第四話 三度目の予兆
秋の雰囲気も色濃くなり、風が涼しく過ごしやすくなってきた頃。遂に文化祭の準備期間がやってきた。放課後の相談教室は依然続いているが、最近は愚痴や泣き言よりも世間話や友達の話、先輩の事などを大西が楽しそうに話しているのを聞く事が多い。
クラスの皆も自然と放課後は残らず、足早に居なくなるようになり、暗黙の何かが出回っているようだった。
勿論木村は文句を言ってきたり、幸宏は少し寂しそうにしていたが、大西が頼み込んで納得させていた。幸宏はそんなに俺と遊びたいのかと、若干ホモ疑惑を抱いたぐらいに食い下がったのが印象的だった。
「さて、今回も案の定人形劇になったわけだけど…」
そう言いながら俺は黒板を見ながら軽い絶望をした。黒板にはさっき終わったLHRで決まった文化祭の出し物とそれの役割分担が書かれていた。名前の下には正の字が書かれていて、それぞれ投票や多数決が行われたことが分かる。が、何故か人形劇の主役と書かれている部分に俺の名前がある。そしてさらに何故か俺の所には正の字は無く、全会一致で可決されている。
「寝ている間に何が起きた…」
俺は、このLHRが文化祭の出し物についてだと分かっていたので、軽く居眠りをしていた。
起きてみたら、何故か劇の主役になっていた。何を言っているのか、俺にも分からないがそうなっていた。
「それに」
ヒロイン役には勿論記憶通り大西がなっていた。これも正の字は無く、全会一致だったようだ。
言いたくないが、本当に俺が劇の主役になんかなったら緊張でボロボロになる事間違いなしだ。なんせ合唱コンという、場数を踏んだ舞台でも緊張で手が震えるというのに、劇の主役なんて一度も経験したことがない舞台に放り出されたら…。
「ダメだ、変えてもらおう。それがクラスの為だ」
「ダメだよ?智之くんが主役だから私もヒロイン請けたんだから」
聞きようによっては、誤解されかねない発言をしたのは大西だった。
大西はいつの間にか、俺を名前で呼ぶようになっていた。
「そんな見え透いた嘘を付いても、俺は降りるぞ」
だが俺は嘘だと分かっている。何故なら大西は、俺が主役で無くても、ヒロインを立派にやり遂げると知っているからだ。
「ひっどーーい。智之くんが寝てるからいけないんだからね!」
これが学校行事や、役員選抜に行われる悪しき風習“欠席裁判”か。不覚、今回もどうせ大道具係だろうと余裕を見せたのが運の尽きか。
「ねぇ聞いてるのー?なんだか最近智之くんが意地悪な気がしてきた…」
「知り合ったのも、仲良くなったのもつい最近なはずなんだけど?」
「ほら!やっぱり意地悪だ!」
そんな声に釣られてきたのは悪しき友人、略して悪友だった。
「智之は一見大人しくて何考えてるか読めないけど、実はドが付くほどのSなんだなー」
「人をむっつりな変態みたいに言うな」
「うー…そうだったんだね。少しショック」
本気で数歩下がった大西は放っておいて、余計な事を言った幸宏にアイアンクローをくれてあげる。
「ぐぉぉぉぉおお!ギブ!ギブ!!」
「あんたら何してんの?」
教室に戻ってきた木村が俺と幸宏を見て呆れた顔でそう言ってきた。心底馬鹿を見るような目で見上げてくる。綺麗に切り揃えられた短めの黒髪が、さらりと流れて少し見惚れる。
「夕紀に馬鹿なこと教えてないでしょうね?」
見上げてきたままに毒を吐く。主観では数年ぶりに聞く、木村の柔らかい毒に少し懐かしさを感じる。
「馬鹿なのは幸宏だけだ」
「二人とも酷い気がする…」
ボソッと大西がフォローするが、俺は気にしない。
「とにかく大西がヒロインなのは分かるが、俺に主役なんて務まらないぞ」
話を元に戻すために結論を言う。とにかく俺は主役から降りたかった。俺が主役になる。それが何か問題を引き寄せそうで怖かった。
「だめぇー。コレは決定事項なの」
「なんか知らないけど、あんたが相手だと安心だって言って聞かないのよ」
本当に何したんだか…。などとブツブツ言いながら木村が俺を睨んでくる。
「俺も立候補したんだけど男子から止められたんだよねー。お前だと俺達が不安だって」
幸宏のクラスでの位置も決まったな。頑張れ弄られ役。
しょんぼりしている幸宏はスルーしてもう一度黒板を見る。大道具の役割分担に幸宏の名前が有り、その横には玉置和也と言う名前が有った。それが俺の嫌な予感を増大させていた。
