第二話 二度目の失敗
その日から俺は夕紀と話す時間をなるべく多く作るようになっていた。
「大西おはよう。今日はちょっと遅いんだな」
朝のHRが始まる前や
「あれ大西?今日は弁当じゃないのか?なにかオカズ貰おうと思ったんだが」
昼休み
「ソプラノの方は調子どうだ?良かったらテノールと一回合わせてもらえないか?」
放課後は勿論の事
「さっきの授業の最後の問題出来た?ちょっと教えてくれない?」
授業の間の少ない休み時間でさえも何かに突き動かされるように距離を近付けようとした。
しかし、そんな性急な態度の変化を周囲が受け入れてくれるはずはなく。次第に怪しくなっていく雲行きに周囲は警戒を強めたのだった。
「なんか最近あいつウザくないか?」
「あんな奴だっけ?」
「あからさま過ぎて気持ち悪いわ…」
「誰か止めなよ」
「確か一組にあいつの幼なじみが居るだろ。誰か呼んでこいよ」
そうして数日経った後、呼ばれた幼なじみに止められ忠告を受ける。
「待て待て待て。冷静になりなさい。そんなんじゃ逆効果だよ!」
そこで、漸く自分が予想以上に、この有り得ないチャンスに浮かれていた事に気が付いた。
「なにやってんだ…っ!」
放課後の教室で、窓から見えるテニスコートを眺めながら、肺に溜まった空気を全て吐き出すようにため息を付く。
俺と夕紀の関係改善は悪化の一途だった。ここ数日、放課後に学内合唱コンクールの打ち合わせなどをする時は声を掛けることが出来るが、それ以外の場面では理恵が睨みを利かし近寄れないようになっていた。
元々ニコニコと笑顔を絶やさず明るく、誰にでも気さくな夕紀は、周りの反応が悪くてもそれなりに会話はしてくれていた。それも、苦笑をしながらだったことに、今冷静になると気が付く。
だが今日になって、俺との話が彼氏にまで届き少し喧嘩した、と噂になってからは理恵がボディガードやSPのように、俺を見張るようになった。いや、これも冷静になれば当然の対応なのだが。
「これはどうしようもないな…」
「ホントにどうしようもないね~」
俺にとっては聞き慣れ過ぎて、もはや心落ち着くBGMのように聴こえる緩い声で背後から話しかけられた。
「祐也か」
幼なじみである青木祐也だった。祐也は天然パーマがかかった柔らかそうな茶色い短髪を、風に揺らしながら俺を同じように窓へ近付いてくる。
「祐也か、ってのは酷いんじゃないかな?折角たまには一緒に帰ろうかと思って誘いに来たのに」
「部活どうしたんだ?テニス部だろ?」
「ん~、まぁ部活行く気分じゃないってとこかな?」
こいつにまで気を遣わせているな、と少し情けない気分になる。中身の年齢は成人しているのになんだか、こいつには頭が上がらないような気がする。
「んじゃ帰るか。明日になればまたいい考えも浮かぶだろう」
「トモ、お前さんはもう振られたんだからもう諦めなよ」
比較的親しい人間が使う“トモ”という呼び方。
そんな響きに少し元気を貰いながら教室を出た。もはや日中の白さを失い朱が混じっているリノリウム製の廊下を歩くと。
「あ、」
廊下の先、体育館に続く方向から声がした。
体育館と教室を結ぶ廊下。途中を曲がると階段がある。その階段よりも少し教室寄りに、部活のユニフォームを着た夕紀が居た。体育館から教室に向かう途中だったのだろう。だが、俺に気付き声をあげたようだった。
「大西さんってバド部なんだね」
横にいる祐也の呟きを聞きながら、俺は足早に夕紀とすれ違い階段へ向かう。
冷静になった今では、これまでの自分の行動が恥ずかしく思えて、まともに顔を合わせられなかった。
階段を降りていると後ろで、少し低い男性の声で夕紀を呼ぶ声がするのが聞こえた。
それは紛れも無く、夕紀の彼氏である先輩の声だった。階段に響くその声からなにやら剣呑な雰囲気を感じ取った。祐也は仕切りに振り返っていたが、それでも俺は足早に昇降口を目指したのだった。締め付けるような胸の痛みを感じながら。
◇
そして合唱コンクールは大きな事件もなく終わり、俺は夕紀との接点を失くした。二度目の出会いは最悪の形でスタートしたのだった。
そして、それからも関係の改善を望めないまま、秋になり高校生活の一大イベントとも言われる文化祭シーズンを迎えた。
◇
文化祭準備期間になり、俺もクラスメイトと教室で文化祭の為に作業をしていた。
