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(4)



 それを囲むように、兵士らの野次馬が居る。広く、柵の近くをなぞるようにしてできた輪は、その一角に壇と椅子を置き、見やすい位置に姫、アーデルハイド・フォン・シュタウフェンベルク。座る彼女の隣に、ヨハン・パリサナが立つ。

 試合を前に、ヨハンがまず、


「昨日は、何事もなく済んだようで」

「当たり前だ。女同士の事情に、お前ら期待しすぎだろう」

「そういう意味ではないのですけどな」


 周りの聞き耳立てる兵士らと一緒にされては困る。

 ちなみに、ステルス系術式を使ってまで覗き盗み聞きしに行った連中がいたとかいなかったとか。撃退されたとかされなかったとか。要らない情報ばかり、ヨハンの耳の中。


「それで、姫」

「ん?」

「本気なのですかな、この試合、罪人が勝てば――」

「もちろんだ。私はあいつを助けてくる。それが、姫騎士たる者の務めでもあり、そうすることで、国家としての奴への借りを、返せるのだからな。もちろん、公式の場ではないからこそ、その弁が相手にどこまで通用するのか、本来であればそれも加味すべきなのだろうが、相手はアルだ。むしろあいつは『気にするな』と言うが、その方が、お前達の気も、楽でいいだろう?」

「配慮していただけるのは、喜ばしいのですがなぁ」

「皆まで言うな。どのみち決まったことだ」


 そして、嫌なのであれば、ヴォルムスが勝てばいいだけの話だ。

 けれど、


「姫は、どう見ます?」

「結果か?」

「はい」

「つまらないぞ、聞いても」


 だと思う。けれど、建前だ。

 聞いておきたいと思うのだ。なにせ、


「私は、アルザークという者の実力を、噂でしかしりません故」


 街を消し去ったのは有名な話。その後も、ここ一年足らずで、多くのオフィールがやられていると聞く。噂にも公にもなっていない、ハンターらを加えれば、被害は、彼の経歴はまだまだ黒く塗りつぶせるはずだ。それだけの実力は、確かにあるのだろうと思う。

 けれど、

 所詮は尾ひれもあるのでは?

 人の噂だ。どこまで信じられたものか、解ったものではない。

 だが姫ならば、その実力を目の当たりにしている。

 ならば、


 そう思い。半ば、怖いもの見たさという気持ちで、聞いた。

 すれば、とんでもない答えを聞けた。


「昨日、アルにこう言ったんだ。一分で終わらせてやれ、と」


 言葉に、姫としての云々、考えもしたが今更だった。

 だからまぁ、それは諦め、

 単純な受け答えとして、


「それで、やつはなんと?」

「驚いていたよ。一分? ってな」


 それはそうだろう、相手はあのヴォルムスだ。どれだけ腕に自信があるのか知らないが、彼も伊達に、ヨハンやアークに並び三勇士と言われる訳ではない。それだけの実力があって、姫自身、それを認めて、だからこそ、彼なのだ。

 それを一分とは、流石の姫も意地悪が過ぎた。

 そう思った。が、


「あいつ、こう言ったんだ」


 それが、自らの夫を自慢するような口調で、


「開幕すぐじゃ、ダメなのか? ってさ」




 兵士らが注目する、輪の中央。

 二人は睨み合うように立っていた。

 ヴォルムスはその手に、槍を。彼愛用の『桜蜘蛛』は、二メートル半ほどの長さしかない短めの槍だ。その分、小回りが利いて、乱戦、馬上での戦闘、何より一騎打ちに向いている。彼は軽く柄を握ってその手に馴染ませながら、時を待つ。


 正面。


 丸腰の罪人が居た。

 舐めてやがると、そう思う。


 そもそも捕らえた時だってそうだ。男連中が持ち物検査と手をわきわきして寄れば、嫌がられる前に姫がぶっ飛ばし。代わりにと姫が取り調べを買って出れば迂闊だとヨハンが拳骨くらわし、結局、輜重兵にいる女兵士を呼んで、調べさせた。その情景は、まぁ、記憶の片隅に放るとして、あの時も、こいつは丸腰だったのだ。


 そう、

 やつは何も持たず、ここに来た。

 ただの馬鹿か、

 それとも、


(それだけ、テメェの腕に自信があるってぇ事だよな)


 気に食わない。

 そして、いざ勝負の時になっても、

 姫が「何か得物はいるか?」と聞いたのに対し「必要ない」要らないではない、必要ない、奴はそう言った。それがなお、ヴォルムスの心に火を点けた。


 やってやる、そう思う。

 罪人だ、殺してやる。そう決める。

 姫に聞いても「構わない」全力で行けと、言われた。

 ならば、


 ――テメェはここで、俺が、引導を渡してやるよッ!


