第十一話 三度目の救済
学年が変わり、俺は大西と幸宏とは別のクラスになった。最高学年ということもあり、今年は色々とプレッシャーのある一年になりそうだった。
木村は俺と同じクラスになり、例の如く玉置は大西や幸宏と同じクラスになった。俺は、それとなく幸宏に玉置の様子を聞くことにしている。
俺と大西は、学年でも稀なすでに行きたい大学や専門学校が決まっている、所謂スタートダッシュ組だった。その為、お互いの目標を達成する事を第一に考え、放課後のデートなどは控えようと二人で決めていた。
特にこの多感な時期に二人っきりになれば、なんとなくそんな雰囲気になってしまい、勉強を疎かにしがちなので、二人で出した苦肉の策だった。
これも、卒業後のより良い二人の関係の為だと言い聞かせながら。昔はそんな二人の隙を突いて、玉置が動いていたわけだが。俺はそんな二の轍を踏まないように、幸宏を間に挟みながら玉置の行動を監視していた。
幸宏のお陰もあって、玉置が流す些細な噂や、俺に対する陰口も早めに消していくことが出来た。
その際には幼なじみである祐也や、その友達にも少なからず助けてもらったりもした。
しかし、夏休みが終わりいよいよ本格的に高校推薦を受ける生徒が出始めた頃、俺の環境は様変わりした。
俺は明日の面接試験の為に、模擬面接を頼もうと職員室を訪れた。
「失礼します」
職員室の空気と言うか、雰囲気は自分になにもやましい事が無くても緊張するな。そう思いながら、担当の先生を探すために入り口でキョロキョロとした。
「藤田か、丁度お前に用があったんだ」
俺を呼んだのは生活指導兼学年主任の教師だ。サッカー部の顧問もしており、あまり一対一で話をしたくない部類の先生だった。
「何でしょう」
「隣の生徒指導室に行っていろ。俺もすぐに行く」
「は、はあ」
「なんだその気の抜けた返事は!」
いきなり呼び止められ、生徒指導室に向かわされれば誰だった状況に付いて行けずこうなると思った。が、そんな事を口に出して余計な小言を貰うのも面倒なので、返事もそこそこに切り上げ指導室へ移動した。
指導室で数分待っていると、生活指導の教師はなにやらファイルを数冊持って入ってきた。
「さて」
そう前置きをしながら、長机にファイルを並べていく。
「単刀直入に聞くが、藤田は恋人が居るな?」
「はい」
まさか生徒の恋愛にどうこう口を挟んでくるわけじゃないよな。そんなに堅苦しい学校ではなかったはずだ。
「ならその恋人とうまくいってるか?」
「まあ、それなりに」
「不満は無いのか?」
「特にありません」
「そうか、悪かったな。もう帰っていいぞ」
「は、はあ」
一体何の指導だったのだ?そう思いながらも、促されるままに指導室を出る。
◇
翌日面接試験が終わり、報告をするために学校を訪れた時、俺は自分に集まる奇妙な視線を感じた。
それは、過去に感じた事のある息苦しい視線だった。
「これは…」
視線の多くは、運動系の部活に所属する生徒だった。わざわざ眼の前を横切り舌打ちをする猛者も居た。
俺は再び生徒指導室に呼び出された。今度は校内放送を使って。
火のない所に煙は立たない。その時の俺はまさに、校内放送によってその煙を全校生徒に示された様な気分になった。
「呼び出された理由は分かるか?」
「いいえ」
「何もお前を疑っているわけじゃないんだがな」
「最近お前に関するあまり良くない話が出回っている」
「…」
そう言いながら、目の前の教師は俺の腕を見てきた。
「その手にはめてるやつはどこで買ったんだ?」
「これは、彼女が沖縄で買ってきてくれた物です」
「ここらへんでは売ってないと言うことか」
「それが?」
「いやな?お前を疑っているわけじゃないんだが」
「そのアクセサリーに似た物をはめている生徒が、近頃下級生をストーカーしているって話が出ているんだ」
「な!?」
「前々からストーカー被害というのが報告されていてな?近頃ようやく、犯人の特徴を見た生徒が現れたんだよ」
「それがコレだと?」
俺は、このブレスレットにそんな疑惑が向けられるのが耐えられず、つい反対の手で覆ってしまう。
「藤田がやったのか?」
教師はその行動をどう思ったのか、急に態度を変え始めた。
「違います!」
「学校側としてもあまり大きな問題にしたくは無いんだ」
