第二話 三度目の達成
パートリーダーが選ばれてから数日経ったが、俺は特にすることがなかった。
パート練習の時に指揮をやらされたり、放課後たまに残って話を聞くだけの日々だ。
「なんで俺をサブリーダーなんかに指名したんだ?」
「ほら、俺ってこういう事するの初めてだし、ちょっと不安だったんだよ」
幸宏は頬を掻きながらそう言って横を向いた。それなら一体なんで立候補なんてしたのだろうか。
「なぁ、ならなんでお前」
「あ、悪いこれからちょっと話し合いあるから。また明日な」
「ああ、頑張れよ」
幸宏は、教室の前で集まっている大西達の所へ足早に向かった。
「さて、俺は帰るか」
何かに取り残された気分を感じながら俺は教室を出た。楽しそうに話す幸宏や大西を横目に見ながら、そろそろ髪でも切るかなどとすでに別のことを考えてた。
◇
「おはよう」
いつもより少し遅めに学校に着いた俺は、教室のドア付近に居た大西達に挨拶をした。
「おはよー…?」
「おはよ」
初めからこっちを向いていた木村は、余り反応が無かったが、振り向いた大西は驚いた様子だった。
「どうした?」
「えっと、藤田くんだよね?」
「ああ」
毎度のことながら、髪型ぐらいでそこまで印象が急変するだろうか。驚いてくれるのは嬉しい半面少し複雑だ。
「あんたって実は腹黒いでしょ。凄いギャップよ、それ」
木村は嫌そうな顔を浮かべながら俺の顔を指差した。
「ギャップ?」
「今までオタクっぽくて根暗そうな奴が、急に髪型変えてきて、それなりの美男子になるって卑怯じゃない?」
言っていて恥ずかしくなったのか、木村は少し顔を朱くしていた。これは新しい反応だ。
「うんうん。藤田くん今まで損してたよ!絶対!」
「あんたどれぐらい髪切ってなかったのよ」
「二年入る前に切ったっきりだから半年?」
木村は盛大に溜息を吐きながら頭を抱えた。近くに居る大西も軽く苦笑いを浮かべていた。
「これからはきちんと身だしなみに気を付けなさい?勿体無いわよ」
「藤田くん折角カッコ良くなったんだから頑張ってね!」
そう言いながら二人は自分の席に戻っていった。
「おうおうおう。良いねぇ我がクラスが誇る美人二人に誉められちゃって~」
まだ、教室のドアに立っていた俺の後ろから、気持ちの悪い声がした。まぁ幸宏だが。
「お前だって印象は悪く無いだろ」
背中にのしかかってくる幸宏を、軽くスルーしながら俺も自分の席へ向かう。
「俺のとお前のとじゃ、全然意味が違うんだよ…」
やけに落ち着いた声でそう言われ、何か違和感を覚え振り返ったが、その時にはもう幸宏は自分の席へ向かっていた。
◇
いつもなら放課後はすぐに帰るクラスメイトも、今日はほとんどが残っていた。
「それじゃあここからビニールテープと飾りの布取って行ってねー。はいコレとコレねー」
大西が教壇の上から次々とクラスメイトに材料を渡していく。今日こうしてみんなで集まっているのは、合唱コンの衣装を作るためだ。
材料を受け取った順に自分の席や、友達の席へ行き各々飾り付けを開始していった。
「はい、藤田くんも」
「ああ、サンキュ」
俺も材料を受け取り席に戻ろうとした。
「あ、待って」
「後でお願いがあるんだけど…いいかな?」
「ああ、構わない」
大西が教壇の上からやや上目遣いに聞いてくる。狙ってやっているなら相当な悪女だが、天然だからさらに質が悪い。内心を悟られないように足早に自分の席へ戻る。
飾り付けが進み、初めは集中していて静かだった教室も、作業が終わった人間が出始めた頃からやや騒がしくなってきた。
「藤田くんちょっと良い?」
「ああ、さっきのお願いってやつ?」
「うん。コレ私の衣装なんだけど」
そう言って差し出してきたYシャツには所々ビニールテープで縁取られ、背中には飾り布が貼りつけてあり、さらに無地の所には色々な絵やメッセージが書かれていた。
「藤田くんも何か書いてくれないかな?」
「なんでも良いか?」
「うん。あ、でも出来れば可愛い感じのが良いな~」
「了解」
教室の雰囲気が楽しいのかニコニコしている大西を横に、俺はすでに書くことを決めていた。
「“ワライダケ”」
「ワライダケ?なーにそれ??」
「大西っていつも笑ってるから思いついた」
俺が書いた文字を広げながら顔を膨らませ抗議してくるが、何かがツボに入ったのか笑い出した。
「変なのー。そんな事言われたの初めてだよ」
