(1)
その日、紅い森のなかを二人は歩いた。
日は登り、これからという一日を森の散策に使うはずだったというのに、どこか様子が違って。精霊たちの湖を飛び出して、アルザークとルイン、二人が歩く。歩きながら、すっかり解りきった様子で、確信をもって、アルザークが言った。
つまり、
「キノッピオさ」
「えっと。絵本に出てくる、嘘をつくと鼻が伸びちゃうお人形の男の子ですよね?」
「その通り。原作を元に様々な作家が、その後も彼に関する物語を綴っている。絵本以外にも、ちゃんと小説だってあるんだ、こんどお勉強に読んでみるといい。さて、そうした作品群の中に、ひとつ、お話があってな。まさにそれだよ」
つまり、
「あいつは、オレ達に嘘をついたのさ」
と。
紅い森の、はずれに在る。
そこは滝のある地形がそう見せるのか、それとも、まるで自然が織りなす神殿のような神秘性があるからか。透き通る陽ざしに照らされる緑の森に覆われた湖は、教会のように荘厳で。そこは、まどろみのような静寂の中にこそ在った。
その中央。
湖の真ん中にそびえる、大樹の側に、
水の精霊シレーヌは、目を伏すようにして座っていた。
そして、
(……来ましたか)
足音を聞いた。
音は、二つ。
彼女はそっと瞳を見開いて、前を見る。
そこに――
蒼の罪人アルザーク・A・レヴァンティス。
白の騎士アーデルハイド・フォン・シュタウフェンベルク。
二人は、湖の上へと立っていた。
目の前には、静かに座る精霊の姿がある。
それを見とめ、隣に立ってアーデルハイドが、
「アル、本当に、いいのだな?」
不安を滲ます問いかけに、アルザークは、ただひとつの頷きをもって返す。
そして、
「おかえりなさいませ、アル様。それと、御客人」
先んじて、精霊が柔和な笑みをもって迎えた。
「いかがでしたか? なにか、手立ては、見つかりましたか?」
障りのない会話。
振れば、アルザークが。
「ああ、もちろんだ」
力強く、躊躇いもなく返してくる。
後ろ、大樹の陰ではノームと共にティーチとハイジ、ふたりの妖精が不安げな視線を持ってこちらを覗いているが、静かに「そこに居なさい」とだけ。優しいままに告げ、
再び二人へと、向き直る。
「それはそれは、できれば、その方法。お聞かせ願えますか?」
声は震えていないだろうか。
精霊としての姿勢は崩れていないだろうか。
そんな事を意識しながら、努めて、冷静を保つ。
いや、茶番だ。
なぜなら、もう、シレーヌにも、
「聞いていただろう、お前も」
その通り。
悪いとは思いながらも、恥を、確かに感じながらも。昨日、湖を出て行ったあとの、アルザークとルイン。その足取りと、大地の水が伝える音を、シレーヌは聞いていた。だから、彼の話す内容も、これから起こるであろう事も、おおよその理解がある。
でも、
「お聞かせください」
その口から、直接。
だからアルザークも、
わかった、と。
話をしてくれた。
「最初に感じたのは、とっかかりのような疑問だった。一応、オレはお前達のことを、悪い存在だなんて思っちゃいない。この紅い森のことにしたって、結果が最悪を招いてしまうというだけで、そこに、悪意があったとは、言わない。でも、確かな事がある。
お前は、オレ達に、嘘をついた。そのことだ」
「お前の話を聞いて、最初はオレも納得した。八年前に起きた戦争、それが、こちら側の知る史実と違い、半年の長期戦になったということを。案外、オレ自身、オフィールに対して斜めに構える悪い癖があるからな。どうせ、また連中が誇張表現を使って、自分たちを良いように飾ることで民衆の戦意を高めたかったんだろうな、って。
いや、膨れるなよアイリス。だから、ごめんって、さっきも話しただろう?」
隣のそれを、困り顔でなだめながらも、
「だけどな、それは間違いだったんだ」
「八年前、私も、まだ初陣を済ませぬ頃だったからな。幼いこともあって記憶としては頼りがないかもしれない。が、スヴァルトアールを、また、人族軍オフィールのすべてを代表し、ここに明言しよう。八年前のこの、ユラ神族軍追撃戦において、双方、半年も争ったという事実は、存在しない!」
これもまた、当事者の言だ。
曰く、
「実際、この辺りだ。山頂から森を抜けるまで、行軍にも丸二日かかれば十分。まして、激戦の状態であれば、どう粘っても追われる側は三日で必死になるのだそうだ。起伏も少ない、カール状の、追われるには苦しい地形っていうのもある。こんなところで半年、普通に考えて戦線が維持できないし、もしやったとすれば、この辺り、その原型など留めはしない。という事だ」
すべて、アーデルハイドから聞いたこと。
間違いはあるまい。
「となれば、おかしいよな?」
あらためて、
「お前、言ったよな。オレがあちら側、霊界に行ったのと入れ替わりのタイミングでこちら側に来た、と。なら、それが間違いないとすれば、お前がこの森を訪れたのは八年前の冬になる。けれど、それでは夏に起きたこの戦争と、時期が一致しない。逆に、夏に来ていたとしたら、手前の証言が嘘となるな。
