第七話 四度目の乗り越え
◇
俺は不機嫌を表情に出していないだろうか。玉置に対する不信感で正直文化祭を楽しむ余裕は無い。
「へぇー修学旅行はグラスボートのコース行ったんだー」
「う、うん」
俺は精神的にこいつよりも大人だ。落ち着け、落ち着け、落ち着…けるかあああ。
「そういやあの時、智之ってば泳げないから青ざめてたっけ」
余計な一言だと知れ。瞬時に、爆発しかけた感情を幸宏にぶつける事で解消する。
俺の役に立てたことを光栄に思うがいい。アーメン。
「へえ藤田って泳げないんだ。それじゃあ夏は彼女つまらないだろうねー」
「ん?」
「だって夏と言えば海にプールでしょ。泳げなかったら一緒に行けなかったんじゃない?」
確かに玉置の言う通り、夏に遊びに行く機会があっても海などには行かないだろう。それ以前に俺は、夕紀と二人で夏を満喫したことがなかった。
「…」
「…」
俺と夕紀が付き合い始めたのは去年の秋以降。なので、高校二年の夏はまだお互いに意識し始める前の事。
そして今年の夏は、
「今年…遊べば良かったね…」
三年になってからは、お互い受験勉強に集中する為遊びに行ったりデートをする事もなく、それ以前にあまり会うこともなかった。
思春期の真っ只中の男女が、二人っきりになったら勉強なんかに集中出来るわけがない。二人で話し合った結果だった。
「気にするな。その分、こうして文化祭で楽しめばいい」
「うん…ありがと」
そう言って俯きかけていた夕紀の頭を撫でる。そうすることで、本心から気にしていないんだと伝えたかった。
お互いが同時に相手を思いやり、尊重した結果に出した苦渋の決断だった。二人で決めたことにも関わらず、夕紀はその責任を強く感じているようだった。
「そっかー、それじゃあ今日は目一杯楽しまないとね」
「俺色々下調べしたから楽しそうな所案内するよー」
それを聞いた俺と幸宏は、苦い顔を浮かべるしかなかった。
「今年の目玉はこのお化け屋敷かなー」
そう玉置が言ったのは、クラスどころか廊下まで侵食している、巨大なお化け屋敷だった。
「これ許可取ってんのか?」
幸宏が思わずそう呟くほど、常識外れな大きさの出し物だった。
「これは二年の二クラス合同で作ったお化け屋敷だから、なかなか出来が良いらしいよー」
パンフレットを見ると、確かに二クラスお化け屋敷になっている。しかし、二クラスと言っても組が飛んでいる為、パンフレットを作っている時は一つの出し物だと気が付かなかった。もしかしたら実行委員も気付いてなかった、なんてオチじゃないだろうな…。
「それじゃあ、どうせだし二人ずつ入ろうぜー」
俺が目の前のお化け屋敷の裏事情を考えている隙に、玉置はそんな事を言い出した。
「最初はグー、ジャンケンポン!」
掛け声に思わずパーを出してしまった。幸宏も夕紀も同じだったようで、二人共パー。しかし、
「あれ?俺の一人勝ち?なら相手は俺が選んでいいねー」
一人で勝手に始め、勝手にルールを決められた。思わず拒否しようとしたが、
「負けちゃった…」
夕紀は、玉置の強引な手口にあまり拒否感は無く、その提案を受け入れてしまっていた。
まあよく考えれば、玉置の言動にはどこもおかしな点は無い。クラスメイトが文化祭でテンション高めになり、突っ走ってると思うぐらいだろう。
俺以外、玉置の意図には気が付けるはずがなかった。
「それじゃあ俺は大西さんと入らせてもらうねー」
「え?」
「な!?」
「…」
ここで漸く幸宏も、俺の様子がおかしかった理由に思い至ったようだった。元々幸宏に頼んでいたこと、なんで玉置を夕紀に近付けさせたくなかったか。
「おいおい、ここは普通カップルで入らせる所だろ!」
「えー?そんなベタベタな展開面白くないし、大西さんも藤田と入って怖がってる姿とか見せるのも、恥ずかしいでしょー?」
「あ、う…」
