UFO同好会と秋の始まり
UFO同好会と秋の始まり
讒現
夏が終わった。何を隠そう、夏がもう終わってしまったのだ。朝起きてそれに気づいた健太郎君は頭を抱えた――まだ回収できていないフラグが山のようにある。
それは一週間ぶりの雨を境にして変わってしまったのだ。最近の雨は手ひどくて、降るときは川から溢れんばかりに降る――というのはまたの機会に語るとして、夏の終わりに降る雨は、夏がまだ残していた暑さをきれいさっぱり洗い落としてしまう。そう、きれいさっぱり。何の恩情もなく抹消されたスペースに秋風が入り込んで、気温の低下を加速させていく。
今朝はタオルケット一枚では足りなかったな、健太郎は鼻ズルズルズルで酸素不足の頭でそう考える。多分、次に雨が降ったらもう夏は消え、木の葉の色が変わり、秋が来るのだ。
朝が遠のいた。健太郎君は家を出るときに気づく。秋分の日を越えてしまった以上、もう太陽は午前六時より前に上ってくることはないのだ。そして日が短くなる即ち、夜が長くなる。
「これは俺のターンだな」
健太郎君は思わず口に出してしまった。隣のサラリーマンが数センチ彼から離れると、イヤホンを嵌めてしまった。ここでサラリーマンのイヤホンの先がどこにもつながっていなかったら、と彼は思考を伸ばす。間違いなく幽径イエスタデイ。
現在健太郎は駅のホームにいる。普段はここで椛山に合流するか、適当な女友達を引っかける。しかし今日の前田健太郎は洟ズルズルズルズルであって、女子が近づいてきそうな気配がない。肝心の椛山は、というとホームに見つからない。電車が滑り込んできても見つからない。ドアが開いても見つからない。電車に乗っても見つからなくて、とうとうドアが閉まっても見つからなかった。「こりゃあ遅刻だな、ざまぁ」
と健太郎君は思わず口に出してしまった。幸い周りはイヤホンだらけで、誰も今の哀しい独り言を聞いていない。だがしかし聞かれていた。
健太郎君は背中にやわらかいショックを感じた。どうやら人間の手らしい、女子だったら嬉しいなと振り向くとやっぱり女子だった。しかし顔を知らない。いや覚えてないのか、恥ずかしいなええいここは大串さんで通してしまえ。
「お、久しぶり。元気してた?」
といったら笑われた。
「やだなあ、初対面ですよ?」
彼女は弾けるようによく笑った。健太郎君はとても出鼻をくじかれた感満載なのだが、不思議と凹みはしない。
「あ、良かった。俺が一方的に貴方のことを忘れてるとか、そういうのじゃなかったか」
「そうですよ、安心してく……ぷはははははっ。あー面白い。涙が出そう」
彼女は本当によく笑った。
「私、ざまぁって言葉が好きなんですよね。なんていうんだろう、相手の不幸を軽く流しつつ、自分の客観的な立場を明確にしつつ、それでも『ざまあみろ』までひどくないそのニュアンスのバランスがね。好きなんですよ」
健太郎にはよく分からない。初対面の人に何を話したらいいのかも分からない。というわけで時候の挨拶から入ることにした。
「今朝は冷えましたね」
「そうですね。熱さましの雨が降りましたからね」
「なんすかそれ」
「ああ、私が勝手にそう呼んでるんですハハハ。暑くなることをやめた季節に雨が降ると、それはもうどうしようもなく冷えるしかないんですよ。だから私は、夏が終わって一番目に降る雨をそう呼んでます」
「それ、いいと思う」
「いやいや、どうせなら体育祭とか、あの雨が降ったあとにして欲しいものですよね」
「まあ、確かに」
健太郎は体育祭を個人的に思い出したくもないので話題を切り替える。
「秋で一番好きなのってなんですか?」
「ええ? んーと、考えたこともないな。私には秋しかないから」
「?」
「いえ、今のは流してください。私が秋で一番好きなもの。んー、逆に聞きますけど、健太郎さんは秋好きですか?」
「んー、たしかに嫌いではないね、夏は暑すぎるし冬は寒すぎるから、このニュートラルな感じが気に入ってます」
「なるほど」
「あーでも寒暖差が激しいからな。みんな疲れてギスギスしてしまうし。でも夕日とか、月とか、きれいですよね」
「月ですか、まあ確かに中秋の名月とは云います」
「ええ、そういえば昨日だったかな、見ましたか?」
「あいにく、火山灰の影でした」
「あらら」
電車はトンネルに入る。入る直前の桜島はいつもと変わらない。少しの間会話が途切れた。その間に彼女の制服を見てみる。だろうとは思ったが、見たことのない制服である。見たところ鞄はぺったんこである。トンネルが終わる。
「どこの学校?」
「ご想像に任せますよ。ところで、さっきの話の続きですけど、夕日って言いましたか?」
「あ、そう。言ったね。秋の夕日はなんというか綺麗なんだよね。空気が澄んでるからかな。それに夕日が見える時間って涼しいし。自分がちっぽけに見えるんだ」
「ずいぶん寂しい夕日ですね」
「俺の中ではね。夕方は一年を通していつも寂しくなるんだ」
「太陽が好きなんですか?」
「夜は夜で気に入ってるんだけどね。ところで」
とまで言ったところで二本目のトンネルに入る。こうやって抜けたトンネルの先はどうなっているのだろう、きっと色々な出口があって、その中から俺はいつもの日常が待っている出口を選んでいるんだと健太郎は思った。
トンネルの向こうはいつもの日常だった。言いかけた途中で悪いと思ったが、どうせ下らん空気つなぎの世間話である。
「もう降りるんですね」
と彼女が言う。
「いつもこれに乗るの?」
と健太郎は訊く。
「いえ、今日だけですよ。健太郎さん」
と彼女が言う。そして電車が止まる。
「じゃ、今日も頑張ってください」
と彼女は言った。
電車のドアが開く前に電車からホームに降り立った人間がいた。彼は屋根の上から現れると、手で汚れたズボンをはたき、その次にドアが開いた。健太郎はあいた口が塞がらず、洟も止まらない。
「おう健太郎、洟ズルズルズルズルズルじゃねえか」
と屋根から飛び降りた張本人、椛山が言った。開いたドアから健太郎は降りると椛山に詰め寄る。
「ズルが多くないか?! てかお前なんで上にいるんだよ。客席に座れよ」
「ミッション・インポッシブルみたいだろ」
「お前はどんなミッションに片足突っ込んでんだ!」
「いやあ、駅に着いたら電車出発しててさ、跨線橋から飛び乗った」
椛山はジョジョ立ちを極める。
「お前が感電死しないで何よりだよ」
朝っぱらから迷惑な椛山であった。
「そういやさ、電車ンなかで妙な女子に会ったんだけど」
と健太郎が言いかけるそばから駅員が硬い表情で近づいてくる。
「ちょっと君、なかなか面白い乗り方してたけど、ちょっと話聞いていいけ?」
「だが断る」
椛山がジョジョのテンションでやらかした。
了