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第1部 基礎生物学

『現代比較生物学 第12版』

(2136年・国際比較生物学会編)


第18章 ヒト科特異的社会性・性フェロモン(Hominid Sociosexual Pheromone:HSP)



第1部 基礎生物学


学習目標


本章では、2136年現在におけるHSP研究の到達点を概説する。HSPの発見史、生化学的特徴、遺伝学、生合成経路、分泌器官、ならびに前駆体であるPPC(Precursor Pheromonal Complex)の発生機構について理解し、その後の神経生理学的・行動生態学的議論の基礎を習得することを目的とする。



18.1 HSP研究史


ヒトにおけるフェロモンの存在は、20世紀初頭から21世紀末に至るまで、生物学・神経科学・心理学を横断する長年の論争の対象であった。昆虫や齧歯類、大型偶蹄類では化学情報伝達物質(pheromone)の存在は古くから確立していた一方、ヒトでは嗅覚受容体の退化、鋤鼻器(vomeronasal organ)の機能喪失、文化的要因の大きさなどから、「ヒトはフェロモンを実質的に失った種である」とする見解が長く支配的であった。


21世紀後半には、汗や涙、皮脂由来の揮発性物質が気分や行動に影響を及ぼす可能性を示唆する研究が散見されたが、再現性の不足、化学構造の不明確さ、個体差の大きさなどから決定的証拠とは認められなかった。


転機となったのは2109年、国際ヒト化学生態学共同研究機構(International Consortium for Human Chemical Ecology:ICHCE)が実施した「Rare Chemosignal Project」である。本研究では、世界人口約130億人を対象とした超高感度代謝物スクリーニングが行われ、その過程で極めて少数の男性にのみ共通して存在する未知の外分泌性低分子群が発見された。この物質群は後に Hominid Sociosexual Pheromone(HSP)と命名され、2130年代までに化学構造、生合成経路、受容体、生理作用の大部分が解明された[Miller & Zhao, 2110, Nature Chemical Ecology]。


HSP発見が生物学史上重要視される理由は、その作用そのものよりも、「現生人類において例外的ではあるが、化学的個体間コミュニケーション機構が完全には失われていなかった」ことを実証した点にある。



18.2 HSPの定義


HSPとは、一部の男性個体にのみ認められる、外分泌腺由来の複合化学情報伝達物質群である。従来の昆虫フェロモンのような単一化合物ではなく、複数の脂質性分子・糖脂質・微量ペプチドから構成される多成分シグナルであり、その組成比が生理作用を規定する。

現在の定義では、HSPは以下の四つの条件を満たす場合にのみ認定される[Bergström et al., 2115]。


外分泌腺で産生されること。

同種個体の受容体に特異的作用を示すこと。

行動・生理・内分泌反応を統計学的に有意に変化させること。

揮発性および接触性の双方の伝達様式を持つこと。


このうち第四条件はヒト特有であり、空気中を介した近距離情報伝達と、唾液・皮脂・性的分泌物などを介した接触伝達で作用強度が大きく異なる。



18.3 分子構造


HSPは単一分子ではなく、現在までに確認されているだけでも十二種類の主要構成分子からなる複合シグナルである。そのため、学術的にはHSP Complexと総称される。

主要構成要素は次の三群に分類される。


第一群:揮発性脂質誘導体(Volatile Lipid Derivatives:VLD)

近距離空間へ拡散し、鼻腔粘膜上の化学受容体に作用する。分子量は180〜260 Da程度で、空気中では数分以内に分解される。


第二群:糖脂質結合体(Glycolipid Conjugates:GLC)

皮脂および唾液中に多く含まれ、皮膚・口腔粘膜との接触時に作用する。親水性と脂溶性を兼ね備え、局所粘膜に長時間保持される特徴を持つ。


第三群:ペプチド性補助因子(Peptidic Signal Modulators:PSM)

性的分泌液中で最も高濃度となる成分群であり、他の構成分子の受容体結合効率を増強する補助因子として働く。


この三群が一定比率で存在することにより、HSP本来の生理活性が発揮される[Takahashi & Dubois, 2121, Journal of Biological Chemistry]。



18.4 遺伝学


HSP保有者の出現頻度は2132年世界人口調査において約0.0001%(100万人に約1人)と推定されている。現在まで確認された保有者はすべて男性であり、女性保有例は報告されていない。


責任遺伝子として最も有力視されているのが、第7染色体長腕に位置するHSPX遺伝子群である。この遺伝子群は通常状態では不活性であるが、複数の調節領域に生じる希少変異と、思春期におけるアンドロゲン依存性エピジェネティック修飾が重なることで初めて発現すると考えられている[Kovacs et al., 2124] 。


一方、保有者集団を対象とした認知能力調査では、知能検査において上位20%に含まれる者が85%以上という相関が報告されている。また、成人後の社会調査では社会的地位指標の上位30%に属する者が65%以上という結果も得られている。しかし、これらはあくまで観察研究に基づく相関であり、HSP遺伝子そのものが知能や社会的成功を規定することを示す証拠ではない。研究者の間では、対人関係の形成しやすさ、教育機会、家庭環境、選択バイアスなど複数の交絡因子が寄与している可能性が指摘されており、現時点で因果関係は未確立である[O'Connor & Suzuki, 2133, Behavioral Genetics]。



