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(2)



 ノームは何も反応しない。

 彼を挟むように宙を舞う妖精ふたりが、どうしていいかわからないという顔で、彼の方へと向く。そんなふたりに「大丈夫だよ」とでも言いたげな、いや、立派な眉毛とお髭で表情こそ伺えないが、そういう気遣いらしい頷きを見せただけで、無反応。

 沈黙はつまり「続けて」と、催促するようで。


 息を吸って、軽く呼吸を整え。

 視線を睨ませ。

 アルザークはこう、続けた。


「怖かったんだ、つまりな」


 彼は告げる。

 目の前。土の精霊ノームと、ふたりの妖精を見据えて。


「シレーヌが嘘をついた、一番の理由は、それだ」


 怖かった。


「八年前、この森に来て。シレーヌはお前達に逢ったはずだ。そして、こう言ったんじゃないか? 『帰りましょうノーム』『妖精なんて幻です、そんなものに捉われて、どうするのですか?』『ただの現象に、恋だなんて』なら、そこまで頑なであるのなら『ノーム、私は、貴方を連れ帰らなければなりません』だから『貴方がそれを理由に拒むと言うのであれば、仕方ありませんわね――この森の魔力を、流してしまいましょう』と。

 大人が絵本を取り上げるくらいの感覚だったんだろう。夢中になって動かないのなら、押し入れにしまってお片付け。実際、そのくらいの感情で処理したって、普通だってのが、妖精だ。けれど、

 それを許せないやつが、いた」


 死ぬことを、消えることを拒む、ふたりの妖精。

 否。

 彼女たちに恋をした、ひとりの精霊か?

 否。違う。


「お前達じゃ、ない。オレは過去を見てきたわけじゃない。あくまで推測、だから、間違った事を言っているかもしれない。これは、希望的観測でもある。けど、違ったはずだ。子供のお前が、お前達が抵抗したところで、どうしてシレーヌがこれだけの怪我をする。さっき見たな。仮にもこいつは、あの、アイリス。姫騎士、アーデルハイド・フォン・シュタウフェンベルクと渡り合ったんだぞ。

 確かに、アイリスは何も、こいつを殺しに掛かったわけじゃない。全力には違いなくとも、それでも本領とは違った。さらに、あの場所はシレーヌにすべてが有利だったというのもある。けれど、そういう条件を差し引いても、こいつの実力だって本物だ。人族最強と渡り合った、たしかな実力者だ。それだけの手合いを前に、お前達がこいつに怪我を負わせたとは、考えられないんだ」ならば「答えはもう、一つしかない」


 怒ったのは、

 許せなかったのは、

 ひとつの絵本では、なかった。

 絵本はひとつでは、なかったとしたら。

 彼らは、魔力さえあれば何処にでも、無数に現れる事のできる、


 現象なのだ。


 そう。


「八年前にシレーヌは。お前達とは別の、この、紅い森の妖精達に、襲われたんだ」




 八年前、魔力を流そうとしたシレーヌ。絵本を片付けて、彼女はノームを連れ帰ろうとした。遊びの時間はおしまい。もう、晩御飯ができています。帰りましょう。そのくらいの、気楽さがあったのだろう。無事ノームを見つけた事に、安堵していたのだろう。

 けれど、


「お前達ふたりと、同じだよ。妖精は魔力があれば、何処にだって現れる事がある。生じる事が、できる。そして、彼らもやはり、もとにした魔力が同じだからこそ、思ったはずだ。シレーヌの決断を聞いて、しかし、消えたくない、と。消されたくない。まだ、生きていたい。そう、願ったはずだ」