「俺じゃない!」
「教師に向かってなんだその言葉使いは!」
そう言いながら机を大きく叩き、教師は俺を威圧してきた。不覚にも大きく響いたその音に驚いてしまい、言うべき言葉が途切れてしまう。
「まあいい。その内明らかになることだ。先生はお前にちゃんと伝えたからな」
言外に、警告したのだから二度とするなと言われているように感じた。この教師ははなから俺を疑って話を進めていたようだ。前に呼び出されたのも、俺の事を調べるためだったに違いない。
「くっ」
俺は鞄を持ち、教師に挨拶をすることなく退出した。生徒指導室に呼ばれる事も慣れていたはずだった。しかし、最近の幸せな環境に慣れ親しんだ俺は、どうやら少し弱くなっていたようだ。
指導室から出た後も、俺には幾つもの視線が集まっていた。指導室から出てきた時、世界が変わったような気さえした。
「待って智くん!」
昇降口に差し掛かった時、俺はそう呼び止められた。学年が上がる頃、大西は俺の事を智之くんから智くんと呼ぶようになった。
親や幼馴染など親しい人間が呼ぶ「智」という呼び方を、大西にされた時俺はとても嬉しい気持ちになった。
しかし、俺はその呼び掛けに返事をすることが出来なかった。
もし今、あの時のように大西にまで疑われたら。そう思うと、恐怖で喉が自然と震えた。
「智くん」
そう言いながら、大西は俺の腰を抱きしめてきた。
「大丈夫だよ。私信じてるから…」
「酷いよ!みんなして陰口言うんだから!」
震える俺を必死に抱きしめる、その腕の暖かさに感謝した。
◇
そんな日常に放り込まれながらも、俺はなんとか日々を過ごしていた。クラスの友人もいつもと変わらない俺の態度に、周囲の人間は少しずつ嫌疑と困惑が入り混じった様子だった。時々遠慮無く嫌悪を込めた目で見てくる生徒も居るが、俺はそんなものを気にはしなかった。
以前とは違う、諦めではない前向きな俺で居られた。
そのせいで、まさかこんな事態になるとは予想していなかった。
体育館一階ピロティにある部室棟。俺は今、そのコンクリートで打ち固められた床に転がり、身体の至る所から発せられる熱を冷ましている。
ストーカー疑惑が出回り始めて数日。普段と様子の変わらない俺に業を煮やしたのか、数人の男子に捕まったのは数時間前だ。
何度も高校生をやっているせいで他のクラスの生徒まで大体覚えてしまっていたので油断した。まさか、祐也のクラスからこんな反応があるとは想像しなかった。無意識の内に、祐也が居るクラスは味方だと、そう思ってしまっていた。
俺を囲んだ生徒は6人。いずれもスポーツ経験者という、身体能力含め色々な面でお手上げだった。勝てるはずもなく、また逃げられるはずもなく俺は床に伏す事になった。
今の状況を思い返しているうちに、身体の熱さは少し収まり、漸く立てるぐらいには回復してきた。
一度こうして直接的な動きがあったという事は、これからも度々床の冷たさをありがたく感じる状況になるだろう、と苦笑交じりに落ちていた鞄を拾った。
◇
この日も授業の体育では、男子とサッカーで大いに楽しんだ所だ。
一人、ボールなど片付け教室へ着替えに戻ると、
「あれ?ブレスレットが無い…」
石を繋いでいる紐が少し痛んできていたので、着替えの時に外しておいたブレスレットが無くなっていた。
「おかしい…」
そして、その日の放課後、三度目の指導室が待っていた。
「藤田、ブレスレットはどうした?」
「今日、体育の時間に失くしました」
「そうか」
そう言って教師は、小さなビニールのパックに入った何かを取り出した。
「昨日の放課後何をしていた?」
「まっすぐ帰りました」
「そうか」
「コレが何か分かるか?」
そう言いながら、教師はパックに入った何かの破片を指で叩いた。
「いえ」
「昨日の放課後、またストーカーの被害が出てな」
パックを俺の方に近付けながら話を始めた。
「昨日被害にあった生徒は悔しくて反撃したそうだ。その時にストーカーのブレスレットを引きちぎったらしい。なんとも勇敢な生徒だ」
「その時に零れた石が…これだそうだ」
よく見ると、その破片には小さな穴が開いていて、そこに紐が通せそうだった。
「ブレスレット。失くしたのは昨日の放課後じゃないのか?」
その日、俺は停学処分を貰った。所謂物的証拠とやらを示され、学校側の判断はそうなったようだ。
