(1)
遠く。南西の方角にそれは見えた。
天を貫くように輝くのは、巨大な光の剣。その、柄にあたる部分だろうか。それが例の神殿の、緑の屋根からひょっこりと顔を覗かせ、間も無く、直下へ。遅れて、閃光の爆発が、その振動がこちらへも響いてくる。
魔力の揺らぎ。風のようなそれを受けて、
白の狼は呆れるように、呟いた。
「わ、わうぅ。あれって多分、アイリスさんの魔法、ですよね」
数週間前。出会った彼女の事を、ルインは思い出す。
アルザークのピンチに颯爽と駆けつけ、
光の大剣を振りかざすあの勇壮さを。
今あの場所では、その日と同じ現象が起きているのだろう事が、容易に目に浮かんだ。
「あ、相変わらず、常識外れといいますか。これだけ離れても、花火の音みたいにビリビリ伝わって来るんですから。なんて言うか、ぶっ飛び方がホント、ファンタジー過ぎて、馬鹿げてると言いますか。最早ギャグなのでは?」以外に辛辣。
『ふふっ、そうね。彼女に関しては、私も流石、としか言えないわ。まだ若いのに、身体の芯へと響かせてくる、この感じ。ん、ぁ。とんでもない魔力だもの』
「……。貴女よりも、です?」
『あらあら。女同士の乳比べなんて、するだけ野暮よ、ルインちゃん』
「はぁ」そういうモノなのかなぁ、って。
まあともかく、
「こちらも、急がないと。ですね」
白の狼は再び、
紅い森を走り出す。
それぞれは結界となる森のドームから、外へと飛び出した。
アルザークは走り、川に沿って森を抜けた先。リフレクションによって飛び出していった、アーデルハイドとシレーヌの姿を追った。やがて、ちょうど滝となる部分の、ヘリの近く、そこに。倒れ伏す精霊と、剣を杖に膝を突いた、姫のすがたを見つける。
慌てる様子で、
「アイリスッ!」
名を呼び、側へ。
「大丈夫か、アイリスっ」
呼び声に反応してか、彼女がこちらを見て、微笑む。が、
立とうとしたそばから、まるで崩れるように再び彼女は膝を折った。限界なのだろう。
倒れそうになる少女の身体を、そっと、支えてアルザークは抱きとめた。
手から剣を零し、彼女は、
「すまない、アル。ごめん。なんていうか、その、手間取った」
「いや、十分だ。ありがとう、アイリス」
言って、下着姿のままの彼女に。
それ以上の言葉はなく、黙ってローブを脱いで、掛けてやる。
彼女もただ、目を細めて笑った。
その傍らだ。
シレーヌが意識を取り戻すような、覚醒するように息を吐き、重く、自由の利かなくなった身体を片手で支えて起こす。ただ、立つ足のない彼女は、静かに、
「はぁ、ハァ……。どうやら、私の、負けのようですね」
なかば解っていた、というような、未練のない一言だ。
「残念です、これでも、精一杯だったのですよ。八年。この森を霊穴として、帰り道をつくるのに。それは、簡単なことではなかったのですから。この足が動いてくれれば――いえ、動くことができないからこそ、そうですね。あの日、私は、歩むべき道を、踏み違えたのかも知れません。ふふ、足がなければ踏めもしないだろう、と言われるなら、浮足立ったと、笑いますかね?」
「笑えないよ、くだらない」
言って捨て。
しかしそれすらシレーヌは笑い、
「アルザーク」
こちらへと向く。
その頭を、まるで差し出すように垂れて、
「貴方方の、勝ちですわ」
そして彼女は黙った。
つまりは、罰を受け入れるという事だろう。
森を消そうとし、そして、本来であれば精霊にとって、忌むべきである霊穴の開放を行おうとした。理由はどうあれ、唯一の手段であれ、そのことに、後ろめたい気持ちがなかったわけではないのだろう。
だからこそ、贖罪しようというのだ。
しかし、
「いや」
アルザークは言う。
背後に。遅れて、ちょうど、ノームとふたりの妖精が追い付いたのを確認し、
続ける。
「まだ、話は終わっていない」
「頭を上げろ、シレーヌ。まだ、話はここからだ」
「? どういう、意味です」
彼は、姫を抱く腕に、すこし力を込め、
「そのままだ。それは、お前が一番理解しているはずだ。
