(4)
幾度目かの水圧が、身体を殴りつける。もう、吐く息さえなくなった。身体中の酸素が欠乏し、代わりに我が身を満たしてくれるのは、痛みと、水だ。アーデルハイドは、朦朧としはじめた意識を、ギリギリのところで保ち、敵を見る。
シレーヌの攻撃の手が、止まっていた。
それはつまり、最期の合図。
申し訳ないな、と思う。油断をしたつもりはなかったのだ。あの一撃だって、決まると思ったから放ったのだし、相手の事は「向こうも歴戦の精霊だ。手を抜く必要はない」と聞かされていたから、もちろん、全力を注いだ。
でも、届かなかった。
繰り返し、やってしまったな、という、どこか他人事の思いが、頭を過ぎる。
ただ、
(すまない、アルザーク)
遠のく意識で、天を仰いだ。
湖上にて、彼の姿が見える。
すまない。
定かでない意識のなかで、アーデルハイドは思う。
何かを叫ぶ彼の姿。
ただ返す言葉は、
ゴメン。
そして、
水の精霊より、最期の一撃が放たれる。
迫る水圧。これまでの比ではない、くらえば終わる、鋭い気配。
全身で感じ、ただ、上を見たままアーデルハイドは、
それを――見た。
放った水流が、白を貫く。
彼女の纏う白銀の鎧を砕き、貫通した。確かな手ごたえは精霊に勝利の確信を与え、結果に、シレーヌは確かに笑った。が、
シレーヌは見る。
眼前、水が貫いた白。たしかに貫かれる、白。
しかしそれは、
『衣装、だけ――ッ』
抜け殻だ。
ならば、中身はどこへ?
水中であるならば、上か? 空気を得るため、ギリギリで、水上へと昇ったか。悪足掻きだと思い、唇を噛んで上を見上げた。そこに、
笑う、アルザークの姿が見える。
先ほどまでの焦燥感は消え、ただ、ぽつりと、彼の笑顔から、したり顔から、零す汗のような一滴が、水面を揺らす。
違う。
上ではない。
ならば、
『まさかっ――』
下。さらに潜った、湖底に。
エーデルワイスを構える、下着姿の花が在る。
アーデルハイドは、自分を叱咤した。
馬鹿なことを考えたと。
アーデルハイドは、自分を悔やんだ。
何を甘えていたのかと。
そして、
アーデルハイドは、彼に、感謝する。
(お前は私を、諦めなかったッ!)
エーデルワイス。
投げ込まれたこれが、その証。
寸で、見上げた先のアルザークが、湖上で動きを見せた。
言われてみれば、やってしまったという思いで失念していたが、好き勝手に飛ばしたままの愛剣だ。二振りのそれを、彼は湖面にて振りかぶる。何をするのかと思えば、全力でこちらに投げ入れてきたではないか。
驚いた。
なにより、
(私は、お前を――)ひとしずく(くだらない女に、なるところだったッ)
きっとそれでは、
彼に嫌われるだろう。
そんなの、
(死ぬより嫌に、決まってるッ)
だからアーデルハイドは、剣を取る。
投げ入れられ、湖面を破り、自重と共に沈み来る高速の剣。その柄を握ると同時、引っ張られるように、邪魔な服は脱ぎ捨てた。その時、胸とシリコスリルの隙間に残っていた、気泡が顔に。だから酸素も、ゲット。ならばここには、剣も、息も、意思も、私も、愛も、すべてが揃って。無いのはすなわち、
(負ける道理ッ)
ならば、
アーデルハイドは、一対の剣であるエーデルワイスを正面に掲げる。それはまるで意思をもつように、ひとりでに、その峰と峰を、刃を腹とするなら背中合わせになるように、目の前に浮かぶ。そして、輝いた。
白の輝きは、両の剣の間を埋めて。光でできた巨大な柄が、先ず伸びる。
掴む。
軽く一メートルを超える巨大な柄を、両手に持って、光り輝くエーデルワイスを、後ろに、腰元に構える。呼応して、今度は刃が生まれた。それは白く、美しく、十メートルは超えるかと言う長大な剣は、節々から、淡い光を花弁のように散らしていた。
出来上がった白き光の大剣を握り、
視線の上、シレーヌを睨む。
精霊は、確かな慄きに、一歩を下がる。
さぁ、
(さっきは避けられた)いや(曲げたのだよな。だが)
握る力を強く。
して、
(これなら――どうだッ)
姫騎士は、
白き刃を、振るう。
シレーヌはただ驚愕する。
武器を得たところで、まだ少し酸素を得られたところで、なかば終わりまで溺没し、意識を保つのがやっとのはずで、受けたダメージだって、水の中とはいえ、水の中だったからこそ、全身の骨が砕けてもおかしくない量を打った。なのに、
(どこに、それだけの力がっ)
いや、
上を意識し、
(なるほど。貴女は、好い友を、得たのですね……)
思う下。それが来た。
迫るのは白の刃。
ただし先ほどの『栄光の証‐グローリア‐』とは違い、これは避けきれない。あれにしたって、厳密には、避けたのではない。曲げたのだ。その通り、あれは光の刃が湖面を貫いてくれたからこそ、咄嗟にできた芸当だ。
しかし今度は、その内側からくる。
水中だから避けきれない。
なんという皮肉か。
だから、
『受け止めて、お願いッ』
懇願するように、精霊はヴェールの壁を張る。
一枚ではない、全力をもって、計七枚。
波が織りなす蒼の壁と、
光が生み出す白の剣が、
正面から、ぶつかり合った。
二度目の瀑布が、緑の中にある湖を覆った。
湖面に落ちていた剣を投げ入れ、諦めかけていた馬鹿が、文字通り息を吹き返したのを確認して、エーデルワイスの輝きを見て、アルザークは岸へとあがっていた。大樹の側にいるノーム達が気になるが、それどころではない。
次の瞬間、
湖の水すべてを爆発させるかの勢いで、それが、割れたのだ。
振り切られた白の刃が青を割砕し、
轟音を伴い炸裂する水の向こう、より天上に、
水の精霊、シレーヌが打ちあがる。
それを追うようにして、湖底から、
白の姫騎士が跳び上がった。
湖が割れる。精霊はこちらの一撃をヴェールで受け止めようとしたが、関係ない。遮る屈折はなにもなく、光の刃はまっすぐに、敵の青を打ちのめした。そして、割った。
ヴェールを五枚。ただし、残り二枚目にヒビが入るより先に、湖そのものが割れてしまった。いや、好都合だ。おかげでシレーヌの身体が、魚を宙に放るように無防備な形で、湖の天空へと舞った。
だからアーデルハイドは跳んだ。
背中合わせになったエーデルワイス。ただ、もとがそういう形であったのように、二又の刃、鍔が合わさり、柄は鞘をもって一つとする。それを両手に掲げ、打ちあがった精霊の頭上を取った。
リフレクション。
魔術陣の足場を横に、弾けるようにアーデルハイドは跳んだ。
精霊が展開したままのヴェールを、こちらに向ける。
意にも介さず、正面。
切っ先を相手に向けたまま、弾ける軌道は斜め上から叩きつけるような、まっすぐ全開で、突撃槍の一撃にも似た全力で、ぶつかった。
一瞬の硬直。
しかし、
「うぉぉぉぉおおおおおおああああああああああッ」
幾度目かの咆哮と共に、
足元に何度も陣を。
弾け、
重ね、
加速する勢いが、
精霊と姫の姿を緑の向こうへと飛ばしたのだ。