◇
周囲に逃げ場を塞がれ、渋々主役を承諾した俺は毎日大西や他のクラスメイトと台詞合わせをしていた。
驚いたことに幸宏が大道具の仕事を完璧にこなし、裏方のリーダーになっていたので、当初感じていた不安も薄れていた。
気になった所といえば、幸宏が設計した図面に何処か見覚えがあるぐらいだったが、それも演劇部から昔の図面を引っ張ってきたらしい。様子を見に行った時もその破れかけの汚れた図面をヒラヒラと振って指揮していた。
「見たこともない服装だ。貴女は一体何処からきたのですか?」
「ここは一体何処なの…」
今はまだ人形も無いため、椅子に座りながら台詞合わせをしている。演じたことは無かったが、前回しっかりと見ていたお陰か、台詞を覚えるのは楽だった。
「ちょっと休憩にしましょう。ほら飲み物」
全体の指揮をしている木村が演技を止める。少し喉が痛くなってきたので、丁度良いタイミングだった。
「あんた、言う割にはしっかり出来るじゃない。なに、嫌味?」
「休憩中も毒を吐くなんて、余程好かれてるな俺も」
「はぁ?あんたの頭は本当にお気楽ね」
大西とよく話すようになってから、木村とも接する機会が増えた。増えたのは良いが毎度毒を吐いたり、暴言を吐くのは止めて欲しい。まぁただ不器用なだけなんだが、分からない相手にやったら普通は引かれるし嫌われるだろう。もしかしたら、大西から離れるようにわざとか?まぁそんな頭が回るほど器用な子じゃないだろうけど。
「二人ともホント仲が良いねー。妬けちゃうな」
横で渡された飲み物を飲んで一息付いたのかそんな事を言ってきた。そんな事を言えば木村がどんな反応するかぐらい分かるだろうに。
「は、はぁ!?夕紀熱でもあるの!?それとも智之に毒された?!」
「また随分酷い言われようだな」
俺が笑っていると、大西はこちらをやや見上げる形で睨んできた。睨んできたと言ってもしかめっ面になっているだけだが。
「智之くんは理恵と息が合ってるよね!」
何が気に入らなかったのか、少し不機嫌になっているようだった。
「夕紀?あんた本当にどうした?」
木村も、少し驚いた様子で声を掛けていた。当の本人は眉間に皺を寄せて何やら唸っていた。
「うーーーーー…なんかモヤモヤする」
自分でも理由が分からないのか、一向に唸り声は止まない。こちらを睨む木村に、俺は首を捻って返事をした。
そんな様子を繰り返しながら文化祭の準備は着々と進んでいた。
◇
準備も順調に進み、ある程度の目処が立った頃、俺はあることに気が付いた。
「なぁ、幸宏。玉置は何してんだ?」
「ああ、あいつなら細かい作業が得意だって言うから、人形作り側に行かせた」
本来玉置が居る筈の教室に姿が見えなくなっていたのだ。そういえば前回、玉置はどこにいた?俺が任されていた舞台造りの教室に居たか?いや、居なかったはずだ。と言うことは前回もあいつは女子に取り入って人形作りの場所にいたのか?あの男子拒絶な状況で。
「まぁ女子の評判も悪くないし、今更戻って来いとも言えなくてさ」
幸宏は、玉置を向こうに送ったことを、何か後悔しているようだった。
「人手が足りないのか?」
「いや、ちょっとね」
玉置一人だけ女子のグループに混ざっていることに男子から何か不満が出ているのだろうか。こいつが言葉を濁らせるような理由は、それぐらいしか思い浮かばなかった。
「まぁ手が足りなかったら俺も手伝うし、何時でも呼べよ」
「稽古が嫌なだけだろそれ」
バレたか、なんて言いながら何かを誤魔化すように二人で笑った。
「これで一応は通しでの台詞合わせも出来たわね。上手くなったかは別だけど」
最後の台詞を、俺に向かって飛ばしてきたが、聞こえなかった振りをする。こんな棘を一々気にしていたら、俺はもう此処には居ないだろう。ただ、木村の言うことは嫌味が無いので、素直な評価としては正当性がある。その辺りは信頼しているが、もう少し柔らかめにお願いしたい所だ。
「俺の上達は気長に待ってくれ」
俺がそう控え目に返事をするとフンッといった感じでそっぽを向く。俺の反応がお気に召さなかったようだ。
「やれやれ」
「何よ、馬鹿にしてるの」
「ほらほら二人とも、仲が良いのは分かったから」
木村が再燃しそうになった所を、周りのクラスメイトが冷やかす。それを聞いた木村は見ていて面白いほどに慌てた。
