第十四話 四度目の涙
◇
「そう言えば雨の日に嫌なことが起こるって当たっちゃったね…」
「ん?」
入院してすぐに夕紀は見舞いに来てくれていた。
持ってきたフルーツの籠からりんごを取り、丁寧な手付きで皮を剥きながら急にそんな事を言ってきた。
「ほら、文化祭で占って貰ったでしょ…?」
「ああ…」
正直夕紀に言われるまで、すっかり忘れていたぐらいだ。と、いうよりも文化祭の次の日には忘れていたような気もするが。
夕紀はどうやら今までずっとあの占いが気がかりだったようで、すっかり眉間に皺を寄せてしまっている。
「あまり気にしてもしょうがないだろ。雨の日の不注意なんて普通に生活しててもあるし」
「そうなのかな…」
夕紀の眉間をグリグリと指で押しながら、心配ないと安心させようとする。
占いは所詮占いだ。当たるも八卦当たらぬも八卦。なんでも占いの結果と結びつけるのも良くない事だ。
「分かった…気にしないようにするよー…」
「だからグリグリ止めてー赤くなっちゃうよ!!」
漸くいつもの明るい夕紀に戻ったな、と言うことでからかうのを止めてあげる。暗い顔も困った顔も夕紀には似合わない。そんな顔するぐらいならまだ怒っている顔のほうが良い。
◇
「なんか毎日見飽きた顔ばかりだな」
「仕方ないだろ、今みんなセンターに向けてラストスパートなんだから」
お前はどうした。そう言いたいが、見舞いに来てくれる事自体はありがたいことなので口にはしない。
「それにしても毎日夕紀ちゃんも大変だねー」
「そんな事無いよ?それに学校じゃ会えないから…」
顔を赤らめながらそう言う夕紀。その雰囲気にアテられたのかゲンナリしたような顔の幸宏。
「こんな冷血人間のどこがいいんだかなー」
「智くんはとっても優しいよ!?」
心外だと言った表情で反論する。それが増々幸宏の表情を苦笑に変えていく。
「幸宏…」
「ん?」
「邪魔者だな…」
そう言いながら肩に手を置く。幸宏の気持ちを知っているだけに、こいつが夕紀の言葉をどう感じているかが手に取るように分かる気がする。空気を変えてやらないとな。
「くっそーーーー俺も彼女作ってやる!」
「幸宏くんならきっと良い子見つかるよ!」
あ。それはある意味止めの一撃だよ夕紀。ほら、幸宏が肩を落として椅子から立ち上がれなくなってるじゃないか。
「ご愁傷様」
肩に置いた手をポンポンと再度慰めるように動かす。頑張れ幸宏…喋らなければお前も見た目は悪くないんだからなんとかなる。身長も俺より高いし良いじゃないか。
飽きること無く病室に通う夕紀。時々フラッと遊びに来る幸宏。夕紀とは別に良く顔を出す理恵。一度だけ顔を見に来ただけの祐也。
こうして俺の入院生活は怪我をしたという悲観に暮れる暇も与えられないほど、慌ただしく過ぎていた。
怪我のリハビリ如何ではまたサッカー等の激しいスポーツも出来るという話だが、正直サッカー選手になる夢があるわけでもないので、日常生活に支障がなければそれだけでありがたい。
幸宏に怪我の事を伝えた時はショックを受けたようだったが、別にサッカーだけが俺達を友達として繋いでいるわけじゃない事を教えると納得したようだった。
◇
入院して数日経ったある日、俺はパソコンを使い色々と調べ物をしていた。色鮮やかなページを更新していると、ノックが聞こえた。もう夕紀が来る時間になっていたようだ。
「こんにちはー」
同室の患者に挨拶しながら、俺の方までささっと近付いて来る。
「こんにちは智くん。体調はどう?」
「なんとかクリスマスまでには退院できそうだよ」
若いという事は思いの外治療に役立つようで、予想以上の早さで退院が決まった。もっとも、ギプスで固定して日々安静が前提条件だが。
「そっか、でも今年のクリスマスどうする??」
「この足じゃ遠出は無理だからな…俺の家か夕紀の家しかないな」
本来ならイルミネーションやらなんやらで、幻想的な光景になっている公園などに行きデートしたかっただろうが、この怪我で断念させてしまう。多少痛みに我慢すれば行けなくもないだろうが、そんな無理をすればきっと夕紀は心から喜んではくれないだろう。
