意外とすごい人?
ギルドの一角、掲示板の前は人でごった返していた。
びっしりと貼られた依頼書を、冒険者たちが我先にと剥がしていく。紙の擦れる音と、短いやり取りが飛び交う、いつもの光景。
けれど、その輪の外で、セイラは少しだけ距離を置いて立っていた。
(……どうしよう)
視線は掲示板に向いているのに、頭の中はまったく別のことでいっぱいだった。
隣にいる存在のせいで。
「セイラは、どんな依頼を受けたい?」
不意に、穏やかな声が落ちてくる。
「……え?」
思考が止まる。
隣を見上げると、オーウェンが当たり前のようにこちらを見ていた。
まるで、ずっと一緒に依頼を選んできたみたいな顔で。
「好きなものでいいよ」
オーウェンは軽く言う。
「どんな危険なものでも。僕が守るから」
あまりにも自然な言い方に、セイラは余計に戸惑った。
今のところ一番危なそうなのは、あなたです――と、思わず言いそうになる。
「……その」
セイラは視線を掲示板へ戻す。
深呼吸を一つ。
(落ち着け、私)
隣でにこやかに微笑んでいる同族の存在など気にせず、いつも通りにすればいい。
そう思えば、少しだけ頭が冷える。
ざっと紙を見ていく。
採取、護衛、簡単な討伐。
自分が普段受けているのは、このあたりだ。
無理をする必要はない。
そう、わかっているのに。
なぜか、隣の気配を意識してしまう。
(この人と一緒に、か……)
何となくだが感覚で分かる。
隣にいるこの竜人は、とんでもなく強い。
身体から漏れ出ている圧は、里でも見たことがないほどだ。
胸の奥が、少しだけ高鳴る。怖さと、期待が混ざったような感覚。
「……まだ、あまり難しいのは無理です」
正直に言う。
「護衛か、簡単な討伐で――」
「じゃあ」
言葉を遮るように、オーウェンが一枚の依頼書に手を伸ばした。
するりと引き抜く。
それを、セイラの前に差し出す。
「これにしようか」
見せられた紙を、反射的に受け取る。
そこに書かれていたのは――
『森に出没する群れからはぐれた竜種(亜竜)の討伐』
「……え」
一瞬、理解が遅れた。
次の瞬間、心臓が跳ねる。
「りゅ、竜種……?」
思わず声が裏返る。
亜竜とはいえ、竜種は竜種だ。通常の魔物とは比べものにならない。
少なくとも、駆け出しが気軽に手を出していい相手じゃない。
「ちょっと待て!」
横から、鋭い声が飛んできた。
振り向くと、顔馴染みの職員が血相を変えて駆け寄ってくる。
「セイラ、それは中級以上向けだ! やめておけ!」
「フィールさん……そ、そうですよね」
一体、いつから私たちのやり取りを見ていたのか、オーウェンが依頼書を手に取った途端、ギルド職員・フィールが止めに入った。
冒険者になったばかりの頃から、いろいろと助言をしてくれる同年代くらいの見た目の人間。
周囲の冒険者たちも口々に言う。
「死にたいのか?」
「亜竜舐めんなよ」
次々に浴びせられる言葉。
正論だ。全部、正しい。
セイラは思わず依頼書から手を離しそうになる。
「……やっぱり」
口を開きかける。
無理だ、と言おうとした、そのとき。
「問題ないよ」
隣で、静かな声が落ちた。
一瞬で、空気が変わる。ざわめきが、ぴたりと止まった。
セイラがゆっくりと顔を上げると、オーウェンは、先ほどと変わらない表情でそこにいる。
「僕がいる」
「あんた、その耳に、その鱗……。流れの竜人か? この子は半年前、うちで冒険者登録したばかりの新人なんだ。冒険者登録から一年経たないと、中級以上の依頼は受けられない。連れてく相手は選べ」
怪訝な顔のフィールに、オーウェンは気分を害した様子もなく、ゆっくりと頷いた。
「うん、ちゃんと選んだよ。セイラと一緒に行くってね。……僕がメインで受けて、セイラを同行者にするのはどうかな。今まで中級の依頼なら何回もこなしてるし、僕が受けるのは何の問題もないと思うけれど」
穏やかだが、全く引き下がる気配のないオーウェンに、フィールはひとつため息をついた。