 構え、

 その直後。

 姫が立ち上がり、告げる。


「では、これよりヴォルムス・コンラート。並ばせ、アルザーク・A・レヴァンティスによる、御前試合を行う。御前と言っても公式ではない、私が見ているというだけの意味だ。試合と言う名の死合。ルール無用、死んでも文句なしの真剣勝負。両者、準備は良いな?」


 無言が、返事として返り、

 頷き。そして、


「はじめッ!」


 迷いなく、

 ヴォルムスが前へ出た。




 疾駆する。そのスピードは速く、周りの兵士らにはまだ残像が見えているだろう。そういう瞬きの間の速さだ。ヴォルムスは左手を軸に、右手を添える形で槍を、その刃を地面に当たるほど低くして構えれば、迷うことなく正面へと迫る。

 鼻先に、罪人の姿がある。

 まっすぐこちらを見たままの彼は、動こうとすらしない。

 いや、動けもしないのか。

 どっちだっていい、


(一瞬で、決めるッ!)


 そう思い、


「つらぁああああッ!」


 一声と共に、槍を突き出した。

 それはほんの、瞬きの間の出来事だ。

 兵士らには何が起きたのか、いつのまにヴォルムスが動いたのか、それすら見えなかったのはもちろんのこと、魔術師であるヨハンもまた「これは」と感心の声を上げる。体術において得意なほうではないが、それでも、今のヴォルムスの動きが見事だというのは解った。無駄もなく、洗練された、速さのみを追求する丁寧な動きだ。その一撃は必殺の速度で、罪人の、その心臓めがけて放たれている。

 そして、当たった。

 当たったように、見えた。が、


「ッ!?」


 ヴォルムスは見る。

 槍を突き出したその先。そう、丁度、刃先が触れるか触れないかの位置に、何も姿勢を変えていない、開幕した時のまま、腕を組んだままの罪人が立っている。ただ刃は、確かにやつの心臓の位置を、示したまま。


 戦慄した。


 それは奴が、槍の間合い分だけ下がったのだと、理解できたからだ。しかし、結果を見て理解しても、それがいつ起きたのか、奴がどう動いたのか、それが、何も見えなかったからだ。その事実に、愕然とした思いを隠せないヴォルムスではあったが、


「どうした? 後一歩足りないぞ?」


 放たれた言葉に、熱を取り戻す。

 ふざけるな。

 そう感情をぶちまけ、


「らぁあああああッ!」


 発声と共に、彼は動く。

 もう一歩。

 もう一歩。

 続けて一歩。

 さらに一歩。

 踏み込みながら、しかし、その一歩毎に数十の、槍による刺突を叩きこむ。雨を降らせるように、刃を、罪人に向けて放ち続ける。

 それをアルザークはかわしていく。ローブの袖に腕を通して組んだまま、一歩、二歩、三歩とさがりながらも、その姿は風に揺れる葉のように掴みどころなく、流れるように避けていく。そして、


「ッ!」


 最後の一息で、ヴォルムスが槍を横に振るった。

 それすら、何事もなかったかのようにアルザークは大きく後ろに跳躍して、避ける。

 しかし、


(この、女ぁッ!)


 そこが狙い目だと、ヴォルムスも大きく距離を詰めた。振った槍を戻すより先に、鋭く前に出たのだ。

 アルザークが少しの反応を見せ、二人の距離が、ぶつかるほどに縮まった。


 本来であれば槍は、中距離を保ち攻撃するのが基本だ。得物の長さが近づいただけ不利になる分、むしろ、懐に入られるのを嫌って戦う。けれど、ヴォルムスの本領は、彼の間合いは、ここだ。

 ヴォルムスは短めの槍を、その刃からメートルぐらいの位置を、握りなおす。そして、踊るような螺旋が、舞う。


 槍とはつまり、貫く武器だ。


 しかし、

 その柄の部分。持ち手のところでの打撃においても、その有用性は見られる。並の槍使いにおいても、防御のための行為として、また、刃のない石突きによる反撃手段として、槍はその全体を武器として扱える。ただし、それは剣の腹で殴りつけるのと同じように、本来は補助としても使いづらい、いわば、不利な状態を脱出する無理な行いだ。

 けれど、

 ヴォルムスはむしろ、好んでそれを行う。

 つまりそれは、


「棒術だな」姫は言う「ヴォルムスのスタイルは、戦場では廃れた一騎打ち特化のもの。それも、大物食いを狙えるものだ。戦場では大魔法が飛び交い、魔族や神族なんかはすぐ派手な魔術をぶつけてくるからなぁ。だが、だからこそ、懐に潜り込んでの殴り合いを、あいつはする。槍を持って、しかし主戦術は棒術によるものを主とした。離れない、何より離させない。手の中で回す槍、その柄を持って、敵を絡め取る。まさに蜘蛛のように。一度糸に絡みさえすれば」


 言葉を紡ぐ先、

 戦場に動きが見られた。

 ほぼ密着するような間合いで、逃げるアルザークをヴォルムスの桜蜘蛛が追いかける。手の中で回される槍は、石突き側、刃側、立て続けに石突き、次には刃、戻って刃からの石突きと、まるで二つの棒を交互に振り回されているかのように、連続して殴りつけてくる。やがて、はじめは一つしかなかった螺旋が二つに見え、三つ、四つと、回転が早まるにつれ、渦巻く螺旋がアルザークを呑み込み、ついに、


