第四話 四度目の一歩
◇
いよいよ合唱コン当日となった。クラスの雰囲気は緊張半分、期待半分といった所だ。
体育館での模擬練習から、各学年各クラスの完成度などは事前に噂されている為、本番前に期待されるクラスが分かるようになっている。
どうやら、うちのクラスは期待されるクラスに入ったらしい。最優秀賞までは行かないが、完成度もまずまずで何よりクラス全体の雰囲気が纏まっている。
そんな俺達の出番は3つ先だった。
「それじゃあ、もうやり残したことは無いと思うし、やるだけの事はやろう」
例のテノールリーダーが男子に向かってそう言うと、みんな無言で頷きを返す。
「バスは全体を支えられるようにしっかり声出せよ」
テノールとバスのリーダーが頷き合うと、その横合いから女子が数人顔を出した。
「女子はバッチリよ」
「アルト、ソプラノ両方共、緊張は少ない感じ」
理恵似のソプラノ兼全体リーダーと、ショーt-カットに切れ長の目をしたボーイッシュなアルトリーダーだ。男子パートリーダーと言葉を交わすと全体に声を掛けた。
「それじゃあそろそろステージ袖に行きましょうか」
体育館脇にスタンバイしていた俺等は、その言葉に従って、ゾロゾロとステージ横へ入っていく。
「お前、全然緊張してねぇのな」
「ん?」
体育館の放送室下に位置する暗がりに入った所で、横から声を掛けられた。
「正直俺ならステージに立つの嫌だぜ?」
「ああ、なるほどな」
この男子はテノールパートで、最初に練習をボイコットした側のクラスメイトだ。要するに俺を嫌煙していた側の人間。
それも今では鳴りを潜め、一人のクラスメイトとして接してくれるまで和解した。
「まあ、ステージの目の前は三年だから視線は特に酷いだろうな」
彼が気にしているのは、ステージに立つ俺に対する三年その他諸々のマイナスな感情だろう。
「今考えてみると、なんで噂一つでそこまでキツく当たってたのか分からないんだよな」
「みんながそう思ってくれたら楽なんだけどな」
俺が苦笑すると、彼は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「きっと、みんな流されてるんだろうよ。仲間はずれにされたくないとか、噂を知らないと遅れてるって言われるとか。学校っていう狭いコミュニティじゃ、みんなそうやって自分の居場所作っていくしか無いんだろう」
俺は達観したようにそう思う。クラスの中でも、下手すればその中のグループでさえも小さな上下関係があったりする。
人気がある子。面白い子。人を集める才能を持っている人が何かを発言すれば、それが疑わしくてもそのグループで否と言える人は少ない気がする。
そんな影響力がある生徒が、俺を目の敵にしたり、俺を貶めようとしたらそれは瞬く間に伝染する。
「俺に出来ることは、自分らしい姿を見せ続けることだと思うからな」
俺を信じてくれた夕紀。それに得難い友人達。それに報いるためには、こんな子供じみた嫌がらせなんかに折れてなんかやらない。
俺はそう決めたんだ。
「なるほどな、なんか分かった気がするわ」
「何がだ?」
「人気がある大西が、お前と付き合ってるっての」
「前のお前とかよく知らないから詳しくは分からないけど。お前見てると頼り甲斐みたいのってすげぇあると思うわ」
俺は突然の賛辞に少し呆気に取られた。
「さて、そろそろ前のクラスが終わるわよ。みんな大丈夫?」
その声に俺は漸く再起動することが出来た。今は呆気に取られている時間じゃない。気を引き締めないといけない時間だ。
なにせ、ステージに上がったら百数十人から冷たい視線を浴びるのだから。
「それじゃあ次のクラスステージに上がって下さい」
