第八話 三度目の正直
サポーターを始めて五日目、本来は木村の応援だったのだが、無理を言って大西の応援に行かせてもらった。
昨日みたいな事は起きないだろうが、それでも警戒をしておこうと思ったのだ。保健の先生が言った事も頭から離れなかったのも原因だ。
「生徒会副会長候補、大西夕紀をよろしくお願いしまーす」
俺の心配を他所に、応援演説も、本人による選挙活動も滞り無く進んだ。
「智之くん?」
周りのクラスメイトに混じって、周囲を警戒していた俺に、大西が声を掛けてきた。
「何かあったか?」
「昨日のお礼言えなかったから」
「ありがと」
昨日の事が無かったかのように、大西は笑顔でそう言いながら、俺の手を握ってきた。
「佑樹くんにも言ってくれたんでしょ?」
「ああ」
既に何処からか、その情報を得て確信していたようなので、下手に誤魔化すことはしなかった。
「でも…やっぱり佑樹くんはどこか信じきれなかったみたい」
誰にでも優しいって残酷だね。そう言いながら大西は寂しそうに笑っていた。
きっと、昨日からそうやって笑い、周囲を安心させようとしていたのだろう。
俺はそんな笑顔を見ているのがとても辛かった。
「後で教室に来てくれ」
俺はそう告げ、後の応援をクラスメイトに任せ校内へ戻った。
教室は夕日で朱く染まっていた。その朱も、もう少し時間が経てば徐々に青紫色に変わっていくだろう。そんな中で俺は一人大西を待っていた。
俺の記憶にはいつもこの景色があった。朱く染まる教室で話しあう二人。イヤホンを片方ずつはめ、音楽を聞く二人。向い合って情報誌を食い入るように見つめる二人。並んで宿題をする二人。
そして終わりを迎える二人。
そのどれも、俺にとっては掛け替えの無い思い出だ。そして、その思い出に今から挑む。
「早かったな」
大西は黒板側のドアに居た。そこから一歩入って来ることを戸惑うような雰囲気だ。
「智之くん待たせるの嫌だったから…」
そう言って、大西は一歩踏み出した。その一歩がどういう意味を持つか、大西も感じているのだろう。俯きがちだった顔も、一歩ずつ近付いてくる毎に視線を上げ、目の前に来る頃には俺の顔をきちんと見上げていた。
「夕紀」
いつかの昔、そうやって呼んだように
「うん」
「俺に、お前を笑顔にする権利をくれ」
いつかの昔、そうやって伝えたように
「笑顔にする権利?」
「ああ、好きだ。俺と付き合ってくれないか」
いつかの俺より、強く思いながら
「……」
きっと突然の告白に理解が追いつかないのだろう。何かを言おうと口を開いたり閉じたりしながら、顔を赤らめたり真剣な顔になったりと繰り返している。
俺は声をかけず大西の考えがまとまるのを待った。俺の告白が受け入れられなくても、その時はその時で何かが変わると信じていた。少なくとも大西が一人で悩み続けることは防げると。
数分黙ったままでいた大西は、何かを決意した顔で俺の目をしっかりと見据えたまま口を開いた。
「智之くん…一緒に来て」
そう言って俺の手を掴み、駆けるように教室の外へと連れ出した。
大西が向かったのは体育館だった。選挙活動をしている大西は現在部活を休んでいる為、ここに来る事は無い。そんな大西が来たことで、女子バドミントン部は少しざわついていた。同じように男子バドミントン部もこちらを注目してきた。
何故なら、大西が先輩に頭を下げているからだ。
「ごめんなさい」
少し涙が混じった声でそう言った。
対する先輩は突然の来訪と、行動にしばし呆然としていたが、姿勢を正すと大西に向き合った。
「私、強くなかった」
顔を上げながらそう言った大西の頬には既に涙が伝っていた。
「昨日…本当に怖かった…」
「声も出せないぐらい怖かった!」
そう言って、大西は涙でグシャグシャになった顔を、女子バドミントン部の方へ向けた。
「っ!?」