 だからシレーヌは襲われた。

 片付けられそうになった絵本は突如、口を開いて噛み付いて来た。押し入れの暗さを知っている。死を、生々しい闇の感触を知っている彼らだからこそ、強く抵抗したはずだ。

 幻はまさに悪夢。流石のシレーヌも敵うことなく、その魔手にやられたのだ。


 今でこそ半身を失っている。回復の跡は見えるも、まともな足には遠く及ばない。そんな状態のシレーヌだ。察するにもっと、八年前は悲惨だったのかもしれない。もしかすれば、その時シレーヌは命を落としていても不思議じゃなかったのかも。


 けれど、

 それを助けたのがむしろ、ノーム達だ。

 その名残であり表しが、あの神殿で。彼女を生かすための、この土地である。

 ノームは彼女を、妖精達に襲わせないため、匿った。

 それが八年前に起きた、一連の、真実の、流れだろう。


「けれど、シレーヌは嘘をついた。理由としては、何度も言うけど、怖かったんだ。何故って、あの場には、ティーチとハイジがいた。妖精が、いたんだ。もちろん、ふたりは彼女に何もしちゃいない。何も、手出しはしなかったと思う。それでも、ふたりは妖精だ。彼女を襲った悪夢と同じモノ。それは、怖いだろう」


 いいお化け、優しいお化けと言われても、

 人にとってお化けが怖いものであるのと、変わらない。


「それにノームだって、助けてはくれても、基本的には妖精側だ。ふたりにしても、消されるのを嫌っている。それでもシレーヌは、今の状況をどうにかしないといけないし、ノームを、ちゃんと霊界へと連れて帰らないといけない。なら、どんなに子供が、絵本そのものが嫌がっても、片付けはしなければならない。でも、それを言ってしまえば、ノームが助けてくれるからこそ、あそこに居られたのに。それすら敵に回して、どうなるかなんて、説明、要らないだろう。オレだって、直接事情を話さても、何ができたのやら。

 だから、嘘をついた。

 それはきっと、彼女にとって最後の賭けであり、希望だったはずだ。偶然にしろ、目的は違ったにしろ、訪れたオレたちを前に。戦争屋の兵士じゃない、ちゃんと、精霊の事情を知れる相手を前に、彼女は、嘘をついた。つくことで、望んだ」


 助けて、と。


「たったひとつ、その綻びが、自分を助けてくれる最初で最後の、希望だと信じて」


 嘘をついて、しかし隠された真実の奥で、

 彼女は確かに、助けを求めたのだ。




 話に、シレーヌは感情がこみ上げるのを感じた。

 感激だ。

 それと同時に溢れる、己の不甲斐なさ。情けなさ。すべては劣等感。

 彼への渦巻く感情が、感動が、ただ、ただ、唇を突いて。


「ま、その。すまなかった」


 何かを言う前に、彼から言葉が来た。

 ごめんなさい。と、

 それは、こちらこそ言うべき、台詞であるはずなのに。


「こっちも、妖精に邪魔をされたくなかった。邪魔をされずに、お前にはあの神殿から、出てきてもらう必要があった。だから、結果として、お前には嘘で返すことになって」軽く、姫を気にかけ「こいつにも、無茶をやらせた」


 もう一度、すまない。と。

 背中越しの言葉に、丸くなった彼の背に、シレーヌは何度も首を横に振った。

 言いたいことは山ほどある。どれだけ多くの言葉でも語り足りない。この八年は、まさに筆舌に尽くしがたいものだった。なのに、どんな言葉も、シレーヌは零すことができなかった。俯いて。泣いているのだろうか。それすらもわからない。

 ただ、


「安心しろ」


 わかる事が、ある。


「シレーヌ。お前がやろうとした事を、オレは良しとしない。例えそれ以外に手段がなかったとしても、お前の行いは精霊にとってタブーだ。もし、二年後、事がうまく運べて、霊穴を開けたとしても。精霊達はお前を、素直には迎え入れなかっただろう。最悪の場合、お前も、精霊としての器を、失ったかもしれないんだ」