合唱コンの委員に促され、幕の降りたステージへと上がる。そしてパートリーダーに整列させられるよりも早く、各々自分の立ち位置へと足を進める。
「それじゃあ、練習通りにやるぞ」
俺の隣はテノールのパートリーダーだ。
「分かってる」
「みんなお前の声頼りにしてるからな」
「リーダーも頑張れよ」
小声でそう話していると、周りのクラスメイトも緊張から強張っていた雰囲気が少し柔らかくなっていく。
それを合図にしたように幕が上がっていき、指揮者がスッっと手を上げる。それに呼応するように歌う姿勢を整える。いよいよ最後の合唱コンが終わり始めようとしていた。
歌に集中していくと、始まる前はあれだけ気になっていた、周囲の視線など気にならなくなっていた。
「―――」
俺は歌いながら、このステージを何処かで見ているであろう、夕紀のことばかり考えていた。
(俺は大丈夫だぞ。しっかりやっていけるぞ)
皆がぶつけて来るマイナスな感情を、ただ耐えて辛い顔を隠しきれずにいたあの頃の俺。
そんな俺が言った『大丈夫』
そんな自己陶酔から出る間違った言葉じゃなくて、こうして態度で示す。
夕紀が胸を張って『大丈夫』だって信じられるようにしたい。
合唱コンは終わり、結果が発表されたのはつい二十分ほど前。
結果は学年二位。クラス数は十に届かないがそれなりにある中で大健闘だったと言える。
俺は、屋上へ行く扉の前にある踊り場で、幼馴染とダラダラしていた。
「最優秀おめでとさん」
「ありがとー。まあうちのクラスは別物だからねー」
祐也のクラスが最優秀賞を取り、幸宏のクラスが学年一位を取るという、なんとも身内だらけの結果だった。
「まあ音楽系の部活の人間が集まってたからな。軽音部に吹奏楽部に合唱部。こりゃ反則だ」
「生演奏だからねー」
合唱コンでは楽器の使用は特に限定されていない。従来通りピアノだけのクラスもあれば、アカペラ、ギターやベースなどのバンド、サックスなど色々なバリエーションがある。
「そういえば、そのクラTってトモがデザインしたんだよねー?」
クラT。今年クラスの衣装になったのは俺がデザインしたクラスTシャツだった。合唱の練習はある日を境に程度進歩があった。
しかし、衣装まで頭が回る人間が少なかった為、制服で出る事になりそうだった所を俺が作ったのだった。実はレイアウトを決めて、名前とクラス名やらそれっぽい文字を入れただけなんだが…。
「でも、そんな行動力はなかなか出ないと思うよー」
「まあ、後日ちゃんとカンパ貰ったんだけどな。当然当然」
そんな会話をしていると、階段を上がってくる音がした。ここに来る人間なんて顔見知りぐらいなので、誰が来たのかと折り返しになっている階段の踊り場に注目していると、
「智くんやっぱり此処にいたんだ…」
そこに現れたのは夕紀だった。
「…」
「…」
「う~ん」
順に俺、夕紀、祐也。俺と夕紀は最近ほとんど同じ時間を過ごしていないせいか、全く会話が進まない。祐也は苦笑いに汗を浮かべている。祐也にフォローを頼みたいが、その祐也も自分がなぜこの場に留まってしまったのかと、笑みを浮かべながら後悔しているようだった。
「あの…その、ね…」
意を決して話を始めようとするも、自分が何を話しに来たのか忘れたようで、必死に視線を彷徨わせている。
「はぁ…」
一体こんな所まで来て何を言うのか、と緊張をしているのが馬鹿らしくなる。俺にお構い無しでアタフタしている姿を見ると、夕紀は何も変わっていないと感じた。
「落ち着けよ」
そう言って、久しぶりに夕紀の頭を撫でる。体感時間にして数年。肉体時間に換算しても何ヶ月か振りの感触。
夕紀の髪は俺の知っている通り、肌触りがよく、スベスベとしていた。そのまま長い栗色の髪に指を通らせると、サラサラと音がしたような気がした。
「俺は、何処にも行かないから落ち着け」
