彼らを囲うようにして一帯に、真っ赤な手の花が咲いた。

 そして、見えた。


 妖精達だ。


 それも、ひとつふたつではない。咲いた花を足場にその数だけ。いや、それ以上の、何百何千という妖精だ。それらが紅蓮のなかに、姿を現した。ティーチやハイジのように、羽のあるものは宙を舞い。ノームにちかく、小人のようなそれは花に座って。

 小麦が風に揺れる、畑のように。

 彼岸が川辺を埋めて、波のよう。

 足元を見れば、押し寄せ、まとわりついて。目が合えばにっこり、見上げ、不気味なほど無邪気に笑う妖精に、背筋に冷たいものを感じ「きゃぁ」と、顔を引きつらせながらアーデルハイドが、


「あ、アル。こんなに、いる、モノなのか?」


 予想外の事態に驚いている。

 というのとは、様子が違って、


「どうしたアイリス。珍しい、声なんて震わせて」

「い、いや。その、なんだ。まさか、こういう事態になると思わなかったから。その、なんて言うか、特別話す事でもないと思って、黙っていた。そもそも機会がなかったんだけど。そのな? 昔、まだ私が、竜殺しと言われる前の事「簡潔に言うと?」お化け怖い」


 腕にしがみついてくる。

 ちょっと驚かされるが、そうか。普段、凛として向こう見ず、怖いもの知らずの無邪気な様。実力に裏付けされた、自信に溢れる強気な姿勢。そういう一面しか見たことがなかったが、こういう年相応な部分もあったのか。そうだよな、こいつ、女の子だもんな。か弱いはずの女子だった。怖いのダメか。なんて。


 普段が普段だけに、こう、素の女の子らしさを見ると、

 可愛いなぁ、こいつも。と思う。

 しかし、


「すまない、アイリス。こういう時、肩を抱いて慰めてやれるのが男らしさなんだろうけど、お願いだ、もうちょっとだけ、気張ってはくれないか?」


 正直、惚気け入れられるような状況ではない。

 なにせこの彼岸は、つまり、八年前にシレーヌを襲ったそれと、同じ。彼女の現状を見れば、その時の惨状を思えば、決して生半可な気持ちで対することはできない。下手をすれば、こちらも同じ轍を踏まされる。それだけは、避けなければならない。

 こちらは既に、彼岸の手の中。

 睨み合いと言えば聞こえはいいが、手の内に転がされているという方がしっくり来るような状況だ。向こうはいつでも、文字通りこちらを握り潰せる。それをしないのは優位者の余裕からか。それとも、別の企みでもあるのか。


 ともあれ、どうにか時間を稼がねば。

 その為に、


「なあ、ティーチ」


 率先して、アルザークが言葉を。

 妖精の名を呼ぶ。

 現象でしかない妖精に、個別の名前を付ける。それは他でもないノームの行いだというが、そこに、思うことはあるも呑み込んで、


「ん、なにかな?」

「こういう状況で言うのも、白々しくあるが、ひとつ、お喋りといかないか?」


 無論、彼女達にそれを呑む理由はない。

 呑むといえば話ではなく、文字通りにアルザーク達そのものを一呑みにしていいのだから。妖精が、どのように攻撃の手段を持つのかは解らないが、解らないからこそ未知が上塗りされて、脅威であることに違いはないのだから。


 逆に言えば、だからこそ、こちらには言葉しかない。

 下手に動けない、動くことが正解と言えない現状。

 こちらは賽を投げてしまっている以上、尽くすべきは手ではなく、言葉だ。


 ならば、お喋りはこちらの土俵。しかし、そこに妖精があがってくるのか。

 繰り返し、彼女達がそれを呑む理由は、ない。

 にもあらず、


「うん、いいよ」「ガールズトークは楽しいもんね」


 乗ってきた。




 よし。まずは、心の中で拳を握って。

 さて、


「で、お話するのはいいんだけどぉ」「グリーンだけど」「あーちゃん、何か悪いこと、企んでるよね?」「むっつりだもんね」妖精が、にっこりと。


 やれやれ、


「ま、それは、バレてるよな」

「アル、むっつりなのか」

「そっちじゃなくて」


 ここは、下手に隠さない方が、賢明だろう。


「そうだよ。企みがある。だから、時間稼ぎの為に、お喋りがしたいだけだ」無論「それが嫌なら、いいよ、好きにしろ。こっちは今、選択の余地がないんだ」纏わり付く紅「この妖精達に、八年前と同じように、オレを襲わせたって、文句はない」