疑わしきは罰す。勿論推薦も取り消しにされ、一ヶ月間自宅謹慎することになった。大事にしたくないという被害者からの申し出で警察のお世話にならずに済んだことを感謝しろとの事だ。
その話を聞いた時、大事にされなくて良かったのはきっと学校側だろうな、と俺は思った。
◇
謹慎中、俺はひたすら受験勉強をしていた。推薦が取り下げられた以上、一般入試で合格しなければいけなくなったからだ。
このままでは、大西の信頼に応えられなくなる。今はただ、大西との約束を果たすことだけが唯一の支えだった。
そう言えば大西は面接どうだっただろうか…。
謹慎になってから、携帯がほとんど鳴らなくなった。たまに来るのは祐也からのメールで、あとはメルマガや迷惑メールだ。
クラスメイトだけではなく、幸宏や木村、大西からのメールが無いのは少し、いやかなり寂しかった。
「ん?」
メールの事を考えていた所で、丁度携帯が鳴った。音からして電話の着信だ。表示されている名前を見て珍しいな、なんて思いながら電話に出る。
「もしもし?」
『やあトモ。謹慎は順調かな?』
「うっせ」
電話の相手は祐也だった。幼馴染だが滅多なことでは電話なんてしてこない、基本的に受身な男が電話してきたことに、言い知れぬ何かが過る。
『ちょっと伝えなきゃいけないことがあってね』
「夕紀に何かあったのか?」
『残念。とりあえずは大西さん関連じゃないんだなー』
「そうか」
大西がまた何かに巻き込まれたのかと思ったが、そうではなくて一安心だ。とりあえずと言うのは少し気になったが。
『自分の事よりも彼女を心配するなんて彼氏の鑑だねー』
きっと、電話の向こうで人の良さそうな顔で笑っているだろう。
『トモを陥れた相手のこと知りたくない?』
「なに?」
謹慎中もその事を考えたりはしたが、如何せん家から出られない俺ではどうにも出来ず、半ば諦めていたことだった。
『あまり時間がないから答え合わせだけしよう』
「ああ」
『トモは誰だと思ってる?』
「玉置和也。俺にはそれしか浮かばない」
過去、俺と大西を引き裂いた張本人。色々裏でやってくる玉置にしては、少し直接的な気がしたが。
『残念。鈴田幸宏だよ』
「は?」
祐也の簡潔な発言に、思わずそんな声が出た。なんで幸宏が?いや、どうやって?いや、どうしてだ?
『例のストーカー被害にあってた女子の、彼氏が友達に居てねー』
ほら何組の何とか君、などと説明してくるがそんなことはどうでも良かった。
『一番最後に被害にあった時にブレスレット引き千切ったらしいんだけど』
ブレスレットの持ち主である俺が犯人だと決定的にされた件か。
『その日彼氏は彼女に内緒で少し離れてた所で見守ってたんだってさ』
『彼氏だし犯人を捕まえたかったんだろうねー』
「それで犯人の顔を見たのか?」
『逃げていく所を直接見たわけじゃないんだけど、その後戻ってきて千切れたブレスレットを拾ってる姿を見たらしいよ』
ま、そこで彼氏が物音たてちゃったらしくてねー、などと説明してくれる祐也。証拠隠滅のためなのか、犯人は現場に戻るってやつだな。
「そうか…」
なぜ幸宏が…という疑問は尽きないし、未だに信じられないが祐也が断言する以上、今以上の証拠なり証言なりを持っているんだろう。普段はおっとりしているくせに一度動き出すとコレだ。幼馴染ながら、頼もしいやら恐ろしいやら。
『あ、そう言えば、うちのクラスの男子がトモに謝りたがってたよ。なんか色々したみたいだねー』
「まあ仕方ない事だ」
ストーカーの被害に遭っていた女子の彼氏が、俺を弁護してくれたのだろうか。
『それを仕方がないで済ませられるのはトモだけだと思うけどなー?まあその内謝りに行かせるよ』
「別にいいさ。あの男子からしたら友情から生まれた義憤だったんだろ」
『うーん。まぁうちのクラスは単純だからね』
少し楽しそうに話す祐也は、やはりクラスの中心にいる人間のように感じた。
『それでさ』
明るい声色を整え、落ち着いた声色になった。
『どうする?』
このどうする?は、きっと俺が幸宏を問い詰めるかどうかじゃなくて、これからどうするかと言う意味だろう。
「俺は今まで通り夕紀の信頼に応えるだけだ」
『そっか…』
『俺はいつまでも幼馴染だよ』
