(3)
問いに、しかし罪人は、
「それは言えない」
と来たものだから、ヨハンが眉をひそめる。
「ほう、咎人よ。立場というのを理解していないようだな」
「お前がどう思っているかは知らないが、解っているからこそだ。だから、理由は言えない」けれど、と「頼みがある。オレに、お前の力を貸してほしい」
彼は望む。
その言葉に返すのはヴォルムスだ。
「お前、その意味解ってるのか?」
「解っていると言った。正直、無理のある頼みだってのは百も承知だ。アイリス――アーデルハイドは、姫であり、人族にとっても英雄のような存在だ。それが、オレのような日陰者に手を貸すのはもちろん、その行いに加担したと知れでもしたら、いい笑いの的だろう。それどころか、裏切り者として、オフィールに晒しあげられかねない」
「そこまで解って、だったら「それでもだ」
言葉を奪い、
返す相手を、姫へ。
彼女をまっすぐ見据え、
「それでも、アーデルハイド、これはお前にしか頼めないことだ」
「何故、私でなければならない? お前には、他にも頼れる者がいるだろう」
それでいいのでは? 先にも出したが、ルインちゃんだって、あの子はあれで優秀だ。姿を見せぬもう一人だって。彼女達が居れば、居たからこそ、ここまで来たのだ。
それがいまさら、自分の手を借りることがあるのか。
そんな疑念を、建前としてでも、持ったアーデルハイド。
しかし彼は、
そんなこと、とばかりに。
「簡単だ」
と言った。
「お前はオレより強い。だからこそ」お願いだ「助けてくれ、アイリス」
心が震えたのを、感じた。
それを歓喜だと、
後から知った。
アーデルハイドは、彼の事を認めている。その実力は以前に見たし、頭も良い。可愛いという点も評価は高いし、噂ほど、恐ろしい者でもないと知っている。彼女の知るアルザークとは、これもまた、優しい、そんな人物だ。
なにより、アーデルハイドは彼の事を、好きでいる。
そんな彼から、逆に、自分の事を認めてもらえた。それが嬉しくないわけもなく、
だからこそ、彼の言葉に彼女はこう返した。
「私の方が、強い、か」
嬉しさとは違う理由で、顔を綻ばせ、
「なら、アル。そういう理由なら、どうだ。私以外でも、候補は居るんじゃないのか?」そう「爺や」左を見て「この、ヴォルムスなんか」続け、右を見る「どうだ。二人とも、私の直属だ。強いぞ、こいつらも」笑って、正面を見た。
けれどアルザークは、
視線を受けて、ただ。淡々と返す。
「意地の悪い奴だな」って「もちろんダメだ。話にならない」
言えば、
ヨハンはハッとして、姫を見た。気づいたらしい。でも遅い。
なぜなら、
「おい、どういう意味だ」
ヴォルムスがもう、答えた。
話を聞いて、しかし確かに、ヴォルムスの自尊心は傷を得た。姫より実力が劣る、それは当然だ。誰も、姫騎士を越えるなど、人界で探しても、それだけの実力者はちょっといない。そのことを、この罪人も、すこしは理解しているようだなと謙虚さを見直していれば、これだ。こともあろうか、
「俺達では、話にならない、だと?」
噛み付かずにはいられない。
一歩前に出れば、
変わらぬ口調でアルザークが、
「当然だ」
言い切る。
敢然とした物言いに、つい「テメェ」と熱くなるヴォルムスだが、
それを制したのは他でもない、アーデルハイド自身だ。
「まあ待てヴォルムス」
「でも、姫ッ――!」
「お前の憤りは解る」と視線をアルザークへ「そうだな。確かに、それは少々、自信過剰じゃないのかアル。これでもこのヴォルムス、槍の使い手として、我が国には右に出る者はいない。武勇の数も、決して歴戦の兵士達に劣るものではないのだぞ? たとえ、うちの兵士らが五百人束になっても、こいつに、矢の一つも浴びせられはしないだろう」
「だけどアイリス。お前なら、兵士一万すらまだ足りない」
言えば、
愉悦。
単純に嬉しいと思うアーデルハイド。
「う、うん、まぁ、まあ? そうだな、そうだよな。私だったら一万の兵なんてお茶の子さいさいだ。もう、油断するとすぐこれだ。無造作に褒めて、この、アル、バカ。お前、あとで私のベッドの中な?」
さておき、
「だけど、ヴォルムスと言ったか。こいつじゃ、どう見ても役者不足だ」
「なんだと?」
「お前はオレより弱い。そう言ったんだ」
言い切るアルザークに、
勘弁ならないとヴォルムス。
見兼ねてヨハンが、