「は、はぁ!?誰がこんな嫌味でいつも飄々として人を馬鹿にしたような奴を!」
そういう反応が面白くて、皆からかうんだろうよ。俺は我関せず、と決めて大人しくしておく。
「?」
ふと、大西の反応が気になって見てみると、何やら難しい顔をして床を見ている。
「何やってんだ?」
いつもなら「酷いよ!」といった具合に会話に参加してくる気がしたのだが、何か悩んでいるようだった。
「また例の事でなんかあったのか?」
例の事と言えば、元カノの事だ。大西が気にしなくなったせいなのか、最近ではあまり嫌がらせの頻度も少なくなってきているようだったが、また何かあったのだろうか。
「智之くん…」
「どうした?」
俺に声を掛けられて漸く、自分がぼーっとしていたことに気が付いたようだった。周りのクラスメイトはまだ木村弄りを続けているようだった。
「理恵ちゃんってば、嫌い嫌いって言う割にはよく見てるじゃない」
「そうそう。最近理恵ってば、口を開けば藤田君の愚痴だもんねー」
「それは!こいつがちっとも上達しないから責任者として…」
何かとんでもない方向に話が行っているが。反応したら思う壺だ。
「大西、今日の放課後空いてるか?」
「あ、うん」
「なら今日も相談乗るぞ?」
「相談…」
そう言って何かに気が付いたのか、大西は誰かを探すように周囲を見た。
「今日はやっぱり止めておく。ごめんね?」
大西は本当に申し訳なさそうに顔を歪めながら謝ってきた。そこまで気にするような事ではないのに。
「大西がまた相談したくなったらちゃんと言えよ?」
「ありがと智之くん」
それで会話は終わり、丁度同じタイミングで木村弄りも終わったようだった。
「はぁ…それじゃあ今日はこれまでにして解散しましょう。夕紀帰ろ」
「あ、理恵先に帰って?私ちょっと寄る所あるから…」
「あたしも付いて行くよ?別に急いで帰らなきゃいけない訳じゃないし」
「いいの、一人で大丈夫だから。それじゃまたね!」
言いながら大西は急いで教室を出ていった。
「フラれたな」
「うるさいわね」
木村を程良くからかいながら、俺も幸宏を探した。
「あれ?幸宏どこ行った?」
「あんたも置いていかれたんじゃないの?」
さっきの仕返しとばかりに、すかさず突っ込みが入る。いくら教室を見回しても幸宏の姿は無く、鞄も無かった。
「なぁ、幸宏何処行ったか知ってるか?」
仕方無く、近くに居たクラスメイトに幸宏の行方を聞いてみる。
「ああ、ユッキーなら材料が足りないって言ってさっき、近くのホームセンターに買い出しに行ったよ?」
なるほど、文化祭準備期間となれば良くある事だった。
「あいつもちゃんとリーダーしてるんだな」
「合唱コンに続いて、文化祭でもリーダーになるんだから、責任感あるんでしょうね。誰かと違って」
横から来る棘は聞こえないことにして、帰り支度をする。
「で、フラれた者同士仲良く帰るか?」
「嫌よ!変な誤解されたらお互い迷惑でしょ!」
「へぇ」
俺の事まで気に掛けてくれたのか。本当に不器用な子だ。それに、どうやら木村には俺の好きな相手がバレているらしい。前回の教訓から、あまり俺からはアプローチしてなかったのだけれども。
「何よその顔。ホントあんたって同い年か疑いたくなるわ」
「どんな顔だよ」
「年下の子が、何か上手くやった時に誉めるような顔よ!頭にくるわ」
そんなおっさん臭い顔をしていたのか俺。まぁ実際年上だし、間違いじゃないな。
「とにかくあんたはムカツクのよ!じゃあね!」
捨て台詞を吐いて木村は走って教室を出ていった行った。そんなに激しく動くとスカートが捲れそうだが、まぁ自業自得って事で。
一人取り残された俺は、そのまま帰るのも手持ち無沙汰なので、人形造りの進み具合を見に行くことにした。一階にある家庭科室、もっと詳しく言えば被服室、そこへ向かう途中俺は三年生の集団とすれ違った。
「聞いたか?バド部の話」
「なんか二年の女子で調子に乗ってるのがいるんだろ?」
「それじゃねえよ。四組の奴が言ってたんだけどよ」
「今度ヤバい写真撮って脅すらしいぜ?」
「それっていつの話?」
「え、それって今日じゃないのか?」
それを聞いた瞬間、俺は頭が冷えていくのを感じた。バド部、二年女子、色々な符号が幾つも頭の中で浮かび上がり、組み合わさっていく。大西のことか!!