「なんでうちのクラスは、こんな出し物なんだよ…」
クラスメイトが愚痴っているがそれも仕方ない。我がクラスの出し物は創作人形劇なのである。しかも脚本は担任。
「担任が童話好きな時点でなんかマズイ気がしてたんだよな俺」
「いい歳して童話ってなんだよ」
「まぁでも自分たちが出るわけじゃないだけマシじゃないか?」
「確かに。ホント、体育館借りれなくて良かったなぁ」
クラスメイトも口々に愚痴を吐いているが、担任は元々は演劇をやりたかったらしい。
だが体育館を借りられなく、仕方ないからといって教室で人形劇をやることにしたそうだ。
しかし、普通こういう出し物って生徒が案を出して多数決とかで決めないか?そんな疑問を飲み込んで、今はその人形劇で使うセット作りに勤しんでいるのであった。
「でも」
周囲の目が自分に向くのを感じた。
「藤田がこういうの作るのが得意で助かったな。設計から何から全部丸投げだもんな俺ら」
「ホントホント。中学じゃ技術の授業とかで工作なんかしたけどさ。いきなり舞台作れとか言われて無茶だと思ったぜ」
「助かったぜ藤田」
「…まぁうち父親が職人だから日曜大工ぐらいの規模ならよく作るし、なんとかね」
「お前を少し見直したよ」
そう言いながら、体育会系の男子が肩を思いっきり叩いてきた。
このところの俺に対する不評は、男子に限り薄らいでいた。舞台などのセットを男子に割り振ったのは良いものの、中々作業が進まずにいた。仕事で施主にデザインを説明する時のように、その場でちょっと軽い設計図を作ってみたところ、それの評判が良かったのだ。完全に裏技を使っているわけだが。それで作業がうまく進むなら使わない手は無かった。
多少ぎこちないながらも和気藹々と作業が進んでいたのだが、その空気が一瞬で萎んでいった。
「男子しっかりやってるの!?」
家庭科室で人形作りをしていた女子が戻ってきたのである。
近年、女性の自立志向による男性社会への進出、浸透は著しい物があり我々男性の威厳や立場といったものはゴニョゴニョ……閑話休題。
とにかく俺の居る学校も女子が実権を握り、男子は、なるべく逆らわないように動いているのである。それは生徒会役員がほぼ女子で構成されている事にも伺える。
そんな中では、いくら男子との間にある壁が低く、薄くなってきたとしても、女子との壁はどうしようもないほどになっていた。
男子もそれを分かっている為、女子が入ってきた時に、俺との距離を少し開けている。
「藤田もサボってないでしょうね?」
「木村、いくら俺でもこれ以上不評を買いたくはないさ」
「そう」
相変わらず理恵は夕紀のボディガードである。文化祭後の生徒会選挙にも付いていきそうだ。
(前の時はそんなことは無かったが今回は俺がやらかしたからな。有り得そうだ)
「理恵、流石にそれは言い過ぎだよ!」
理恵の後ろに居たのだろう。夕紀が前に出てきてフォローしてくれるが、そのフォローがまた周りの俺に対する目をキツくさせる。
「こっちは順調だから、ささ、お嬢様方はお人形作りにお戻りくださいな」
多少の嫌味を込めてしまう事に、まだまだ俺も子供だなと思いながら退出を促す。
「ちょっとあんた!最近手の平返したように夕紀の扱いが雑になってない!?」
「付きまとって欲しいのか、距離をとっていいのかどっちなんだお前」
「なんか言った!?」
幸い俺の呟きは聞こえなかったようだった。なので、俺は再度退出を促した。
◇
そんなギスギスした日常を繰り返しながら迎えた、文化祭初日。
俺は教室のドアの横で、自分が設計した舞台で演じられる人形劇を見ていた。
真っ暗な教室の中、ライトに照らされている人形劇の舞台。横長の長方形に切り抜かれた舞台で、夕紀がヒロインを演じていた。
物語も佳境に差し掛かり、ヒロインが王子様に再会するところだ。
「僕はあなたともう一度出会うために幾つもの世界を渡って来ました」
「私なんかでは、あなたのような高貴なお方と釣合いません…」
この物語はファンタジーの世界に迷い込んだヒロインと、その国の王子様との王道恋愛物だ。
今は、自分の世界に帰ってしまったヒロインを追って、様々な世界を渡り歩いた王子が今漸くヒロインに再会したという場面だ。
(俺もこんなエンディングを迎えたいんだけどな…)
