第三話 三度目の立ち位置
合唱コンの翌日俺は大西に呼び出されていた。見覚えのある、夕暮れの教室に俺は居た。
「残ってもらってごめんね?藤田くん」
「いや別にいいさ。急ぐ用事もないし」
教室の窓際、最後列に近い俺の席。俺と大西はそこで向かい合っている。近い内に席替えがある為この席とももうそろそろお別れだ。
「それで頼みごとってなんだ?」
「わざわざ人が居なくなる時間に教室で、ってことはあまり人には聞かせられない話なんだろ?」
今の時間はもう授業が終わって、皆が帰宅を始めてから随分経つ頃だった。時計は午後五時に差し掛かろう、といった具合だ。夕暮れがそろそろ青黒く変わり、夜の気配が見え隠れしてくるような景色。
「実はね?相談に乗って欲しいの」
「相談?」
「私、彼氏が居るんだけどね?その彼氏の元カノとちょっと…」
「何かされているのか?」
元カノと何かがあったのは知っていた。昔もそれとなく相談に乗ったり、拙いながらもアドバイスをしたことがある。今回ほどはっきりと相談に乗って欲しいと持ちかけられたことは無かったが。
「元カノさんも彼氏も先輩なんだけど…私のせいで別れたみたいでね?」
「先輩の友達とかにもあんまりよく思われてないんだ私」
そう言いながら辛そうに視線を落として行く。そんな大西をこれ以上見ているのは耐えられず。
「俺で良ければ相談ぐらいは乗るが」
「ホント?藤田くんなら大人な意見が聞けるんじゃないかって思って!」
「ほら、合唱コンの時とか落ち着いてて、なんだか大人な人だなぁって感じたの」
俺が引き受けたことに安心したのか口数も多くなって来た。
「今までは鈴田くんが居る時にしかあまり話したことって無かったけど、これからはもっと声掛けてもいい?」
今まではパートリーダーとして仲良くなった幸宏が、間に居たから話をする機会があったが、合唱コンが終わったのでこれからはそんな機会も無い。その事を考えての呼び出しだったわけだ。
「ああ、構わないよ。まぁ普段は幸宏と居ることが多いだろうけどな」
なんだかんだ言って、普段から一緒に行動することが多いので自然とそうなるだろう。
「あ、そうか二人とも親友だもんね!なんだか私空回りしちゃった」
「ただの友人だけどな」
「またまた照れちゃってー」
そうやって巫山戯合いながら、俺は大西の相談事について考えていた。
(彼氏の元カノか…)
以前はここまで深い事情を知らず、ただ落ち込んでいた大西に精神的な励ましをしていたが、今回は事情が違う。また前回みたいに俺の知っている流れと変わってきている。今はいい流れだが、いつ俺の行動が悪い方向に流れるか予想が出来ない。慎重に動く事が必要だ。
「とりあえず今日はもう遅いから、そろそろ帰ろっか」
そう言いながら、俺の机に置いた鞄を肩にかけ俺を促す。俺は一度窓からテニスコートに目をやり、一度手を振って自分の席から離れた。
「お友達?」
「俺の親友兼幼なじみだよ」
そう言いながら教室を後にする。
学校を出ると辺りは薄暗くなっていて、少し肌寒さを感じた。季節は秋になっていて、今月末にはもう文化祭の準備期間に入る。
「バスすぐ来るね」
「いい時間に学校出れたな」
そう言いながら俺は歩道の縁石に腰掛けた。いくらすぐ来ると言っても立って待っているのも怠い。座りながらバスが来る方向を眺めていると
「あ」
大西が学校の方向を見ながら、そう声を漏らした。
「どうした?」
その声に、俺は大西の視線の先を追いながらそう声を掛けた。視線の先には一人の男子生徒が居た。
「佑樹くん…」
「夕紀?どうしたんだいこんな時間まで。部活は休んだんじゃなかったのかい?」
「ちょっと友達に相談をしてて…」
そう言いながら俺に視線を流す。俺は特に気にした様子もなく返事をした。
「どうも」
やや探るような目を向けられたが、動揺を見せない俺に何かを感じたのか、温和な顔に戻っていった。
「相談?僕にしてくれても良かったのに。勉強のことなら教えてあげられるしね」
「ううん。勉強のことじゃなくて、ちょっと…」
まさか相談事に関わる本人に言えるはずがなく、言葉を濁すしかない大西。ここは少し助け舟を出しても悪くはないだろう。
「クラスの事で色々ありまして。先輩に相談する程のことでも無いんですよ」
「そうだったのか。夕紀、御免よ?力になれなくて」
「いいの。ありがと佑樹くん」
俺が話しに割って入ったことに嫌な顔一つせず笑顔で対応してくる先輩。本当に嫌になるぐらい出来た先輩だ。
「で、君の名前は?夕紀の相談に乗ってくれる後輩の名前ぐらい覚えておきたいんだけれど」