その中心に居た女子は、視線から逃れるように顔を背けた。きっと例の先輩とやらだろう。
「…」
そこで先輩は、今起きている状況を正しく理解したのか、目を閉じ、何かを堪えるように眉間に皺を寄せた。
「佑樹くんが優しくて誰にでも公平で、差別をしないのは知ってる」
「でも…助けて欲しかった…」
「私を信じて欲しかったよ」
一言ずつ吐き出すように、訴えかけるように言葉を発した。
その度に涙は溢れ、言い終わると遂に大西は、しゃっくりをするように声を上げ泣いた。
体育館に居る生徒は、バツが悪そうに皆下を向いていた。きっと少なからず、イジメのような事が行われていたのを、知っていたのだろう。
「先輩」
俺声を掛けると先輩は目を開け、こちらを見てきた。
大西が俺をここに連れてきた理由を果たす為、俺は先輩の前に立った。丁度、大西と先輩の間に立つような形で。
「こんな形で、先輩の信頼を裏切ることになってしまって、本当にすみません」
先輩は、それを聞き俺がここに居る意味を理解したようだった。眼に寂しさが浮かんだような気がした。
「俺は夕紀が好きです。夕紀を守りたいです」
きっとあんな事が無ければ俺の出番は無かったかもしれない。今も、俺が出なくても時間が大西を癒してくれるかもしれない。でも、
「夕紀には少しでも多く笑顔でいて欲しいんです」
そうだ。これが俺の原点。夕紀が悲しい思いをする時間を減らしたいんだ。だから、
「だから、夕紀と別れてくれますか」
周囲からしたら、俺なんかがなんでそんな事を言うのか分からないだろう。ひょっとしたら、何様だ、なんて食って掛かられる事も予想していた。
しかし、他の誰かが動く前に、先輩が俺の両肩に手を置いてきた事で、周囲は動くことが出来なかった。
「君が夕紀の相談に乗ってくれると聞いた時」
先輩は訥々と語りだした。それは何故か、俺に対してではなく、俺を挟んだ大西に対して言っているように感じた。
「僕は、藤田君みたいなしっかりとしたクラスメイトが夕紀の友達でいてくれる事を心から喜んだ」
「僕はどうやら、夕紀の笑顔を強さだと勘違いしていたようだ」
「きっと、僕に向けていた笑顔の中にもメッセージがあったのだろう」
「藤田君は夕紀の笑顔をきちんと理解していたのだね」
俺は、口を挟むことが出来なかった。そして、自分の卑怯さに苦い気持ちが生まれた。
「間違えてしまった僕が言うのもおかしな話だけれども」
そう言いながら両手を離し、先輩は一歩下がった。俺の眼を見据えると、何か納得したように微笑を浮かべた。
「夕紀を幸せにしてあげて欲しい」
大西は一際大きな声で泣いていた。
◇
それから二日後、生徒会選挙が行われた。
体育館での出来事が選挙に影響するかと思ったが、それも杞憂に終わり、大西夕紀は無事生徒会副会長に就任した。
木村と幸宏も信任投票を通り、無事生徒会入りをしていた。
木村は、大西が先輩と別れた経緯を知ると、予想通り女子バドミントン部に殴る込みに行こうとしたり、自分が蚊帳の外だったことに腹を立て、俺に八つ当たりをしたりなど大騒ぎだった。
幸宏は、俺が大西と付き合うことになったと報告すると、やっとかといった様子であまり驚いては居なかった。その時、何故か俺と視線を合わせなかったのが気になった。
今は新生徒会が発足して、初の生徒総会が行われていた。
壇上には生徒会長の女子生徒や木村、他にもう一人の書記なのか女子が居て、男子の幸宏が浮いていた。
そんな中、大西が新生徒会の目標を話している。
「そして次に、生徒会は任期中に皆で楽しめる行事を一つ実施することをマニュフェストとして宣言します」
前回は見られなかった、堂々とした大西の姿に俺は今回こそは、と呟いた。
そして制服が夏服から冬服に変わる季節になり、いよいよ修学旅行が近付いて来た。
強さの意味を教えて下さい