苦笑気味にそう思った。だがやはり現実は厳しいものだった。今考えても、当時すでにクラスの人気者であり、後の生徒会副会長として生徒を仕切る女の子である大西夕紀と、一般生徒で何の変哲もない帰宅部だった俺が、良くもまぁ付き合えたものだと思う。
(やっぱり俺達の巡り合わせって、色々と奇跡的な流れにあったんだな)
人生は偶然の積み重ねだ、なんて哲学的な事を考えていたら教室が明るくなった。
『ご来場の皆様。本日はお越しいただき誠にありがとうございました』
教室にマイク越しのアナウンスが響く。どうやらいつの間にか人形劇は終わっていたようだ。
お客さんが次々と教室から出て行き、後に残ったのはクラスメイトだけとなった。
今日の公演は今の回で終わりだ。あとは明日の打ち合わせや、今日の反省、今日の片付けを残すのみだった。
「それじゃあ反省これぐらいにして、また明日の一般開放ためにチャッチャと片付けちゃいましょうか!」
その掛け声と共に、女子は客席側から見て向こう側、舞台の付け根に隠して置いてあった人形を片付け始めた。
男子はガムテープなどで動かないように固定してあった舞台や設置してあった照明装置など重量がある物を運ぶため動き出した。
「舞台向こうに寄せちゃうから、そっちのガムテ外してくれないか?」
「ああ、了解」
「あれ?人形一個足りなくない?」
「あ、舞台の下にあるよ。取ってくるね」
俺は客席側から舞台を照らしていたライトなど、照明器具を運んでいた。
「あ」
誰の声か分からないが、そんな声に振り向き見たのは、しゃがんだ夕紀の背中に倒れ掛かっていくベニヤ製の舞台だった。
いくらベニヤと言えども、骨組みは木材で組んであり舞台の横幅もそれなりにある為、男子三人ほどで動かすぐらいの重量がある。特に観客から演者を隠す部分は、重心を取るため少し重めに作っていた。
それが何故かバランスを崩し、ゆっくりと夕紀覆いかぶさろうとしていた。
「何やってんだっ!」
俺は持っていたスタンドライトを離し、舞台と夕紀の間に滑りこむように入り込んだ。
「くっ」
頭と肩、二の腕に舞台がのしかかる。が、それよりも気になるのは、入り込む時に捻った左手首だった。
「くっ…早く、舞台を、起こして、くれ…っ!」
男子三人で移動させるものを一人で支えるのはいくら何でも無茶だ。特に帰宅部で、非運動系の俺にはかなり無理があった。
「「「いっせー、の、っせ!!」」」
体半分に掛かっていた重みが無くなると同時に、体中から汗が吹き出してきた。
「助かった…」
脱力と共に尻餅を着く体勢になったが、すぐにズボンに付いた埃などを払って立ち上がる。すると男子がこちらの様子を伺ってきた。
「大丈夫か?怪我とか」
「あ、ああ。ちょっとびっくりしたけど平気だよ」
「それにしても良く反応出来たな!」
「おい、その前にコレ移動させてたの誰だ?」
「ごめん僕達が…」
「ゴメン…」
申し訳無さそうに謝ってきたのは如何にも文化系の二人だった。
「お前達が二人で運ぼうとするなよな!」
「い、いやみんな忙しそうだったから…」
「俺等でさえ三人で運ぶのにお前等で運べるわけ無いだろ!?」
「怪我人でたらどうする…」
そんな会話を横目に俺は背後を見た。正直、立ち上がってから男子に囲まれている間も、夕紀が怪我して無いか気になって仕方がなかった。だが、過剰な反応をすると前の二の舞になりそうで怖く振り向くことが出来なかった。
「夕紀、平気!?」
案の定理恵が一番に駆けつけていた。きっと過剰に心配していたら鬼のような形相でこちらを見てきただろう。簡単に想像できる。
「うん、大丈夫。少し驚いたけど怪我はないよ」
その言葉を聞いて、背後の音に集中していたのを気付かれないように教室を出ようとした。
(ふぅ、良かった)
「ちょっと!!なんでこんな重たい物を作ったのよ!」
「え?」
理恵の発言に男子が唖然としたのが分かった。前から理恵の夕紀に対する過保護っぽさはあったが、俺のせいもあり、最近はそんな行動や性格が顕著に現れるようになったと思う。
しかしこの発言は酷かった。元々女子に頑丈な作りを要求されていただけに、男子は信じられないものを見たような眼で理恵を見ていた。
俺は一回目の経験があるから、理不尽な罵声もあまり気にならないが。