 精一杯の虚勢だ。

 ここで頷かれでもすれば、

 わかったよ、と、襲われでもしたら。ぞっとする。

 ただ、そういう瀬戸際だが、こちらには他に手がないのだから。

 後は文字通り、あちらの匙加減一つ、気分次第。思うがまま、だけど、


「うんうん、素直でよろしい」「よしよししてあげる」「だ・か・ら」「気に入った、話をする権利をやろう」「というわけだから、いいよ」「その企みに、乗ったげる」「お姉さんが優しく、乗ってあ・げ・る」「あはっ」


 悪戯なものだ。余裕を見せてくれる。けど――その余裕もいまのうちだ。跨り乗ったが最後、あとはオレのグローリアで、そのちいさな身体をひぃひぃ言わせてや」ゴツンッ「ーッ。な、何をするんだ、アルっ」

「なにを自然装って地の文に改変挟んでるんだ、お前はっ」


 おっほん。

 気を取り直して、


「えっと、そうだな「アル、顔が赤いぞ」うっさい黙れ。とにかく、だったらそうだな。なら、えっと。その。ガールズトークらしく、そう、恋バナでも、してみるとするか」




「え。えっちな話?」「いやん」


 なんでそうなる。


「普通に健全な話を想像できないのか」

「できん」

「お前はそうかもしれないけど」大丈夫かな、お姫様。

「しかしアル、恋の話と言うのであれば、どうだろう」「なにが」「例えば、自分の彼女が傍に、裸エプロンならぬ裸ローブで居るとしたら、それはどれだけの興奮値になるだろうか?」興奮値とは。

「それが扇情的な光景なんだろうなとは理解できるけど」「「「え」」」他四人(?)に引かれた。

「それが、お前の趣味なんだろうなとは理解できたけど、アイリス。ひとつだけ言わせてもらえれば、その、両手を頭の後ろにやるポーズは、やめておけ。うん。お前の胸じゃ……悲しくなる」

「あーッ! アルがいま、ぺったん胸馬鹿にしたッ! お前、貧乳の良さを全っ然わかってないな、そうだなッ? お前今夜うちに来い、教えてやるからッ」

「怖いから。嫌だから。というかお前、軍事行動中だろう、わきまえろよ」

「なんだ、知らないのか、アル。いつの世も、前線で働く兵士というのは、とかく、溜まりやすいものなんだぞ? 何のために男同士で求め合っていると思っているんだ」

「歴史に誤解を生む発言はやめろ」

「だいたい、私はまだ発展途上だし、将来があるからいいんだよ。そもそも、お前だってぺったん勢だろう」

「あのな、何度も言うけど、オレは男だ。胸があるわけないだろう。まあ、詳しく話せば複雑な上に、お前の年齢だと語れない話になるから、ダメ。深く追求してくれるなよな」


 とりあえず、


「話を戻すと」


 まとめると、


「最初に、少し触れたな。それは、お前達妖精の成り立ち、ルーツにまつわる話。つまるところ、お前達の自我や意志のようなものを形成しているのは、過去、八年前に起きた戦争による被害者であり、その、魂が生み出した魔力が原因だ、と。だから、戦争を恐れ、兵士に恐怖を抱き、そこに、強い生存欲を持つことを、説明したな」しかし「まだ、そのことだけじゃ、お前達の恋慕に説明がつかない」

「あの、アル様。しかしそれは、説明が必要なのですか?」

「ふむ。私もそうだが、恋心なんてものは突発だからな。恋は理屈じゃないとも言うぞ」

「二人の言いたいことはわかる。でも、必要なんだ。なぜって、忘れるなよ。妖精はヒトとは違うんだ。それはあくまで、現象でしかないんだから。なら、ヒトとヒトの間に起こる恋愛とは違う。彼女達の『生きたい』という気持ちに理屈があるように、彼女達のいう恋心にも、何かしらの成り立ちがあるはずだ」


 いや、周りくどい。

 地雷を踏み抜く可能性もあるが、もっとストレートに行こうとして、


「そもそも、だ。

 お前達、本当に恋愛感情なんて、持っているのか?」




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