そう言って、俺が何かを答える前に電話は切れた。
◇
犯人が分かった所で、状況が変わるほど学校という狭い世界は優しく出来ていない。
俺が学校に復帰してからというもの、以前経験したことの焼き直しのような日々が待っていた。
祐也のお陰か、安易に直接的な行動に出る生徒は居ないようだったが。
教室の後ろに設置されている個人ロッカーには、俺の知らない南京錠が付けられていて壊すのに苦労した。開けてみても悲惨な状況だったのは流石の俺も少し苦笑いが出た。二段落ちというか何と言うか。
机には目立った異変は無いが、それは俺が毎朝綺麗に掃除しているからで、朝教室に入るといつも芸術的な落書きがしてある。コレのお陰で、毎朝登校する時間が早くなって健康に良い。
しかしそんな日々は長くは続かない事を俺は知っている。
そして復帰から二週間経った頃、俺はついに放課後大西に呼び出される事となった。
勿論、二年三組の教室に。焼き直しの日常に焼き直しの結末を迎えようとしていた。
「もう、私達…終わりにしよ?」
これはいつかの夢ではなく、現実だった。
「どうして別れようと思ったんだ?」
答えはここに呼び出される時点で分かっていた。俺がストーカーだという事を信じたのだろう。
今回も俺は、大西の信頼に応えることが出来なかった。また、大西が信じられる人間にはなれなかった。そう思い俺は自分の行動に自信を失いかけた。しかし、
「このままじゃ智くんが死んじゃう…」
「え?」
俺の予想とは違う方向の言葉が飛んできた。
「幸宏くんから聞いたの…」
「智くんをストーカー扱いしてこんなになるまで追い詰めたのは玉置くんだって!」
「な…っ!?」
だが、続く言葉を聞き俺は顔を顰めた。こればっかりは俺にも予想が付かなかった。幸宏がまさかそこまでするとは…。
「智くんと私が付き合う事が、なんでそんなに玉置くんに嫌がられるのかは知らないし、興味もないよ…」
そう言いながら、眼に涙を浮かべる大西。その感情も表情も嬉しいが、どこか悲しくなった。
「でも、私が智くんの彼女で居るせいで智くんがこんなにされるなんて私には耐えられない!」
「酷すぎるよ!こんなの!」
目の前で展開される大西の話が、どこか遠い世界の話のように感じる。俺の話で、大西との話なのに、二人の認識は恐ろしくズレていた。
「幸宏くんに相談したの。どうしたら智くんがこれ以上傷付かないか…」
「そうか…」
幸宏が何を大西に言ったか予想が付いた。それは、
「智くんと別れれば良いって…」
「理恵は反対してたけど、智くんをこれ以上傷付けない方法が他に浮かばなかったの」
「そうか…そうだったのか」
今、幸宏が犯人だと言うのか簡単だ。だが、ここまで信頼している幸宏が犯人だと言われて、大西がどんな変化をするかが想像つかない。
誰の言っていることが本当でどれが嘘なのか、混乱してしまうかもしれない。優しい大西のことだ、きっと何もかも背負いこんで自分のせいにしてしまうかもしれない。いつか真実に気が付いた時大西は自分を責め続けるだろう。そんな後悔を大西の人生に残したくない。
幸宏の事を信頼していたのは俺も同じだ、裏切られたと知ったら大西はどれだけ傷付いてしまうだろう。俺は甘いのかもしれない。いや甘すぎるからこんな事になるのか。足掻きたい。いや、もっと早くに足掻くべきだったのかもしれない。
「そうか…」
「一杯、一杯悩んで考えて…」
「智くんとお別れすることに決めたの…」
喋っている途中からすでに涙は流れていた。流れても流れても、後から湧き出るように涙はやってくる。きっと、俺が謹慎中ずっと悩んでいたのだろう。幸宏から聞かされたことから俺に起きたことを自分なりに結びつけて必死で解決しようとしたのだろう。
それでも俺に笑顔を見せようとしてくれるのは、きっと俺が大西の笑顔が好きだと言ったせいだろう。
「ごめんねぇ…ひっく…ごめんねぇ…」
遂に大西は顔を覆い泣き崩れてしまった。俺はまたこの子を苦しめてしまった。そして今俺が耐えなければ、きっとこの子はずっと自分を責め続ける。
「夕紀…」
「笑顔になれないよぉ」
そう言ってあとは言葉にならない泣き声をあげた。俺はそんな大西を隠すように抱き締めた。
「別れよう…夕紀」
この日、俺と大西は約十ヶ月という短くも長い関係を終わらせた。
未来が変わる