 だから、


「オレはお前のやり方を受け継ぐわけじゃ、ない」


 だから、


「それでもオレは、オレ達は。お前の呼びかけに応えようと思う。

 聞け、水の精霊シレーヌよ。お前に、同胞たる水の者に、氷の者として、氷の精霊セルシウス兼任、アルザーク・A・レヴァンティスが、力を貸そう」


 このとき彼女は、目一杯に。笑顔を見せたのだ。


「言っておくが、今回限りの、特別だからなっ」




 なんとなく、くすぐったい感じがした。

 それは不意に、声が笑うからだ。


「あのあの、どうしたんですか? 突然」

『んふふ、あぁ、いえ、ごめんなさいね。ただ、ちょっとね。なんて言うのかしら、そう。可愛いものよね。子供の成長を見守る親っていうのは、こういうものなのかもしれない。ってね』


 わかるような、わからないような「はぁ」生返事を一つ。




 アルザークは宣言した。

 水の精霊を助け、この森の魔力を流してしまう、と。

 それはつまり、


「ごめん。ごめんなさい、ちょっと待ってあーちゃん」「水挿してごめんね」「うん、盛り上がってくれちゃってるところ悪いんだけど」「すこし落ち着こう」「冷静に」「ね?」


 こちら。ティーチもすこし、気を落ち着ける。

 ハイジとふたり。大きく息を吸って、吐いて。

 深呼吸って、彼女たちには意味がないのだけど。


「うん。その、あのね。わかった。あーちゃんって案外、熱血さんなんだなってことは、うん。わかったよ」「ひゃぁ、夏だもんねぇ」「でもさ、もうちょっと落ち着いてくれないかな」「沸騰しちゃやーだよ?」うぉっほん「ねえ、あーちゃん」「わりと真剣だから、聞いて?」「あーちゃんはさ、わたし達の味方じゃ、なかったの?」「裏切り?」「大丈夫なように考えてくれてたんじゃ、なかったの?」「切り捨て御免」「それなのに、いきなり手の平返すなんて、ちょっと酷くないかな?」「わたし達とは遊びだったのね!」


 なんだろう。

 こう、胸の奥が。――ジン、と、痛む気がして。


「ねえ、わかってるよね」「気づいてるでしょ? わたしの気持ち」「わたし達だって、ほら。生きてるんだよ」「ここにいるよ」「感情だってある。気持ちだって本物」「ニセモノなんてない」「例えそれが異常な事だって」「生まれた事実は選べない」「生きていたい」「死にたくない」「消えたくない」「消されたくない」「そんなの当たり前」「みんな一緒」「なのに」「どうして」「助けてくれないの?」「わたし達じゃ、ダメ?」「ねえ」「「答えてよ」」


 ふたりの妖精は、強く、迫る。

 言葉は交互にワンツーパンチ。殴りつけるような怒涛さを持って、確かに、彼を威圧するかのような態度を持って、強く、強く、それがどういう感情か、ただ、生きようと必死になるからか、強い、言葉をぶつけていく。

 けれど無情だ。

 氷の精霊はまさに言葉の通り。

 冷酷なほど、あの時垣間見た、残忍な程にヒトの気を感じさせない冷たさで、


「悪い」


 あっさりと、

 さららにと。


「悪いとは思う。けど、わかっているだろう。もう、手は打ってあるし、その通り、オレ達は既に、この森の魔力を流そうと、そう動いている。その結果、確かに、お前達を消してしまう事に関しては、申し訳ないと言わざるを得ない。けどさ」さらり「お前達は所詮、幻だ」胸に、チクリ「いつか消える。聞いたことはないか? いや、知らないか。なら、意味はなくとも、価値として覚えるといい。理想郷にすら、死神は存在する。ネバーランドにだって、別れもあれば、終わりもある」


 なら、


「わたし達は、消えちゃえ、って?」

「それが本来の姿なのだとしたら」


 ごめん。

 そんな言葉が聞きたいのでは、なかった。




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