「そうか?よく笑ってる印象があったんだが」
「藤田くんって面白いね」
それに
「それに、もう一個意味あるがある」
「変な意味だったら怒るよー?」
「別に変な意味を付けたくて書いたわけじゃないぞ」
「なんか意地悪っぽいからなぁ藤田くん。それでもう一つの意味って?」
「大西が居ると周りに笑顔が広がるって意味だよ」
「えーなんか恥ずかしい事言われた気がする」
大西は身体をくねらせ恥ずかしさを表現していた。それを見ながら俺は、
「まぁ気障だな」
そう言い二人で笑い出した。俺はその笑顔を見て、やっぱり大西の笑顔は周りを明るくすると実感した。
◇
「じゃあ男子はここに二列で並んで。手前がテノールで奥がバス。奥の方は少し曲線になる感じで。そうそうそんな感じ」
「女子も同じく並んでーこっち側がアルト、向こうにソプラノねー」
合唱コンも遂に明後日に迫った今日。俺達は体育館のステージで模擬練習をしていた。
各クラス数時間しか使えないのでみんなの集中力も高くなっている。
「それじゃあピアノ準備OK?始めるから指揮者に集中!」
木村の掛け声で皆一斉に息を呑む。
指揮者が手を上げ、皆が集中する中いよいよ模擬練習が始まった。
「―――」
最後の通し練習が今終わった。数回の通し練習で、ステージの雰囲気や声の通り方が分かり、今終わった練習でかなり手応えが掴めた。
「…それじゃあそろそろ時間だから教室に帰ってから反省点話し合いましょう」
個々に歌い終わった余韻を残しながら、ステージから降りていく。
「藤田くんお疲れ様―」
「ああ、大西もお疲れさん」
ステージを降り、体育館の入口で上履きに履き替えていると横から大西が声を掛けてきた。
「テノール凄いねー。なんかテノールだけ纏まり方が違うと言うか何と言うか。う~ん」
「ああ、それなら藤田が引っ張ってるからじゃないか?」
俺の前に居た男子が俺と大西の声に反応した。
「藤田くんが?でもパートリーダーは鈴田くんだよね?」
「リーダーは幸宏だけど歌ってる最中と言うか、歌で実際に引っ張ってるのは藤田だと思うんだよね」
そう言って上履きに履き替えたクラスメイトは、先に教室へ帰っていった。
「藤田くんって凄いんだね」
「いや、ただ単にこの曲を歌った回数が他の人より多いだけだな」
何度も繰り返しているおかげで、合唱の練習している経験も他のクラスメイトよりも何倍も多いし、耳にする回数も勿論多い。そんな影響がここで出てきたようだ。
「でも、あんな風に言われるってことは上手いんだね」
「自分じゃよく分からないけどな」
そんな会話をしながらも上履きに履き替え、俺達も教室へ急いだ。
◇
―学内合唱コンクール―
そう書かれた垂れ幕が、体育館のステージに掛かっている。今日はいよいよ合唱コンの本番だ。何度やってもやはり本番の空気は重苦しく、慣れることは出来そうに無かった。
「よお智之。なんだお前緊張してんのか?」
幸宏はいつもと変わらず飄々としていた。こいつに緊張は似合わないから緊張して大人しくされても困るのだが。
「お前は余裕だな」
「いやだって楽しみだろ。なんて言ったって優勝候補なんだし?」
先日の模擬練習での評価が割と高く、いつの間にやら優勝候補、などと言われているようだった。
「あんまりハードル上げて本番で失敗してもしょうがないだろ。いつも通りでいいんだよ」
そのいつも通りが緊張で出せそうに無いのが俺なんだが。それは横に置いておく。
「鈴田くん、テノールの調子はどう?」
幸宏とグダグダ話していたら、木村と話していた大西がこちらにやってきた。
「ああ、大西さん。まぁ大丈夫だよこっちは」
「女子もやる気充分だよ!優勝目指して頑張ろう!」
体の前で両手を握り、上下にブンブンと振っている。やや興奮しているのか徐々にスピードが上がっていく。
「落ち着け大西。歌う前に疲れる気か」
「無理よ。夕紀はこういう行事が大好きだから、止めてもすぐにまた興奮し始めるわ」
大西の行動に気が付いたのか、女子の集団で話していた木村がこちらに来ていた。
「なら止め続ければいいだろ」
「そんなに言うなら、あんたが止めてみなさいよ。あたしはもう諦めたわ」
「ふ、二人ともなんか言ってることが酷いよ!?」
そう言いながらも腕はブンブンと止まらない。俺と幸宏と木村は目配せをしながら誰が止めるか審議した。
(幸宏お前止めてみろ)
(無茶言うなよ!)