「藤田です。藤田智之、大西さんと同じクラスに居ます」
「藤田君か。これからも夕紀と仲良くしてあげてね。女友達は多いみたいなんだけど、男子とはあまり話せないみたいなんだ」
「はい分かりました」
「酷いよ佑樹くん!私が友達少ないみたいじゃないー!」
先輩は、少し切れ長の目を優しげに曲げながら笑顔で俺に向け、大西には少し意地悪な顔を見せる。
身長も俺より頭一つ分ほど高く、勉強も出来て、運動神経も悪くない、尚且つ優しく彼女思い。こんな先輩の唯一の欠点がモテ過ぎることだと誰も思うまい。
「って、藤田くんもさり気なく同意してるし!」
大西が俺のちょっとした意地悪に気が付いた所でバスも到着した。
俺は二人とは少し離れた位置に座り、一人で考え事をしていた。
「元カノか…」
今は情報が少ないからなんとも言えないけど、元カノがまだ先輩に未練があるとかそう言った話だろう。ただ、先輩の周囲も大西を良い顔で見ていないというのは、よく分からないが。
離れた位置から聴こえる二人分の話し声をBGMに、俺は眼を閉じた。
◇
次の日から俺は、毎日放課後の教室で大西の相談に乗っていた。
「元カノさんが言うには、まだ別れていないって話でね?」
大西の相談事は元カノに嫌がらせを受けていると言う話だった。同じバドミントン部の先輩で、男子バドミントンに居る彼氏先輩とは本当に仲睦まじい様子だったらしい。しかし去年大西が入部し、さらに彼氏先輩が部長になってから二人は別れたらしい。らしいと言うのは彼氏先輩は別れたと言っていたのだが、周囲はそうは思っていなかったという事だった。大西が入部して彼氏先輩が一目惚れしたのか、それとも部長になったことで部活に集中する為になのか俺には理由が分からないが、別れを言い渡された元カノは、大西に良い気持ちは持たなかったのだろう。
「それで大西に嫌がらせか」
元カノも表向きはいい先輩らしいのだが、裏では大西に色々しているようだった。
「一度だけ佑樹くんにそれとなく言ってみたんだけど…」
その時のことを思い出したのか少し気落ちしたような雰囲気が伺える。なんとなく先輩の性格から予想はついた。
「元カノはそういう子じゃない、何かの間違いじゃないか…」
「え?」
俺がなぜ分かったのかといった雰囲気で勢い良く顔を上げる。お互い座っていてもそれなりに身長差がある為、そんなに勢い良く顔を上げて首を痛めないか心配だ。
「なんとなく想像が付く」
「そっかー…」
「表向きが良いなら尚更信じないだろうな。特に先輩みたいに誰にでも優しい人は」
そんな先輩に憎悪を向けられた俺は特殊過ぎるケースだな、と心の中で苦笑いをする。
「そうなのかな…」
「それでどうしたいんだ?」
「実はその…どうしたらいいのかな、ってのが相談したいことなんだけど…」
どうしたらいいか、か。正直こういう場合は彼氏が動くのが一番な気がするんだが、それは望めず。次の案として考えるなら…
「いちいち反応をしないで、堂々と先輩の彼女していればいいんじゃないか?」
以前の経験から推測すると、俺が励まして上手く行ったのなら、大西は嫌がらせに屈しないで頑張ったのだろう。
「堂々と?」
「そう。堂々と」
「何かあったら彼氏に相談。彼氏に相談出来ないなら、木村でも俺でも話を聞いてくれそうな奴に愚痴る」
「理恵は…」
「木村はダメなのか?」
そう言えば、何故木村に相談をしなかったのだろうか。すると大西は目を逸らしながら
「理恵はほら、過激だから…」
「理解した」
コンマ何秒で理解できた。あいつに任せたら、即殴りこみをしに行きそうだ。なるほど、あまり大事にしたくないから、俺にお鉢が回ってきたわけだ。
「なら俺が愚痴でも泣き言でも聞いてやるよ」
「ありがとう…」
「その代わりに」
「私に何か出来ることある?」
「コーヒー奢ってくれ。勿論ブラックで」
何を頼まれるか緊張していた大西がポカンと呆気に取られている。
そうだ、俺がブラックのコーヒーを飲むようになったのは、大西と教室に残っている時によく奢ってもらったからだ。見栄を張って、格好を付けたくてブラックと言ってしまって、それからの習慣だった。
漸く復帰した大西は何故かニッコリと笑っていた。
「ブラック飲めるなんて、やっぱり藤田くんは大人だねー」
そんな皮肉っぽい台詞を残して大西は教室を勢い良く出ていった。
「買ってくるからちょっと待っててねーーーー!」
廊下から聴こえるそんな声に、俺は自然と声を出して笑っていた。
苦いことは良いことだと思う
女の子は甘いもので出来てるけれども