第十話 四度目の試験
◇
三年にもなるとテスト期間であろうと無かろうと、参考書を開いている生徒が多い。
推薦で進学が決まった連中は焦りが無いので、今は参考書を開いている人数も減ってきている。
しかし、そんな推薦組のはずな俺も、なぜか参考書を開いている。
「ぼーっとしてないでここ教えなさいよ!」
元凶はこのツンツン娘。とにかく喧しいこと極まりない。
「さっきと同じパターンの引っ掛け問題だろ。少し考えてみろよ」
この自習室には五人生徒がいる。三年の教室の一番端にある元空き教室。そこに机を入れ自習室にしたのは、いったい何年前の先輩達だろうか。もちろん、学校が決めた用途では無いため、正式に自習室という表記はない。
「その引っ掛け部分が分からないんでしょ!?」
「教えてやってるのになんだその反抗的な態度は」
「あんたの教え方が不親切だからでしょ!」
「あいつらも変わらねぇなー」
「そうだね」
「そうなんだ~」
順に、幸宏、夕紀、祐也だ。この教室に居るのは俺と理恵含めこの五人。
普段はもう少し居るようなのだが、今日に限っては図書室などに分散しているようだ。
「前から喧嘩してたからなこいつら」
「でも前は、あまり智くんから酷いことは言ってなかったかも」
「夏休みに何かあったのかもね~」
俺が理恵を論破する間、何やら好き勝手に話が展開しているようだ。祐也がなにげに鋭いのが怖い。この幼馴染はぼーっとしているようで、本当に物事を良く見ている。
「夏休みに旅行に行ったんだよ。少し長めのな」
「へ~。思春期特有の自分探しってやつ?」
「そう言われると否定したくなるが、まあ似たようなもんだ」
そう、とても長い旅だ。体感時間で十年近い。今回で、この長かった旅を終わりにするんだ。夕紀との約束を守って、夕紀に一つでも多くの笑顔を、幸せな未来を見せてあげたい。
「そうなんだー。ねえねえ旅行楽しかった?」
夕紀がそう無邪気に聞いてくる。なんだかんだ言って理恵も気になるらしく、シャーペンを止めて横目でこちらを伺っている。
「そうだな…」
楽しくなかったかと言われればそれは違う。悲しいこともあった。苦しいことも、悔しいこともあった。
でも、俺はこの原因不明のタイムスリップを心から喜んでいる。
「そうだな楽しいよ」
「楽しいよ??」
「いや、間違えた。楽しかったよ」
「それより、試験勉強しましょうよ」
「そうだな。じゃないと何の為に集まったのか分からなくなる」
理恵が焦れたようにそう言うと、幸宏も慌てて教科書とノートに向かう。試験まであと数日、俺にとっては何度目かになる中間試験が始まる。
◇
絶望の鐘が鳴り、終末の音が響く。
まさにそんな様子で、各々筆記用具を置く音がする。同時に教室の至る所から、「はー」だの、「ふー」だの溜息や気の抜けた声がする。
試験一日目、最後の試験が終わった。
一日目らしく、みんな気力十分といった様子でテストに臨んだようだったが、いざテストが始まると、唸り声や溜息などあまり良くない雰囲気であった。
何はともあれ、全3日で行われる中間試験の内、一日が無事終わった事に変わりはない。
「どうだった…」
一瞬誰だか分からなかった。あまりに低い声で弱々しい為、空耳かと思ったほどだ。
「その様子じゃダメだったみたいだな幸宏」
試験期間一緒に勉強をしていたが、数日経つと勉強に飽きてきたらしく、著しく集中力を欠いているのが丸分かりだった。きっと大して頭に入っていなかったのだろう。
「その様子じゃそっちは今回も無難に終わったようだなー…」
「まあ日々の積み重ねだな」
何度も高校生をやればそれなりに頭に入る。満点を取れずとも、平均点よりは上、八割九割は取れることだろう。
「秀才で性格も大人で、なおかつ可愛い彼女まで居る。もうお前は一生分の運をここで使い果たしてる