(言いだしっぺのあんたが、止めて見せなさいよ)
(そもそも幼なじみが諦めるなよ)
(お祭りの度にああなるんだから諦めもするわよ!)
審議は続くが中々結論が出ない。仕方ないので俺が少々強引に落ち着かせる事にした。
「落ち着け大西」
「ふぇ??」
そう言いながら俺はブンブンと上下に振られている手を上から包むように握り、反対の手で頭を撫でた。頭を撫でるのは、昔の癖のようなものだった。
「…」
「…」
幸宏と木村は、無言で俺と大西の動きを見つめていた。握っていた手に、上下に動かす大西の抵抗が伝わってこなくなったので、ゆっくりと放す。頭を撫でる手は依然動かしたままだ。
「落ち着いたか?」
「う、うん」
少し懐かしく、名残り惜しかったが撫でている手を止め、頭から離す。ことの推移を見守っていた木村は漸く頭が回り始めたのか
「こらっ!女の子の頭を軽々しく撫でるな!」
「落ち着いたんだから文句は無いだろ?」
「ぐううううぅぅぅ」
自分が言ったことを思い出したのか反論出来ずに唸る木村。見ていて面白いがあまり怒らせるのも後が怖い。
「悪いな大西。急に頭を撫でたりして」
「ううん。別にいいよ?気にしてない」
大西はそう応えながらも、撫でられた頭が気になるのか、ペタペタとしきりに頭を触っている。
そうこうしている内に俺達のクラスが歌う番が近付いて来た。
「さて、良い感じに緊張も紛れた事だし、いい結果を出すぞ」
そう言いながら俺はステージ横へ向かった。
それに続くように幸宏達も、ステージ横の待機スペースへ向かった。
幕の降りているステージに立ち、本番が始まるのを今か今かと待っている。さっき少し紛れた緊張がまた出てきていた。
何度も経験しているはずの合唱コンでの発表。それでも毎回緊張している。根が臆病だってことの表れなのかもしれない。
いよいよ幕が上がる。
徐々に視界が広がる中で俺はふと、大西はどんな表情をしているのか気になった。
「っ!」
大西と目が合ってしまった。向こうもこちらを見ていたようだ。俺は軽く、大西に向かって頷くと前を向いた。
さっきまでの緊張は、もうどこにも感じなかった。
「―――」
歌が始まってから数秒で手応えを感じた。この調子なら優勝狙える。俺の横にいる幸宏もそう感じているのか、声が良く伸び、通っている。しかし
「―…―」
幸宏の声が途切れ途切れになって来た。今まで引っ張ってきた声が、小さくなっていったせいで、全体的に迷うような歌声になって来てしまった。
「―――」
俺は少しずつ声に力を込めた。急な変化をつけるのではなく、緩やかに、抑揚をつけるように声を大きくしていった。
「――――――」
引っ張る声が現れたことで、迷い気味だった声も力を取り戻し歌が纏まりをみせる。
男子の声に後押しをされるように、女子の旋律も盛り上がりを見せ、さらに歌に力を与える。
「――――――――!」
歌は終わりに向かって加速する。盛り上がりは最高潮に達し、歌っている俺達の声もさらに力を増す。指揮者の顔も笑顔になり、俺達も自然と楽しさが顔に出てくる。いつまでもこの瞬間が続いて欲しい。そんな気分にさせてくれる一体感だ。
しかしそれも終わりを迎える。俺達は最後の歌詞を発し、指揮者が挙げている手を軽く握るのを見守った。
声が止まる。
俺は息を飲み、歌い終わった後の余韻に身を任せる。ステージ上にはまだ音が反響しており、耳には少しの静寂と伴奏の残響が存在していた。