俺の気持ちに罪悪感を感じて泣いてしまうかもしれない。
「うちはお母さん仕事だから誰もいないよ…?」
「そう、か…」
意味有りげな台詞に、お互い意識してしまう。まあ怪我のせいで、そんな邪な想像をしても現実には叶いそうもないが。
「あ、でも松葉杖じゃうちまで来るの大変かな…」
夕紀の家までは電車乗り継ぎさらにバスに乗り、バス停から数分のところだ。まだ松葉杖に慣れておらず、更に短いといえども入院生活は俺の体力を少なからず衰えさせている。
体重も少し増えたような気がする。
「丁度イブは終業式だし、帰りに遊びながら考えるか」
「そうだね!それならケーキとか買って智くんのお家で食べよっか!」
予定が決められなければ決めなければ良い。そんな行き当たりばったりな提案も、二人なら楽しめるだろう。
◇
終業式も無事に終わった。今日の放課後からは短いがイベント尽くしの冬休みだ。学校から出ていくみんなの顔は明るく、期待に胸膨らむという言葉そのままに見えた。
まあ一部を除いて。
「恋人が居る人間は消えてしまえ…」
「爆ぜろ」
「くそっ忌々しい空気だ。肺が汚れる」
俺と夕紀が並んで歩く横を、呪詛混じりに呟きなら歩く生徒が居る。
幸宏を中心とした俺の友人らしき男たちだった。いちいちこちらを見ながら、とても恨みがましそうに愚痴を零すので鬱陶しい。
「幸宏くん彼女出来なかったんだね…」
「そりゃ数日でどうにかなるような相手いないだろ」
もし居たとしてもすぐ正気に戻って別れる事になる。まあ相手と幸宏、どちらが正気に戻るかはあえて言わないが。
さっさと帰ればいいものを俺達と同じペースで歩くためいい加減我慢の限界が近くなってきた。
「クッ…!」
俺が松葉杖を使い、一歩大きく幸宏達の方へ近づいたら、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
構って欲しいだけなら一緒に帰れば良いものを、どうしてこう馬鹿な真似ばかりするのだろうか。
「あまり幸宏くんをイジメないであげて?」
「ん?」
一歩先に進んだ俺を引き止めるように、ブレザーの裾が軽く引っ張られた。
「きっと私が智くんとずっと一緒に居るから寂しいんだと思う」
「…」
夕紀は幸宏の気持ちに気がついていたのか。
が、それが勘違いだという事がすぐに分かった。
「本当だったら幸宏くんは智くんと一緒に遊びたいんじゃないのかな…私がこ、恋人になる前はもっと一緒に居たはずだろうし!」
恋人と言うだけで赤面するなら言わなければ良いのに。
しかし、そっちの意味で来たか。幸宏ホモ疑惑。いかん、考えただけで寒気がする。
幸宏の気持ちに気が付いているのかと思えば、とんだ天然思考だった。
「まあ最近遊びに行ってないのは確かだけどな」
「でも、それはあいつが俺らに気を遣ってるだけだからな。それを悪いと思ったら、あいつも報われないだろ」
「そうなのかなー…」
「あいつが自重してくれてるなら、俺達はその分楽しまないと」
夕紀の楽しそうな姿を見せる。そして安心させる。それがきっと幸宏の気持ちに俺が報いる事のできるたった一つのやり方だと思う。
何度も繰り返すことで見えてきた、自分以外の人間の気持ち。それを大事にしていきたい。
帰りがけに駅のケーキ屋でショートケーキを買い、フライドチキンなんぞを見繕い帰宅する頃には、もうすっかり日は落ちて冬独特の澄んだ夜空になっていた。
電車を降りると、暖まっていた身体を夜の風が冷やす。家につく間、俺達は無言で身を寄せ合っていた。俺の身体を、支えるように歩く夕紀。
松葉杖を突くのに体力を消耗したと言って俺は、近くの高層マンションの敷地内にある公園のようなコミュニケーション用の広場へと進路を変えた。
夏だったら緑いっぱいの葉を茂らせていたであろう木々に囲まれ、不思議と静まり返った空間。こういった静謐な空間もまた冬ならではだろう。草の擦れる音さえもなく、ただ俺達の呼吸音が響く。
「静かだね…」