「くッ」


 アルザークは右腕を防御に使った。

 石突き側の柄を、受け止めたのだ。

 が、

 次の瞬間には感覚がない。

 と思えば、


「――ッ!」


 左脇に、刃側の柄が来た。

 そう、


「一度打てば、後はその反動を利用される。すでに捉えたのであれば、次の、加速して放たれる打撃を受けられる道理はない。あとはその繰り返しだ」


 蜘蛛の糸は敵を絡め、捉え、二度と放さない。

 それを証明するように、残りは一方的な殴打となった。

 兵士らが周りで息を呑む中、高速の打撃が、しなり、幾重にも見えるほど、連続して。頭、肩、腕、腹、足、深く絡めては背中と、まるで全方位からの同時攻撃であるかのように、無数の打撃がアルザークを襲う。そうして、連続する殴打に、獲物の身体が悲鳴をあげたならば、

 少し、アルザークが膝を落としたのを見ず、感じ、


(貰ったぜッ!)


 突き上げるような一撃が、彼を襲った。

 それまでの殴打と同じく、反動を利用した、高速の一撃だ。

 槍が、アルザークの身体を貫きあげる。


 殺った。


 浮き上がった相手の姿に、ヴォルムスはそう思った。

 けれど、

 見る。

 違う。

 最後の最後で、奴め。ギリギリのところで、身体をくの字にしながらも、その胸に迫る刃を、その柄を掴むことで止めていた。浮いたのは、掴んだ反動と、自らが飛び上がったものに過ぎない。


 ヴォルムスはちいさく舌打ちをし、軽く、槍を振るった。

 投げ出されるように、アルザークの身体は軽々と後方へと飛んだ。着地し、けれど打ち据えられたダメージからだろう、軽く、片膝をつく。

 その光景に、周囲からは兵士の歓声が上がった。


「どうです、姫。随分な大口を叩いていたようですが、結果はご覧の有様ではないですか。やはり、罪人如きでは、ヴォルムスの足元にも及ばなかったのでしょう」

「そう見えるか?」

「と、言いますと?」

「いや、意図はない。ただ」


 姫は軽く指を振り、近くの女兵を呼ぶ。呼ばれた彼女は、サッと、預けられていたのか懐中時計を見せて、


「三十六秒。そろそろだ」


 ヴォルムスは、軽く息を整え罪人を見た。

 開始の一撃を避けた、その動きこそ脅威に感じたが、しかし、所詮この程度のものかと思う。最期の一撃を受けたのは見事だが、すでに相手はボロボロだ。ほんの十秒間の殴打でも、秒間での打撃は十にものぼる。百打。それだけ打たれては、普通ならば骨も砕けようというものだ。それを受けて、


「倒れないのは、流石だけれどな」


 しかし、もう後はない。

 次で決める。

 そう思い、再び構えたところで、

 やつが初めて、動きを見せた。

 立ち上がった。

 そして、腕を袖の中に引っ込めた。

 何をするのか、警戒に睨んでいれば、

 何を思ったのか、奴、羽織っていたローブを、脱いだのだ。


 横で、姫が興奮に身体を浮かせた。

 静かにヨハンが、その肩を抑える。


 何のつもりか。

 本気だとでも言うのか。

 まさか、ローブに重りでも?

 そんな思考を巡らせていれば、奴、それをおもむろに手で丸めると、軽く、宙へと放った。一瞬気を取られ、その隙に攻撃か、と思ったが、動く様子はない。ただ、丸められたローブは宙で開き、風に乗り、姫の元へと辿り着く。

 手にして、硬直する姫に。


「すぐ終わらせる、持っていてくれ」


 告げた言葉を、当然ヴォルムスも聞いた。

 そうか、


「ここから、ようやく本気だってか?」


 舐めてやがる。いや、


(遊んでやがったッ!)


 その事実を目の当たりに、


「クソ女ぁああッ!」


 駆ける。

 強がったところで、奴の身体に百の打撃を叩き込んだ、それは事実だ。ならば、もう身体自体、限界なのは間違いない。ならば、

 次で決める。

 いや、


 決めてやるッ!


 そう思い、再びヴォルムスは槍を振るう。

 振るおうとした。

 が、

 桜蜘蛛は回らない。

 ただ静かに、それは添えるように。回転の支点となる、ヴォルムスの両手の位置に、奴、アルザークの手が置かれている。不思議とそれは、重みがないのに、まるでこちらを凍てつかせたかのように、槍が、手が、ピタリと止まって動かない。


 え?


 と思う間さえ、なかった。

 ただ、次の瞬間、

 ヴォルムスは視界が真っ暗になるのを、自覚した。

 急所を殴られ昏睡したのだと、わかることも、なかった。




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