「なん…だよそれ!」
他の男子は普段の扱いもあって少々沸点が低く設定されていたようだ。が、
「これの責任者誰!?出てきなさいよ」
理恵は取り合わず、さらに文句を言うために男子のリーダーを探し出し、吊るし上げようとした。男子は木村の放った因縁に今にも声を荒げそうな雰囲気だった。
そんな中、俺は教室を出ようとしていた足を止めざるを得なかった。
「俺だよ」
何故なら責任者は勿論俺だ。なんせ設計図から、部材の組み方まで、俺が指示していたのだから。
「あんた…っ!!」
理恵は明らかに敵意を持った表情で俺の方を向いた。流石にそこまでの表情を向けられるほどだとは思わなくて苦笑をする。
「こんな重くして、倒れて誰か怪我したらどうするつもりなの!」
「演じてる最中倒れないように、重心を下にしてるから、滅多のことじゃ倒れないんだよ」
「実際倒れたじゃない!」
「それは移動中の不注意だろ。設計上の問題でも作った男子の責任じゃない」
「責任者なら移動する時も注意してなさいよ!」
「重いから移動は左右一人ずつ、中央に一人で三人。出来れば運動系の部活やってる人間で。そういう話はしてあった」
「それに…」
「俺は制作の責任者にはなったけど、この人形劇全体の責任者になったわけじゃない。片付けに関してはその責任者の仕事だろ」
「その証拠に俺は、照明の片付けを全体責任者である木村に言い渡されてたんだけど?」
正直、どちらもほぼ言いがかりに近かったがある程度の正論を含めながら言った。本来ならきちんと話し合うべきなのだが、頭に血が昇っている木村を落ち着かせる時間も俺には惜しかった。
周りの男子に目配せして、残りの舞台移動と落としてしまった照明などの片付けを頼みながら俺は木村に背を向けた。
「ちょっと、何処に行くつもり!逃げるの!?」
「今回のことを担任に報告してくるだけだよ。制作責任者としてね」
そう言って足早に教室を出る。ギャーギャー騒いでいるけど、俺が居なくなれば落ち着いて騒ぎも収まるだろう。こういう経験も、今となっては懐かしい。
ガラッ
「失礼します」
担任に報告を済ませ、その足で保健室に行くと先客が居た。さっき足早に教室を出たのは、保健室で手首の様子を見て貰おうと思ったのだが。
「あ、藤田くん…」
「…大西か。怪我してたのか?」
「ううん。ちょっと、ね」
正直気まずい雰囲気だった。ここ最近ほぼ会話もなく、被害者と加害者の関係のように暗黙で距離を取っていた為、沈黙が夕暮れの保健室を包む。
「保健の先生居ないのか?具合悪いならベッド借りたらどうだ?」
ぎこちないけど、なんとか以前のような口調になれたと思う。多少声が震えていた気がするが、取り返しは付かない。
「違うの。その…さっき助けてくれたでしょ?」
「…助けたというか、咄嗟に身体が動いたってやつだけどな」
「その時、藤田くん手首痛めてなかった?左手」
「っ」
夕紀に気づかせて気を遣わせるのが嫌だったから、ああ言って自然に教室を出たつもりだったのに、どうやら気が付かれていたらしかった。
「いや、元から左手で作業してたから、それでちょっと、痛めてたんだよ。俺左利きだしな」
慌てて嘘を言った割には、それなりに説得力がある嘘が出たと思う。確かに最近はのこぎりばかり握っていたりしたから、左手は筋肉痛だったりする。左利きだというのも本当だ。
「でも…」
「気にすんな。湿布とかすると周りが軟弱だ、とか茶化してきて、五月蝿いからしてなかっただけだから」
詐欺師になれるんじゃないか?と思うぐらいペラペラと嘘が出てくる。だが嘘も方便というやつだ。
「あ、じゃあじゃあ!せめて湿布は私が貼るよ!」
手首が痛いのをバレたなら仕方ないと、湿布があるだろう棚を漁っていると、夕紀がそんなことを提案してきた。
「いや湿布ぐらい自分で貼れるよ」
「藤田くんがそうやって嘘ばっか言うから、私も勝手に責任感じて湿布貼りたいの。お詫びさせて?」
「いや分けわからないからその理屈」
「嘘だよ!私見たんだから。藤田くんが私を庇ってくれる時に手を捻ったところ」
格好悪くて仕方なかった。助けに入って余計に怪我するとか、恥ずかしい所を見られていたとは。
「とにかく大西は何も気にすること無いから。な?」
「貼ります!」
「いや良いから!」
「貼る!」
「貼るな!」