この静まり返った空間を壊さぬよう、恐る恐ると言った様子で声を出す。小声だが、それでも良く響く。夕紀は呟きながら俺の左側へ立ち、そっと身体を支え続けている。
「そうだな…」
俺は松葉杖を束ね、右手に持ち体重をそこにかける。空いた左手でズボンのポケットを探る。カサッと紙特有の感触が指に返って来る。
怪我をしていなければもっとスマートに事は進むのに、と苦笑しそうになるのを堪えながら。
「…」
「…」
俺の様子に気が付いただろうが、夕紀は言葉を発さず、ただ俺と同じ方向を見ている。
きっとこちらを向けば夕紀はガチガチに緊張してしまうだろう。その点で、とてもいい判断だと思った。
「夕紀」
「ッ!?」
こちらを向かなくても、すでにこの場の雰囲気に飲まれたのか、極度の緊張状態であったようだ。
俺はズボンから目的の物を取り出さず、まずは左手で夕紀を引き寄せた。不意の動きに驚いたのか、たたらを踏みながら腕の中にすっぽりと収まる。こうして抱き寄せると、本当に小柄で可愛らしい。それでいて元気に満ち溢れている。
「智くん…?」
夕紀が体勢を整わせたと同時に引き寄せていた手でズボンから綺麗に包装された小箱を取り出す。一時期寝不足になりながらも、父親の仕事を手伝い、なんとか買えたクリスマスプレゼント。
「メリークリスマス」
それを夕紀へ渡す。俺の胸に横向きになりながら体重を預けている夕紀は、目の前に出されたプレゼントにキョトンとしていた。
「メリークリスマス、夕紀」
もう一度そう言って、夕紀の手にその小さな小箱を渡す。
ようやく恐る恐るプレゼントを開けようとするが、手が冷たくなっているのか、震えて上手く開けられないようだった。手伝うように包装紙を剥がし、ツヤのある白い小さな箱が現れた。
「智くんこれ…」
視線で開けるように促す。
箱は上から全体を隠すように蓋になっていて、空気抵抗と摩擦でゆっくりとスライドしていく。
蓋が数秒かけ上がりきると、そこには銀色とそれに負けぬ輝きを見せる虹色が見えた。
「智くん…」
「石はイミテーションだけど台座はちゃんとしてるはずだよ」
給料三週間分の結晶。色々探してようやく見つけた、夕紀に似合いそうな銀の指輪だ。
プラチナや錆びにくいクロム加工の物も考えたが、そうするとどうしても夕紀のイメージに合わず断念した。夕紀は傷つきやすいが柔らかく光る銀が似合うはずだ。
夕紀は小さな箱に堂々と鎮座するそれをじっと見ながら、プルプルと身体を揺らしている。
夕紀の驚く顔がもっと見たかった。
「少し早いけど」
そしてそれ以上に
「卒業したら結婚してくれ」
嬉し泣きが見たかった。
高校卒業と同時に結婚。きっと馬鹿馬鹿しい話だ。
特に学生結婚なんて無謀以外のなんでもない。
だから勿論実際は婚約で良い。それでも結婚という言葉を使ったのは、ある種の決意表明だった。
「…っ」
夕紀は指輪の箱を大事そうに抱え込みながら、何度も何度も頷いてくれた。
◆
その日俺は夢を見た。そしてこれは夢だと自覚していた。
そこは小さな踏切だった。線路があり、その向こう側にある遮断機のすぐ下に、女の子が立っている。どこかで見た事のある子だった。
女の子はじっとこちらを見ていた。俺にはその顔はなぜか泣いているように見えた。なぜ俺を見て悲しそうな顔をするのか。
理由も分からず、そして向こう側へ行って理由を聞くことも出来なかった。遮断機はずっと下りたままで、開く気配もなかった。
そのうち周りの風景だけが動いていることに気が付いた。
季節が移ろっているのだ。花が咲き、緑が生い茂り、色が落ち、葉が落ちる。
ゆっくりと、だが確実に時間が流れている。
しかし、件の少女だけが何も変わらずにそこに居た。
その悲しそうな顔は寂しいからなのか?
そう思った時、俺は意識が浮上していくのを感じた。
夢から覚めるのだろう。
夢から覚めた俺はこの事を覚えているだろうか…。
覚えていなくてもいつか思い出せるだろうか…。
いつか理解する時が来るだろうか…。
◆
やっと言えた。
やっと辿り着いた。