18.5 フェロモン前駆体(PPC)の生合成


HSPは出生時から存在するわけではない。その前段階として、すべての保有者では乳幼児期からPPC(Precursor Pheromonal Complex)と呼ばれる前駆体複合体が産生される。

PPCは主として皮脂腺由来の高分子糖脂質群であり、外見上は通常の皮脂成分と区別できない。精密分析を行わなければ検出できないほど微量であり、この段階では生理活性は認められず、ヒト受容体に対する作用も確認されていない[Li & Johansson, 2127, Developmental Endocrinology]。したがって、PPC自体はフェロモンではなく、あくまで将来HSPへ転換されるための前駆体である。


PPCは出生直後から思春期前まで継続的に分泌され、その組成は年齢とともに徐々に変化する。特に第二次性徴開始前後には脂質成分の比率が変化し、思春期後半になると新たに発現した酵素群によって活性型HSPへの変換が開始される。


この「長期間にわたる前駆体分泌」は、後に述べるPPC耐性現象や近親交配回避機構を理解する上で極めて重要である。



18.6 HSP活性化機構


思春期後半、血中アンドロゲン濃度の上昇に伴って、外分泌腺細胞ではHSP Synthase複合酵素が発現する。この酵素群はPPC中の糖脂質結合部位を段階的に切断・修飾し、揮発性脂質誘導体およびペプチド性補助因子を生成する。


活性化後もHSPは血液中へはほとんど移行せず、皮脂腺、唾液腺、および副生殖腺を介して外分泌される。そのため、血液検査では検出困難であり、診断には外分泌液の直接分析が必要となる。


現在では、HSP活性化は単なる代謝反応ではなく、アンドロゲン、局所微生物叢マイクロバイオーム、皮脂組成、さらには日内リズムまで関与する複雑な生体ネットワークによって制御されていると考えられている[Yamamoto et al., 2129]。



第1部まとめ


HSPは極めて稀な男性にのみ発現する複合フェロモンであり、その生理作用は思春期以降に初めて成立する。一方、幼少期から分泌されるPPCは生理活性を持たない前駆体であるが、その長期曝露が後年の受容性に影響を与えることが判明している。この前駆体と活性型の二段階システムは、HSP研究における最大の特徴であり、第2部で扱う受容体生物学と神経生理学、第3部で扱うPPC耐性現象および進化生物学的意義を理解するための基盤となる。



【第1部 参考・引用文献】


[Miller & Zhao, 2110, Nature Chemical Ecology]

論文名: "Identification of a Novel Exocrine Signal Complex in Rare Hominid Males: The Rare Chemosignal Project"

掲載誌: Nature Chemical Ecology

内容: (HSPの初期発見と命名、存在の確定)


[Bergström et al., 2115]

論文名: "Criteria and Classification of Human Sociosexual Pheromones: A Consensus Report"

掲載誌・媒体: 国連生命倫理小委員会宛・特別答申白書(ICHCE Technical Report Vol.42)

内容: (HSPをフェロモンと定義するための4つの必須条件の確立。人権問題への波及を懸念した国連からの諮問に対する公式回答として作成された)


[Takahashi & Dubois, 2121, Journal of Biological Chemistry]

論文名: "Biochemical Characterization of the HSP Complex: Volatile Lipids, Glycolipids, and Peptidic Modulators"

掲載誌: Journal of Biological Chemistry

内容: (HSPを構成する3つの主要成分群(VLD, GLC, PSM)の特定と構造解析)


[Kovacs et al., 2124]

論文名: "Epigenetic Activation of the HSPX Gene Cluster on Chromosome 7q by Androgen-Dependent Enhancers"

掲載誌・媒体: 単行書『新版 ヒト科におけるエピジェネティック内分泌学』(ケンブリッジ大学出版局)

内容: (第7染色体上のHSPX遺伝子群の特定と、思春期における発現メカニズム。分子遺伝学の標準的な専門書として広く引用されている)


[O'Connor & Suzuki, 2133, Behavioral Genetics]

論文名: "Confounding Variables in the Assessment of Cognitive and Social Dominance among HSP Carriers"

掲載誌: Behavioral Genetics

内容: (HSP保有者の知能・社会的成功の相関における交絡因子(環境・教育など)の統計的分析)


[Li & Johansson, 2127, Developmental Endocrinology]

論文名: "Prepubertal Secretion of Inactive Precursor Pheromonal Complexes (PPC) from Sebaceous Glands"

掲載誌: Developmental Endocrinology

内容: (乳幼児期から分泌されるPPCが無効力であることの生化学的証明)


[Yamamoto et al., 2129]

論文名: "Microbiome-Dependent Activation of HSP Synthase in Human Apocrine Glands"

載誌・媒体: バーゼル量子生命科学研究所 内部紀要『外分泌酵素と常在菌叢の連関に関する特別調査報告』(WHO事務局長宛への提出資料)

内容: (思春期におけるHSP変換酵素の発現と局所マイクロバイオームの関連性。感染症リスクとの関連を調査するため、WHOの要請によりまとめられたレポート)


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