拍手が起きた。最初はこちらから見て前の列、一年生のクラスから、徐々に体育館全体に拍手が響いた。
「なんか凄かったな」
俺達は自分達の席に戻り口々に感想を言い合っていた。まあ俺は聞いているだけだったが。
「合唱コンでこんなに達成感出たの初めてかも」
「だよなー。なんか俺、終わった後ちょっと震えたし」
パートリーダーでもある幸宏と木村はまだ興奮から醒めやらぬように話をしている。
「まだ他のクラスが発表するんだから、少し落ち着いて静かにしてろ」
いくら良い発表が出来ても、観客として態度が悪かったら余計な問題が起きるかもしれない。それを案じて注意したのだが。
「やだやだ、あんたって本当に冷めてるわね。もっとこう他に言うことないわけ?」
「智之~。今のは空気読めてなかったぞ~?」
全く意味がなかった。周りの目に気がつけば寧ろ空気が読めてないのは五月蝿くしているこの二人なのだが。
「そうか、なら好きにしろ。注意されても俺は知らないからな」
そう言って俺は、椅子に浅く座り背もたれに身体を倒し、姿勢を低くした。
「藤田くんて大人だね」
周りから目立たないように体勢を低くしていた俺に後ろから声が掛かった。
「周りのクラス、ちょっといい顔してないもんね」
どうやら大西は周りのクラスから飛んでくる冷ややかな目に気が付いたようだった。余程俺達の発表が上手くいっていたのか、初めのうちは素直に好意的な視線だったものが、興奮冷めやらぬといった様子で騒いでいたせいで、徐々に冷ややかな目で見られるようになっていた。
「まぁな。人の視線には前から敏感でね」
「そうなんだ。私もそういうのわかる方だったはずなんだけど、藤田くんが言わなきゃ気が付かなかったよ」
大西は周りの雰囲気に気が付かなかったことを、少し落ち込んでいるようだった。
「あれだけの発表を出来たんだし、興奮して周りが見えなくなるのは仕方ない」
「でも藤田くんは落ち着いてるよ?」
「俺は…」
なんて言ったらいいか浮かばなかった。こういう経験を何度もしているから。主観じゃもう何歳も年上だから。どれも言えない事だった。こうして考えてみると俺は大西に対して嘘の自分で接しているんじゃないか?そう考えてしまった。慌ててその考えを振り払う。それは考えても仕方のないことだ。何が原因かは分からないが二度もこうして人生をやり直している事は違いない。割り切らなければ先に進めなくなる。
「藤田くん?」
急に黙った俺を心配したのか、大西は後ろから身体を前の席に乗り出して来ていた。
「何でもない。俺はただ…」
「ただ、臆病なだけだ」
“それでは最後に、最優秀賞を発表します”
木村や幸宏、他数名が担任に説教を食らってから数十分後、全てのクラスが発表を終えていた。
学年別の優秀賞はすでに決まり、残す所全学年合わせた中の最優秀賞のみだった。
すでに学年優秀賞はうちのクラスが取っていた。狙うのは優勝。すなわち最優秀賞だ。
クラス全員が固唾を飲んで発表を待っていた。手応えは十分あった。練習以上のものを出せたと思う。今までの経験からも最高の出来だった。しかし
“最優秀賞は”
“二年三組”
しかし、選ばれると予想していてもこの嬉しさは想像以上だったらしい。
気が付けば俺は自然と小さなガッツポーズとしていた。
積み重ねはいつか芽吹く
気がする