そう言いながら、その場を静かに離れようとしていた祐也に、目で感謝を伝える。
「うん…ありがと…」
やや俯きながらも、大人しく撫でられている夕紀の姿は、今も昔も変わらなかった。
「最近、私の周りで智くんの事聞いてくる人が何人か居るの」
夕紀は少し落ち着いたようで、ゆっくりと話し始めた。
「俺の事を?」
「前は私とお喋りしてても、智くんの事は触れて来なかったんだけど」
きっと暗黙の了解というか、タブー扱いだったのだろう。友人としての気遣いか、それとも陰口を言う自分を隠すためかは分からないが。いや、後者は少し言い過ぎか。
「最近は、噂とか悪口とかそういうのが本当はどうなのか聞いてくる事があってね」
「私がみんなに、そんな事無いよ。って言うと、驚いてウンウン言いながらどっか行っちゃうんだけど…」
「そうか、そんな事になってきたか」
夕紀に直接聞きに行く、そんな勇気がある生徒が居るとは思わなかった。
「それでね、最近色々噂とか聞いたりして、智くんがそんな人じゃないって伝えるには、どうしたらいいか考えてたの」
「俺も、どうにかして夕紀を安心させたいって思ってた」
そう言うと、みるみる夕紀の顔が赤くなる。こういう純粋な所も変わりないようだったので安心した。思わず少し笑った。
「笑った!酷いよ!」
「悪い悪い…」
そう言いながらもにやける顔が戻らない。
「もう…それでね、誰かに相談しようとしたんだけど、教室で悩んでたら玉置くんが声を掛けてくれたの」
「…」
にやけ顔が冷めるほどの発言だった。俺が動くのが遅かったのか?
「そうしたら幸宏くんが、親友の俺のが適任だーーって言ってくれて、幸宏くんに相談することにしたの」
相談することにしたの。なんて本人には普通言わない気がするが、そこは天然の成せる技。気にしないでおく。
「幸宏がね」
どうやらなんと間に合っていたようだ。夕紀を騙す事になるが、中身がすでに偽物のような物だ。夕紀を幸せにすることで償っていくしか無い。
「どうしたの?なんか驚いたり安心したり顔がコロコロ変わってるよ??」
「いや、気にするな」
「うー…それでね幸宏くんが、直接智くんと話し合うことが大事だって言ってくれたの」
幸宏は俺に丸投げしたのか。いや、確かに助けて貰ったがそこから先を考えていなかったなあいつ。それとも、計算して俺に投げたのか?いや、あいつは馬鹿だから直感で決めたんだろう。
「それで、ここに来たということか」
「うん」
そこからまた沈黙が始まる。
「…」
「…」
自分は話し終えたと言わんばかりに、俺を見上げてくる夕紀。
そして、現時点で話せることが何もない俺。
「あー。まぁありがとな、心配してくれて」
「いいの!進学のことばかり考えてた私もいけないから…」
二人で夢を叶える為に、勉強を頑張った結果、二人の間に溝が生まれた。言葉にすれば陳腐で、とても単純な問題。
「人の噂もなんとやら、その内消えるだろ」
俺はそうじゃないと知っている。これは玉置が意図的に流している噂なのだから。しかし、夕紀を不必要に不安にさせたくない気持ちで、ついそう言っていた。
まだ、明確に対処方法は考えついていない。ただ、情けない姿を見せて玉置が夕紀に近付く口実を、与えるわけにはいけない。
「そうなのかなー…でも、智くんが落ち込んでないか心配だったんだよ?」
「ありがとな」
そう言って安心させるためにもう一度頭を撫でる。ゆっくりと、懐かしむように撫でながら思うことがある。
二人で踊り場に腰を落とし、階段に足を放り出している。きっとこんなありふれた光景も俺はずっと忘れられないだろう。
昔の俺には埋められなかった距離を、また一歩埋められた。
そんな感覚を得た、俺にとって大事な日だから。
変わる歴史に不安要素は付き物