んだ。そうに違いない…」
テストの手応えの無さから、なぜ俺に対する怨念篭った恨み言に飛ぶのか理解に苦しむ。
イラッとしたので躾を施す。
「あ、智くんお疲れ様―」
廊下までゴミ虫を引きずりながら歩いて行くと、隣の教室から丁度夕紀が出てきた。
「お疲れ様」
「幸宏くんまた何かしたの??」
頭を捕まれ動かなくなっている生ゴミに夕紀が気付いたようだ。
「夕紀の悪口を言ったから躾けておいた」
「ひ、酷いよ幸宏くん~」
「ちょっと待てい!?誰がいつ夕紀ちゃんの悪口を言った!濡れ衣だ!!」
そんな幸宏を無視して、俺は購買へ向かおうとする。
「どこか行くの??」
「眠気覚ましを買いにな」
夕紀を話しながら購買へ行き、自動販売機でコーヒーを買う。
「またブラックだねー」
「まあ…何と言うか、癖だな」
前世というか、前回というか、昔からの記憶でコーヒーを買う時、いつも自然とブラックを選んでいた気がする。
「この間の文化祭の時も、喫茶店でブラックコーヒー頼んでたね」
「あー、そうだったかな」
自分の飲み物はあまり覚えていない。ずっと夕紀の事を見ていたから。そんな、こっ恥ずかしいセリフを言えるわけもなく。
「えーっと俺は邪魔者?」
「そ、そんな事無いよ!?」
あ、まだ幸宏居たのか。
「口に出てるよ!」
「すまんすまん」
「あんた達探すの簡単ね」
そこにすっと理恵も合流した。今日もこれから自習室を使って、互いに復習の時間を作る事になっている。泣きついてきたのは幸宏だ。
「悪いな、探したか?」
「別にあたしは良いんだけど!あんたの幼馴染がニコニコ笑って待ってるから、なんだか申し訳ない気がするのよね」
「まあそういう奴だ。気にするなよ」
「あんたは気にしなさいよ!」
「ご、ごめんね理恵待たせちゃって…」
「ゆ、夕紀は良いのよ!?こいつらがまたくだらない事してたんだろうし」
「はいはいすみませんでしたー」
幸宏が気持ちの篭っていない謝罪をする。勿論火に油だ。それを聞きながら俺はゴミ箱へ缶を捨てる。
「さて、それじゃあ行くか」
ゴミ箱の中で缶同士がぶつかる音と、俺の声を合図に鎮火し、自習室へと急ぐ。
自習室で待っていた祐也は、ガヤガヤとうるさく入って来た俺達を、どこか嬉しそうに見ていたのだった。
◇
中間試験も終わり、制服も夏服から冬服へと完全に移行した。
久しぶりに着るブレザーを、少し窮屈に感じながら俺は登校した。
一昨日試験が終わり、昨日は新生徒会による生徒総会が開かれた。今年の生徒会は特に変わった所はなく、無難に落ち着いたようだった。
まあ、行事を増やすなどというバイタリティに溢れた生徒が毎年居たら、年間行事予定表に空白がなくなるだろう。それはそれで慌ただしすぎて辛い。
学校に着くと、何やら二年生が浮かれているような気がした。
「おはようトモ」
「おはよう」
どうやら同じバスに乗っていたらしい祐也が、昇降口で声を掛けてきた。
「なんだか浮かれてるなみんな」
「あれ、覚えてない?去年の僕達も今頃はあんなだったはずだよ?」
「去年?」
勿論、去年などと言われてすぐに思い出せるはずもない。
「なんだっけか」
「二年生は来週から修学旅行だよ~」
「ああ、なるほどな」
時間があっても思い出せるはずもなかった。なぜなら前回の俺は、修学旅行に行けてない。さらに熱に浮かされ、日付感覚もおかしかったはず。
「去年…」
この身体は、きちんと修学旅行へ行っていたはず。それはある意味救いだ。夕紀は修学旅行を楽しめたはずだ。いや、俺が楽しませていたと信じたい。
「修学旅行…沖縄…」
「どうかした?」
「いや何でもない」
年末も近付き、いよいよ高校生活も残す所約4ヶ月となっていた。残りの学生生活どれだけ夕紀と一緒に笑い合えるだろうか。
学生生活に後悔はしたくないよね。