「そこまで言うなら、あんたの冒険者カードを見せてくれ。それで判断する」
「ええと……はい、これ」
オーウェンは懐をまさぐって、一枚のカードを手渡した。
フィールはそれをしげしげと眺める。
「登録名はオーウェン。初級依頼264。中級依頼121。上級依頼が……52?」
フィール信じられないものを見るように、目を見開いて何度も冒険者カードの上で目線を往復させる。他の冒険者たちも後ろから覗き込み、ざわめきが急速に広がっていった。
――がたん、と。
少し離れた卓で、椅子を倒す音がした。
セイラがはっとして振り返ると、一人の壮年の男が立ち上がったまま、こちらを凝視している。
その顔が、みるみるうちに強張っていく。
「おい……嘘だろ」
かすれた声。
「まさか……あれ、本物のオーウェンか?」
「誰だよそれ」
「知らねえのかよ、各地のギルドで語り継がれてる――」
囁き声が、波のように広がっていく。
セイラは思わず、目の前の男――オーウェンを見上げた。
当の本人は、まるで気にした様子もなく、穏やかな顔のままだ。
「……有名人なんですか?」
小声で問いかけると、オーウェンはほんの少しだけ首を傾げた。
「どうだろう。長くやっていると、顔を覚えられることはあるね」
曖昧な返答。けれど、その間にもざわめきは大きくなっていく。
「“終わらない男”だ」
「死なないって噂の……」
「一人で古竜を落としたって話もあるぞ」
――古竜。
その単語に、セイラの思考が一瞬止まる。
(古竜って……里でも滅多に近づくなって言われる……)
人間の言う“古竜”がどこまでの存在を指すのかはわからない。
それでも、軽々しく口にしていい相手ではないはずだ。
そんなものを、一人で?
視線を戻すと、オーウェンは変わらず穏やかに立っている。
ただそこにいるだけなのに、周囲の空気が明らかに違う。
今さらになって、セイラは自分の背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(……この人、)
とんでもない相手なのではないか。
「お、おい……」
今度は、別の男が恐る恐る声をかけてきた。鎧を着込んだ、いかにも場慣れした冒険者だ。
それでも、その足取りはどこか慎重で。
「本当に、あのオーウェンか……?」
問いかけは、確認というより、願望に近い響きだった。
オーウェンは一瞬だけそちらへ視線を向けて、あっさりと頷いた。
「そう呼ばれていたこともあるね」
ざわめきが、一段と大きくなる。
「やっぱり……!」
「本物かよ……」
「なんでこんなところに……」
興奮と、恐れと、困惑が入り混じった声。
その中心にいるはずの男は、しかし興味を失ったように視線を戻した。
「それで、セイラ。……どうする? この依頼でいいかな?」
まるで周囲など存在しないかのように、静かに言う。
「え、えっと……」
思わず後ずさりそうになるのを、ぐっとこらえる。
理由がわからない。状況も理解できていない。
「私、まだ駆け出しで……」
かろうじて絞り出した言葉に、オーウェンは小さく笑った。
「知ってるよ」
その一言に、セイラは目を見開く。
「動きでわかる」
続けられた説明は簡潔で、淡々としている。
「けど、問題ない」
その声音は、妙に確信に満ちていた。
「僕がいるから」
胸が、どくんと鳴る。
まただ。
意味はわからないのに、否定できない感覚。
「……どうする?」
問いかけは、あくまで穏やかで、強制しているわけではない。
けれど、その瞳から目を逸らせない。
まるで、ここで選ぶ答えが決まっているかのように。
セイラは一瞬だけ迷って、それから、小さく息を吸った。
「……お願いします」
口にした瞬間、どこかで、何かが確かに動き出した気がした。
オーウェンは、満足そうに目を細める。
「うん。よろしく、セイラ」
その言葉は、ただの同行の挨拶のはずなのに、なぜかひどく――取り返しのつかないもののように、響いた。