わーきゃーと叫んでる自分を想像したのか、夕紀は顔を真赤にしてアワアワしてしまった。
本当に口の減らない男だ。きっと正攻法で断ろうと手を回してもきっと、色々な理由を付けて自分の意見を通すだろう。コイツとはまともに言い合いをしてはダメだ。
「色々と気を回して貰ってありがたいな」
「?なんだか藤田は乗り気だね」
「そうだな、盛り上げる為に色々考えてるみたいだから、感謝はしておく」
だけど。そう付け加える。断じてお前の思い通りには運ばせない。
「俺達三人はパー、玉置はチョキ。どうやら三人の息がピッタリみたいだな」
「一発で勝つなんて運が良かったよ」
「だから、息がピッタリな俺達は三人で入らせてもらうとするよ」
正面から突き崩せないならまともに相手にせず、迂回すればいい。
「は?でもジャンケンは俺が」
玉置の文句が言い終わる前に、俺は夕紀の手を引き、この無駄に大規模なお化け屋敷に入っていった。その性急な行動に玉置は苦虫を潰したような顔をしていた。
「ちょ、俺を置いていくなよ!」
後ろから幸宏も直ぐ様追いかけて来る。
どうやら、流石に玉置も一人で周る気はないらしく、幸宏の後ろを渋々といった様子で付いて来るようだった。
「智くん…なんだか怒ってる?」
「ん?なんでだ?」
ワイシャツの裾を掴んでいる夕紀が、恐る恐るそう聞いてきた。玉置の意見を食い破った事もあり、怒ると言うよりも上機嫌なのだが。
「はー…良かった。なんだか怒ってそうだったから不安だったよぉ」
「怒るはずないだろ」
「なんで?」
余程緊張していたのか、握られていた裾が思いっ切り皺になっていた。少し安心したのか、夕紀はそれをちょこんと摘むように握り直した。が、
「だって、これから夕紀が恥ずかしい思いする姿を見れるんだろ?」
それを聞いた夕紀は、緩く掴み直した裾をぎゅっと強く握り直し引っ張りだした。きっと明かりが点いている場所だったら、苺のように真っ赤になった夕紀の顔が見れただろう。
それを想像し、俺は笑みを浮かべるのを止められなかった。
その後は宣言通り、夕紀の驚く様を堪能し、それについて夕紀をからかったりと、存分に楽しませてもらった。
そうしている内にいつしか、玉置の悪巧みに対する警戒心や、心の余裕の無さなんてものも感じなくなっていた。
お化け屋敷の後も、玉置は色々な出店で夕紀に近付こうとしたり、俺に対抗するように嫌がらせじみた行動を取ったが、悉く不発に終わった。
そして、気が付くといつの間にか玉置の姿は消えていた。
「あれ?玉置くん帰っちゃった?」
「あれ?そういえば消えたなアイツ」
夕紀を幸宏は、周りの生徒の間を確かめるように、キョロキョロと視線を動かす。
「友達でも見つけたんじゃないのか?」
「そうなのかなあー?」
「それにしても、一言も無しってのはどうなんだよ」
とりあえず、直接的な接触で夕紀にちょっかい掛けてくる事はこれで無くなると思いたい。あいつも手応えが無かっただろうし、効果が無いのも分かっただろう。
「さて、そろそろ休憩終わるしクラス戻るか」
「そうだね。じゃあまた帰りにね智くん」
「ああ。午後も頑張れよ」
そう言って夕紀を見送る。クラスでの事は幸宏に任せておけば平気だろう。幸宏も玉置が直接接触してきた事もあって、より警戒するようになったはずだ。
「とは言ったものの、俺はクラスに戻ってもすること無いな」
俺はそう言いながらまた出店の方へと向かうのだった。もちろん今日で全部周れなかったから明日のデートの下見だ。
こうして、波乱で始まった文化祭一日目はなんとか無事に終わった。
その日の帰り道、夕紀は終始お化け屋敷での事を後悔したり、恥ずかしがったりしていた。だが話している内容とは裏腹に、顔は常に満面の笑みだったのがとても印象に残った。
初日でこれだけ楽しまれると次の日のハードルが上がったような気がしたが、これが玉置の策略だとしたらなんて恐ろしい奴。
策士策に溺れる?