今大西は一人なはずだ。何かあっても対処が出来ない。相手は何人なんだ?何処でだ?
こんな事があったなんて俺の記憶には無い。と、言うことは俺のせいか?
思うなり、すぐさま俺は大西の携帯に電話を掛けた。
「頼むから出てくれ…」
トゥルルルル…
呼び出し音が鳴る時間がやたらと長く感じる。
プッ
繋がった。
「はーーーい!こちら大西夕紀ちゃんの携帯電話でーす」
男の声がした。
「誰だ?」
「はい?」
「お前誰だって言ってんだよ!!」
大西が出るはずの電話に巫山戯た調子の男が出た。その事だけで冷えていた頭が沸騰した。
「ちょ、ちょっと落ち着けって」
「落ち着いてられるか!夕紀を出せ!」
「夕紀ってお前。落ち着けって」
「智之」
は?
「俺だよ俺。ユッキーこと幸宏君だっての」
一瞬何を言っているか分からなかった。幸宏が三年とグル?
「ビックリしたな、もう。急に怒鳴り始めるし、大西さんの事名前で呼ぶし」
「お前、大西の携帯持って何してんだ…?」
まず肝心な事を聞く。いつもと変わらない幸宏の声に、少しは落ち着いて来たようだ。
「バス停で会って、なんかお前のことで相談事があるってんで今一緒にホームセンター来てるんだけど。あ、相談事ってのは秘密だった?」
横に大西が居るのか、幸宏は少し離れた位置で会話を始める。
「それで、なんでお前が大西の携帯に出るんだ?」
「え?ちょっとしたお茶目心だよ。乾いた智之の毎日に驚きと潤いをね」
その言葉でどっと力が抜けた。そうだ、そもそもさっきの話だって、大西の事だって確証はない。
「周りに上級生居たり、不審人物は居ないな?」
一応万が一の時の為に警戒を促す。
「上級生と言うか、うちの生徒だらけだなー」
準備期間はどこのクラスもやることは同じってことか。
「とにかく、無事に大西を帰らせろよ?」
「了解了解」
軽い返事に不安になりながら電話を切ろうとする。
「あ、あの智之くん?」
すると、携帯から大西の声がした。いや、大西の携帯電話にかけたのだから、これが当然なんだが。
「なんだ?」
もう一度耳に携帯電話を近付け、落ち着いて返事をする。
「私のこと名前で呼んだってホント?」
「…」
気が動転していて、つい名前で呼んでしまったのは失敗だった。
「いや、幸宏の気のせいだ。幸宏って呼ぼうとしてそれがたまたまそう聞こえたんじゃないか?」
これは苦しかったか?と思ったが、いきなり馴れ馴れしく名前で呼ばれるのも嫌だろう。
「ホント?」
「ああ」
どこか探るような声色で聞いてくるが、俺は嘘を突き通した。
「そっか…残念」
「え?」
「でも、今度からは私のこと夕紀って名前で呼んで?せっかく仲良くなったのに私だけ名前で呼ぶのって不公平だと思ってたの」
まさか、このタイミングでそんな事を言われるとは思わなかった。残念そうな雰囲気から一転、良い事を閃いたかのように嬉々とした大西を、止める事は俺には出来なかった。
「分かった。分かったから気をつけて帰れよ?」
再度、今度は大西にも念を押して幸宏に代わってもらった。俺の考え過ぎなら良いが、何故かまだ不安は拭えなかったから。
「それじゃあ気をつけてな」
そっちもな、と言う幸宏の返事を聞き俺は通話を終えた。
翌日、幸宏に帰り道で数人の男に絡まれたが電車に乗りなんとか逃げ切った、と聞いた時は本当に肝が冷え、幸宏が付いていて良かったと心から思った。
繰り返す内に見えてくるものもあるようでないような