そんな騒ぎを数分していたら、保健室のドアがなんの予兆もなく全開になった。
「夕紀、怪我したって聞いたから保健室に来たんだけど!!…何してるの?」
「あ、佑樹くん…」
先輩だった。夕紀の彼氏である。
「心配したよ、怪我はない?」
「うん、私は怪我しなかったよ」
「私は、って事は怪我人いたの?」
「藤田くんが私を庇ってくれた時に、ちょっと手を捻っちゃって」
「藤田…?」
我関せずの心で気配を消していた俺を、先輩が見るのが分かった。刺さるような視線を頬に感じる。
「藤田…そうか君が藤田君か」
夕紀と話をしていた時の温和な表情から一変して、剣呑な雰囲気を出す先輩に、夕紀も驚いているようだった。
「佑樹くんどうしたの?」
「君が夕紀にちょっかいを出していた、藤田智之君か」
「…」
なるほど、俺の事はフルネームまで耳に届いていたわけだ。事実だから言い訳も出来ないけれども、彼氏本人から直接言われると、ちょっと胃の辺りが痛くなる。
「で、君が夕紀を助けたって?実は自作自演なんじゃないのかな?」
「夕紀の気を惹くために」
一瞬頭がカッと熱くなったがすぐに冷えた。言われて気が付いたが、確かにそうとも取れる状況だった。舞台の設計、制作は俺の指示のもと行われ、その舞台が偶然夕紀に倒れてさらに偶然にもそれを俺が助けた。
自作自演などと言われてもおかしくない流れがそこにはあった。
勿論邪推されればの話で、そんな気は無かったが、以前俺がした行動を知る人が、一度思い浮かべば十中八九信用するほどの推理だった。
「ちょっと佑樹くん!酷いよそんなって」
「夕紀は少し黙っていてくれないか。僕は以前から少し頭に来ていたんだ」
「…」
「何か言うことは無いのか藤田君」
前からこの人は苦手だった。とても大人で、理性的で、夕紀を大切に思っていて、夕紀と別れるその瞬間まで男らしかった。
◆
放課後、部活も終わり人がほとんど残っていない廊下に三人の影が伸びていた。
先輩は寂しさと悔しさで瞳を滲ませながら口を開く。
『夕紀、夕紀が藤田君を選ぶというなら、僕に何か悪い所があったんだろう。これからはそれを直して、夕紀がいつか昔話をする時少しでも自慢出来る元彼になるよ』
しかし声を詰まらせること無かった。
『夕紀、幸せになってね』
「大西さんにちょっかいを出していたのは事実です。気分を悪くさせて、すみませんでした」
「認めるんだね」
「はい、ですが。今回の件は事故です」
「…どうだかね。僕は君を信じられない」
「っ!?佑樹くん!!」
夕紀が必死に先輩を諌めるが、先輩は聞かず俺を見つめる。しかし、俺はこの場をどう着地させるかよりも、昔先輩が言った言葉が胸に刺さって、ジクジクと痛かった。
(誇れる元彼に俺はなれていただろうか)
(別れる最後まで夕紀の幸せを願えただろうか)
「聞いているのかい?」
意識を内側に飛ばしていた俺に、業を煮やした先輩が、少し近付いて声を掛けてきた。そこで漸く意識が現実に戻り、考えていたことが霧散した。
そして、どうこの状況を切り抜けようと頭が回転し始めた。
(とは言ったものの、今俺に非はないはず。ここは堂々と帰ろう)
「なるほど、ここは若いお二人に任せて私はこれで…」
「馬鹿にしてるのかい?」
ダメだった。真顔で行けば多少強引だが行ける気がしたんだけど、真面目な先輩には効かなかったようだ。夕紀はそんな俺の態度に少し面食らっていたようだ。こういう修羅場は何度も経験しているため無駄に耐性が高いのが災いしたようだ。
「いえ、俺なんかに構ってるよりも恋人同士で、有意義な時間を過ごしたほうがいいのでは?という、率直な意見だったんですけど」
「ほら、大西さんもそう思って居そうですよ?」
「夕紀?」
急に振られた夕紀がしどろもどろになっている。その内に、素早く湿布を拝借し逃げるように保健室を出た。
背後から呼び止める声がするが、復活した夕紀がなんとか引き止めてくれているようだ。夕紀としてもここで事を荒立てたくないのだろう。
「なんか逃げる事多いな…」
そんな情けない事を思い返しながら俺は湿布臭くなった廊下を昇降口目指して歩き始めた。
夕紀と先輩が大喧嘩をしていると聞いたのは、そんな文化祭が終わってすぐのことだった。
ファーストコンタクト、ファーストインプレッションってとても大事