「姫」言う先は、右隣「どういうつもりですか?」
ヨハンには解る。いま、姫は意図的に、アルザークにヴォルムスを煽らせている。まだ若い彼だ、この点、心が未熟。それを承知で、
しかし、
「解っているよ、爺」
承知だからこそ、だ。
「忘れたか、私が、そもそも何故この遠征に着いて来て、行っているのかという事を」
やはりそのことか、と。
しかし、
「しかし姫、それだけではこの場は収まりませぬぞ。コンラートとの相対を認めるのは構いませぬ。が、その結果として、姫が奴に従うなど、それはあってはならぬことです。あまつさえ、奴を逃がすことになるなど、王にすらどう説明されるおつもりです?」
「それにも考えがある」
わざわざ、皆に聞こえる声で、
「言ったな、先の竜退治にて、アルザークも関わりがある、と。無論、例えこれが公にされたとして、国は、おそらく帝国も、この事件の主犯としてこれ認め、すべての責任をアルに着せることで、収まりを求めるだろう」
けれどな、と。
「もし、あくまでもしも、だけれど。ひょっとしたら、私が事実を、つい、うっかり、なにかのはずみで、もらしてしまったら? この私の言だ。この影響力、説いたのは、誰だったかな? ん?」
言ってくる姫に、ようやく、
(こ、こいつも敵だ――っ)
一同、まさに彼女もあちら側なのだと気づく。
いや、いまさらだけれども。
「いや、大丈夫だ、私は口の堅さにだけは定評がある。身持ちの堅さも自信がある。今までだって、言い寄る方々の貴族共を、何人足蹴にして「一蹴か?」そう、一蹴して来たことか「蹴るには違いないけどな」うん、愛してる、アル。おっほん。だからな、べつに、事実をうっかり滑らすようなことは、まぁ、ないだろう。
だーけーど。
そうだなぁ、ほら、目の前に居るのはアルザーク・A・レヴァンティス、災厄の罪人だからなぁ。もし、もしも、いや、仮定として。こいつがもし、街ひとつでも人質にしてきたら? どうする? 善良な市民を見捨てる? できないよなー、できないよー。だからさ、仕方なく、市民を守るために仕方なく、この恩を公言してしまう、かもしれない」
「姫……」
最悪の脅しに、もう、何も言えない。
そんな皆を見て、姫は続けた。
笑って言う。
「だから、爺。どうする。我が国は、いつまで、罪人相手に借りを得ているつもりだ?」
「それは――」
「ここで返してしまうのも、選択だと、私は思うぞ」
夜はようやく、静けさを得たと言ったところか。
誰も彼も渋面を隠せずにいるが、けれど、姫の最終決定となれば、口出しできるのは国王くらいなもので。それがこの場に居ない以上、現場判断として彼女の決断が、絶対となる。それにヨハンも、
「父には私から言っておく。なに、私も姫だ、その自覚を捨てるわけではない。国のためのアフターケアは、責任を負うくらいに覚悟はあるさ」
そこまで言われ、言わせては、もはや立つ瀬もない。ただ「過ぎたことを、申し訳ございません」頭を下げ、外へと出た。
それから、シン、と。
部屋にはようやく静けさが戻った。
残されたのは、姫と罪人だ。
とりあえず、
「拘束プレイってのも、悪くないけどなー」
「ふざけ過ぎるな。割と怖いから」
笑い、アルザークの戒めを解いてやる。
「ありがとう、助かるよ」
「礼など要らないさ。私の方こそ、お前には礼を言っても尽くし足りない。あの日、私はお前が居たからこそ、こうしていられるのだからな。もちろん、死んでいった兵士達も同様だ。だからこそ、私は私で、居られるのだ」
告げるアーデルハイドの顔を、
ただ、微笑ましくアルザークは見た。
その視線がこそばゆく、
「な、なんだ、もう、恥ずかしいだろう。見つめるなよっ。見ーるーなっ。まったく、お前、自分の可愛さをちょっとは自覚しろ。そういう視線、誰彼にかまわず送ったりするなよ? 絶対に誤解される」いや、この言い回しは違うな「お前のその視線は、他の連中にはもったいない」うん、もっとストレートに「他の男に、お前を取られたくない」
駄々っ子のように言ってやれば、
「せめてそこは、素直に女って言えよ」
「どっちもだ」
言って、彼の頬を両手に取って。
半強制的に向かい合いながら、
「ホント、綺麗な瞳をしているな、お前は」
まっすぐで、濁りがなく、ただ、深く。
そんな視線を覗きながら、
「……。キス、して、いい?」
「ダメ」
「けち」
