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55 人らしく

 生きてほしかった。

 笑って、生きていてほしかった。

 ただそれだけだった。



「……人らしく生きる、とは、何をすればいい」

「とりあえずちゃんと食べて、毎日外の空気を吸って、よく寝てください。特にゼファ様は体が大きいのですから、人の倍は食べないとなりません」


 ゼファ様は子どものように、こくりと頷く。栄養バランスは当分気にしなくていい。とにかく食って寝てくれれば、それだけで御の字だ。


「それに、ご友人たちに会うのでしょう? お土産話、沢山作りませんか」

「土産話?」

「ええ。例えば、ご友人が好きだったこと、過去に勧められたもの、一緒に訪れた場所。薬ができるまで、それらを辿るのは如何ですか」


 ゼファ様はぽかんとして、言葉の意味をじっくり考えたあと、ゆるりと笑った。


「……良いかもしれぬな。まずは、何からしてみようか――」



 ・ ・ ・



 次の日まで泊まらせてもらい、一日かけて改めて食事と水分補給の指導を行った。ついでに何品か作り置きをし、必ず毎日何か口にするよう何度も何度も強く言った。その日の夕方頃、エイラは風車が好きだったな、とだけ言って書斎に篭もられたので、そっと戸の隙間から覗けば、古紙で小さな風車をいくつか作っておられた。


 ゼファ様の容態が安定したのを確認し、自宅へ飛んで帰る。マナ構成体ともなると、丸一日かけていた移動がたった数刻程で済むようになった。ムウさんにはゼファ様のことは心配ないとだけ伝え、就寝時間を過ぎれば、自室に入る。


 ――簪で髪をざっとまとめ、ノートを広げて、アイデアを書き出していく。


 鎮痛、催眠作用は必須。短時間で強く効くものがいい、であればニデリー草か。消えてなくなる〝幻覚〟を見せるだけなら麻薬を使えばいいが、それは逃げの最終手段。身体が朽ち、分解される成分といえば――強酸? いや、アレがある? 人肉を食べ、土に分解する菌類――ノトロ菌、という手段? しかしこいつはニデリー草の抗菌成分と相性が悪い。


 ガリガリとペンを走らせる音が部屋に響く。何ページも書いてはバツ印を付け、冴えっぱなしの頭を稼働させ続けて考えた。


(……結局、手を動かしたほうがいいな)


 実験室へ行き、器具や素材を拝借し、自室に持ち込む。ランプの薄明かりじゃ目盛りが見づらいが、仕方ない。

 操作を進めるたび、やるせなさに襲われる。神であっても、人であっても、自分の力では救いきることができない――その無力感には、いつまでも慣れなかった。


 ふと、耳裏のアンプルを思い出す。ミネル、グロームベリー、妄来葉を中心とした、自作の麻薬。


 僕はアンプルの先端を割り、中身を一気に飲み下した。

 苦味と強い酸味だけが口に広がる。体調も気分も変わりやしない。


「……あは、薬にさえ逃げられないんだな。この身体は」


 独りごちて、空になったアンプルを床へ投げ捨てた。



 そうして、昼は家事と手伝いが終わればゼファ様の家に行き、深夜は自室で調剤をする。寝食もせず、そんな日を繰り返して1週間が経ったころだった。



 普段使いの簪を知らない間に落としていたらしいことに、僕は気がついていなかった。ノックの音がコツコツと響く。


「……セド? 夜分すまない。入っていいか」

「えっ、あ、ちょっと待ってください」


 ムウさんはとっくに寝てる時間だろう、と高をくくっていた。慌てて毛皮の外套を机にかぶせ、裁縫道具を脇に置き、扉を開ける。


「すみません。入って大丈夫です」

「悪いな。これ、落としていたぞ」

「ああ、ありがとうございます」


 受け取った簪をポケットに仕舞い込んで、笑ってお礼を言う。しかしムウさんの瞳は僕の表情をずっと見つめたままだ。


「どうなさいましたか? あは、添い寝をご所望ですか」

「……最近、忙しそうだな」

「ええ、少し。ゼファ様が心配で。放ったらかしてすみません」


 ムウさんは怒るでも肯定するでもなく、ただ黙って僕の目を見つめている。


「……ムウさん?」


 ふい、と目が逸らされれば、ムウさんはぐるりと部屋を見渡して、最後に僕の机へと視線を送る。


「待ってください、そこは――」


 言い切るまでもなく、ムウさんが机に掛けられた外套を引っ剥がす。……そこには僕の実験の跡。調合液やゼリーの入った器具、毒や劇薬の材料の数々、ニデリー草の解説ページを開いた本。


 ムウさんはひとつひとつの材料を手に取り、無言で確かめれば、ゆらりとこちらを振り返った。



「お前、何をしようとしている?」



 底冷えするような低い声で問われる。


 ああ、見つかってしまったか。案外早かったな、と心の中で自嘲する。次の瞬間、地の神力を込められた手でみぞおちをぶん殴られ――床に倒れた僕の胸元を、神力製の石柱が貫いた。


 痛みはないが、地のマナの濃さに酔い、思わず顔をしかめる。


「もう一度聞く。こいつは人を殺せるだろう。何をしようとしているんだ」


 目を見開き、眉間に深く皺を刻んだムウさんが、僕のみぞおちを踏みつけながら見下ろす。床から蔦が勢いよく生え、僕の手足や喉へと巻き付き、固く拘束される。ここまで激昂したムウさんを見るのは生まれて初めてだ。


「セド。返答次第では魂を砕くぞ」

「……ムウさんには関係ないです」


 ギッと歯軋りする音が、ムウさんの口端から漏れる。違う、僕はこんなことが言いたいんじゃない。


「僕の魂、砕けるものなら砕けばいい」


 違う、違う。僕は。こんなことを言って、悲しませたい訳じゃない。


「――ムウさんは、今まで人を殺せたことなど無い癖に」


 違う!


 ムウさんが僕を踏みつける力を弱めて、身を少し引いた。驚き、その瞳が大きく揺れたが、再び僕を睨みつける。

 きっとお互い、ギリギリの覚悟だ。


「……私が愛したお前だ。責任持って、ぶっ殺してやる」


 ムウさんはぐちゃぐちゃの顔で、吐き捨てるように告げた。

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