でも、後者の可能性はありえない。何故か解るか?」
それを証明するのが、
「ティーチとハイジ、ふたりの妖精だ。
お前も知っての通り、妖精というのは高密度の魔力が映す幻影だ。そこに在ってそこに居らず、光の屈折が見せる蜃気楼のような存在。気配も匂いもないし、ここまで明確に、ヒトが触れられる存在になるというのもごく稀だ。まして、そのふたりにはもう一つ、妖精にしてはありえない感情がある。
それが、恋慕であり、生存欲だ。
本来ならば、こんなもの妖精はもたない。必要ないんだ。生存もなにも、こいつらは生きてさえいないんだから。現象として生まれ、終われば消える。それだけの存在だ。けれど、ティーチとハイジ――いや、だけとは言わないが、すくなくとも、このふたりは別格だった。なぜか、解るか? これもやはり、八年前の戦争が原因だろう」
アルザークは昨日の事を思い出す。
あの日、軍隊と言う存在を知覚して、
それに対するふたりの反応を。
「あれだって普通じゃない。確かにこの森が戦争で失われれば、ふたりはその存在を保てなくなる。消えてしまう。自身の存在を脅かし、死に直結する戦争は、それは、怖い。怖いよ。ヒトだって同じだろう。平時に見る軍隊の行進なんて、異様の一言に尽きるさ。けれど、繰り返すけど、そのこと自体が異例中の異例。妖精が怯えるなんて普通じゃない。なら、なぜこんな事が起きたのか、考えて、そしたら、見えてきたんだ。
妖精っていうのは、文字通り、精霊と同じく『魂』を関する存在だ。オレ自身、ルインに話すときに、幽霊の喩えを肯定している。なら、そうだ。馬鹿らしいけど、その理屈が一番しっくりくる。それが要因なら、彼女達の感情に説明がついた。
つまり。
このふたりの妖精は、この森で非業の死を遂げた人々、戦士達、その魂。それが、彼女達の意思を生むルーツであり、だからこそ、彼女達はヒトに似た意思を持ったんだ」
そして、
「これがお前の嘘を、決定づけさせた。
八年前にお前は、ノームを――精霊の子供を追ってこの森に入った。だけどな、その、ノームだ。お前が言った通りだよ。当時、ノームはこの森を出ていくという選択肢もあったはずだ。けれど、逃げなかったのは、そう、ふたりの妖精が、いたからだよな。
だからさ、決まりなんだよ。お前がノームを追って森に入る。が、その時にはもう、ノームはふたりの妖精に逢っていなければ、おかしい。そして、妖精が存在するということは、すでに戦争は終わっているはずで。だったら、お前は嘘をついて、戦争に巻き込まれたと偽って、この森へ、この場所へ、留まっている」
そして、
「この森の魔力は、確かに、お前を理由に集まっているらしい」
それは、
「霊穴の開放を、事故ではなく故意に行う為、だろう?」
ならば、
「オレはお前を、消さなければならない」
言葉に、
結論に、
精霊は確かな疑惑を思った。
いや、彼の言は、ひとえに見事であるのだ。たった一つの綻びからでしかなかったけれど、しかし、それを元にここまで真実を浮き彫りにできるだなんて、思っていなかった。せいぜい、おかしさには気づいても、あやふやに、過去の情景を想像する程度が関の山だと、見下していたのかもしれない。だからこそ、一度この地を出るようほのめかした。
けれど、
「どういうことです?」
待ってほしい。
「何故、私を? そんな馬鹿な事、して、なんになると言うのですっ?」
そう、思いがけない発言だったのだ。
アルザークの結論が。
ここまで解って、ならば。何故。
私を消す?
どうしてそうなる。どうしてっ。
そんな彼の言葉に、シレーヌは確かな憤りを覚えた。
だから聞いた。
しかし、彼は言った。
やはり迷いの見られぬ姿勢で、
「当然だろう、シレーヌ。オレ達の目的は、オレのすべきはあくまで、あちらとこちらのバランス調整だ。お前には関係のないことだが、こっちにも事情があってな。その手前、お前のやっていることはどうだ? 魔力を集め、霊穴を開ける。それが、どれだけ精霊側にとって不都合があるか、もう、言うまでもないだろう」
詰問のような口調に、シレーヌは唇を噛む。
「どういうつもりで、お前が、一体なにを思ってそれをやろうとしているのか、大体察しはつくよ。察しはつく。けど、その上で、こっちにも譲れない事情っていうものがある。なら、お前の行いは、ハッキリ言おう、オレからすれば悪だ」繰り返す「悪でしかない」強く「だから、オレはそれを止める」
彼は言う。
いいか? と。
「オレは、お前を消すことを、躊躇わない」
聞けば、
シレーヌは強く、拳を握っていた。
アルザークはただ、水の精霊の様子を見つめた。
その隣で、
「来るぞ、アル」
アーデルハイドが身構える。
彼女が一歩を前に出ると、それに呼応するように。
正面、
水の精霊が、確かな敵意を、表したのだ。