「そういうのは軽くやるもんじゃない」
「ロマンチストだなぁ、お前。乙女チック」
「むしろそういうの、男の思想で間違ってなくないか?」
「知らない」
離れ、ベッドへと腰を落とす。
む……っ! と手を広げてみる。
雰囲気もなにもない誘いに、げんなりしながらも、
「オレはこっち」
椅子へと座る。
座ろうとすれば、
「もう、すこしは甘えさせろよっ」
無理に腕を取って、強引にベッドへと引っ張るのだから困り者だ。
しかも、馬乗り。
上から振る笑顔の、なんと不吉なことか。
軽くヤバイ。
「ふふふ、なぜ、連中が全員、私とお前の二人っきりを良しと、諦めたか解るか?」
「諦めたって言った時点で、それがすべてだろう? 横暴だっ」
「そう騒ぐな、アル。お前だって言ったろう? 私の方が、お前より強いんだ。身も、心も――ついで、こっちも」
言って、上になっているアーデルハイドが、胸に指を這わしてきた。
あ、ちょ、ばか……ッ。
これはまずい、素直に思い、逃げようとするが、
「抵抗するなよ、アル」本気で腕を掴み抑えてくる。痛い「お前が逃げようものなら、それはつまり『お前の方が私より強かった』っていう事になるからな。そうなれば、困るのはお前だろう。ん、もちろん、逃がす気なんてないけど」
「最低だなっ! 最低だっ!」本当に動けない。
「ふふふ、そう照れるな暴れるなだが恥じらう姿はよし。ま、いいじゃないか。もう。二人で迎える夜など、はじめてでもないんだし」
「あの時はお前、弱って寝てただけだろう!?」
「そうだ。私が動けないのをいいことに、お前ときたら、あの手この手、前から後ろから。私の知らぬ、新たな扉を、くぱぁ、って。それも、あんな、野外で」
「擬音をやめろ、ただの洞窟だ。しかも包帯を替えてやっただけ!」
「おっぱい見られた」
「見てないっ」
「なんで見なかったのっ?」
「なんで残念そうなんだよ」
「私ってそんなに魅力ないかっ? 確かにまだちいさいかもしれないが、発展途上の成長過程というはそれで、貴重なんだ。口では表しづらい艶かしさもあってだな。試す?」
「試さないし試せない」腕が痛い。
「あ、そうか。じゃあ」掴む腕を動かし「はい」強制パイタッチ。
「ぶふぅ――――ッ!」
「ンく。ほら、アル……。ん、はァ……。お前の好きに、弄って、いいんだぞ?」
「な、なななな、な、いや、おま、えッ。て!」
「なーんて、ここでネタばらし」服をはだけさせ「実は、お前と話す上で、私もまだ鎧を付けさせられたままだったからなぁ。インナーに、機構甲冑の関節部にも使われる、柔らか新素材――名前、何だったかなあ、確か、オシリコスリみたいな名前だったと思うんだが」シリコスリル「それ製の胸当てを着けているのです。ん? なかなか、気持ちのイイ触り心地だっただろう? どう?」
「おぉまぁえぇなぁっ」
「あっはっは、ごめん、ごめんってばアル。悪かった、怒らないでよ、もう。ホント、いいやつだよなぁ、お前は」
言って、
身体を落とすように彼女は抱きついて来た。
胸の中に重みを感じれば、ちょっと、ドキっとして。
「ほんと、いいやつだよ、お前」
まるで猫のように、ごろごろと。
頬をすり寄せるそれへ、
「アイリス」
「すまない。でも、少しでいいんだ。ちょっとだけ、このままで居させてくれ。べつに、本当に襲ったりしたいとか、襲わせたいとか、そういう、無理な関係は、望んじゃいないよ。ただ、言ったろう、少しでいい、甘えさせろ。もうちょっとだけ、ほんのちょっとでいいから、こうして居させてくれ」
そうして、ただ温もりを堪能し、黙るアーデルハイドに。
どこか困りながらも、なんというか、
(……。しょうがない奴だな)と。
撫でるように、そのちいさな頭に手を置いてやった。
ほんの少し反応を見せ、
ただ、
「ありがとう。アル」
呟く少女に、
「……。ああ」って。
朝の陽ざしに、森は起きた。
しかし空に日が昇る爽やかさとは裏腹に、紅い森は殺伐とした空気で満ちている。そこは、森の中ほどに造られた人族軍オフィール所属、スヴァルトアールの兵士達が造った野営用の陣であり、その中にある、朝食の場となっていた野外食堂が、今はすっかり閑散として、中央には二人の人物が立っていた。
災厄の罪人アルザーク・A・レヴァンティス。
千の槍者ヴォルムス・コンラート。
二人は五メートルほどの距離を置いて対峙する。