驚くなよシレーヌ。気づかなかったはず、ないだろう。お前はオレ達に嘘をついた。戦争に巻き込まれたなんて、ありもしない事実をねつ造したんだ。けど」表しがあるなら「何故、どんな意味があって、お前はその嘘をついた。つくだけの、理由ができたのか」
それが重要だ。
「確かに嘘をつかれたのは心外だ。けれど」助けてください「わかってるよ。お前の話に嘘が含まれるなら、けれど、そうすると自然と、ちぐはぐになった部分が他にも出てきたな。その辻褄を合わせたことで、必然的にできたズレ。一つ、重大な真実がほったらかしになってしまっている」
あらためて、
「今この場で、敢えて。聞こう。
シレーヌ。お前のその足は、いったい、どうやって傷ついたんだ?」
いや、
「お前は誰に、襲われたんだ」
「お前に言ったな、戦争に巻き込まれたのは嘘だ、と。そして肯定も返った。その結果過去の情景が明らかになったし、お前の目的にも近づけた。けどな、だったら変だろう。
戦争が嘘であるなら、お前が怪我をしている事実はなんだ、ということだ」
アルザークは目を伏せる。
その姿は思考に耽るようでも、
ただ、滝の音に耳を傾けるようでも、あって。
「考えたさ。嘘が嘘である可能性をも疑った。けど、もっと単純な答えが、あった。
まず、そもそもの話、オレがお前を疑ったのは戦争に関する嘘からじゃあない。オレにはまだオフィールへの疑念もあったし、戦争が続いた事になんら違和を感じなかったんだ。だけど、確かな取っ掛りはあった。
それが、お前の言った、紅化現象、その原因だよ。
お前は言ったな。あれを、自分のせいだ、と。怪我をした足の治療、その為に使った魔力の影響を受けた水が流れ、森全体へ伝播し、結果、森は紅く変わってしまった、と。だけど、違うだろう。普通に考えれば、それは違うんだ。ありえない」
何故ならば、
「流れる水は、青いままだ」
傍を、清流が落ちていく。
「この水の、どこにそんな、森全体を紅く染めるだけの要素がある? オレは道中、木の枝葉を摘んだ。けれどな、その折った口に、幹を通る水道に、紅化の原因と考えられるような物は、なかったんだ」つまり「お前はまず、そこに嘘を通した。
だけど、この嘘というのが扱いに困るもので、実のところ、これが嘘である必要性が薄い、というものだ。だってそうだろう? お前が原因じゃなかったとして、なら、やっぱり紅化の原因が別にある、ってだけ。そうだな、最初に感じた通り、やっぱりこれは、ノームが主体の原因で。ならお前は、子供の悪戯を庇う親のように。これは、そういう微笑ましいだけの嘘になる。状況の解決には、直接、結ばれない。
でも、取っ掛りだ。そう、足掛かりだったんだ。直接解決には向かわない。言わば回り道でしかない嘘の通り。だが、この嘘が持つ意味は、確かにあった。意図が、見えたんだ。
お前は暗にこう主張したかったんじゃないか『私は、嘘を言っていますよ』と。わかりやすい嘘を通すことで、きっと、そのすべてを鵜呑みにしただろうオレの思考に、疑念をねじ込んだ。疑うだけの余地を、通った道を振り返るだけの理由を、与えたかったんだ。
その嘘を思い出して、だからだよ、じゃあやっぱり、戦争の話。癪だが、オフィールは何一つ誇張なく、ちゃんと、正しい結果を世に伝えていて。お前は、オレ達に敢えてバレやすいように、嘘を言ったのじゃないか、って」ならば「それはきっと、鍵だと、思った」
そして確かに、
それは嘘だった。
「八年前、シレーヌ。お前は戦争に巻き込まれなかった。
しかし怪我をしている。見ての通り、動くこともままならない、そういう怪我だ。当然森に訪れる前に受けたものであるはずがない。なら、お前の怪我はこの土地に訪れた後に受けたモノだ。しかしその当時にはもう、戦争は終わって。冬を迎えたこの場所は、虫も獣も、人などいるはずがなくて」ならば「居たのは誰だ。お前が出会ったのは、誰だった」
そっと、腕の中で目を覚ました姫を、優しくその場に座らせ。
立ち上がり、振り返る。
正面。
「土の精霊ノーム。シレーヌは、お前達と出会ったんじゃ、なかったか?」




