54 生きて
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――お前はどうしたい?
(僕は、ゼファ様を――)
日付が変わったあたりでフランツは帰ったが、それから夜が明けるまで、僕はずっとあのベンチに座り、ひとり考えていた。
誰かを喪う。誰かを生かす。
神の生は、きっとこのような瞬間の連続なのだろう。
薬師としてなら、ただ相手を生かすことだけ考えていればよかった。肉体の苦痛さえ取り除いてやれば、ベッドから立ち上がって人らしく生活できるのだから。
でも、心の苦痛はどのように取ってあげればいいのだろう。そして、それを取り除いたとき、ゼファ様はどのような選択をするのだろう。
くしゃりとした、あの人の笑顔が思い出される。
やっぱり、笑っててほしい。
一睡もしなくても頭が冴えていて、いつまでも考え続けることができた。まばゆい朝日が、僕の影をまっすぐ長く伸ばす。
家々が、道が、時計台が金に塗られていくのを、ただ見守っていた。その陽光は救いでもなんでもなくて、闇に溶けていたものたちの輪郭を暴いていくような無情ささえ感じられた。
――僕は僕の影を一瞥して、立ち上がる。
ゼファ様のことを信じていない訳じゃない。でも、なんとなく胸騒ぎがしたから。
服についた錆や埃を払って、旧宅街へと歩き出した。
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この時間にもなれば、ゼファ様も起きて書き物をされているだろう。昨日別れの挨拶をしてしまったから、そっと窓から様子を伺うだけだ、元気そうならそれでいい。
言い訳をして、玄関の反対側の生け垣から書斎の窓を覗く。……窓際の机には姿がなく、奥の布団で寝ているわけでもない。出かけているのだろうか? ……ふわりと風のマナを操作して、生垣の上に乗り、更に奥へと目を凝らす。
(あれは――!?)
書斎から伸びる廊下に、ゼファ様が倒れていた。
慌てて玄関へ回り、ドンドンと強くノックしてから入る。鍵は掛けられていなかった。
「ゼファ様!」
返事がしない。靴を脱ぎ捨てて駆け寄る。
「ゼファ様、起きてください、ゼファ様」
大声で呼びかけ、体を揺すっても起きない。脈はあるが、ゼファ様の指先が恐ろしく冷たいのを感じる。汗はかいていない。口に手を突っ込めば、その中は乾燥しきっていた。脱水だ。
台所へ走り、水に少しの塩を足したものをコップに何杯か作る。皿もコップも使われた形跡がなかった。また戻れば、ゼファ様の上体を起こすよう、その巨体の背中に僕の膝を入れる。頭を風のマナと手で支えて、口をこじ開け、無理やり流し込めば、だんだんと思い出したように飲み下してくれる。
「本当に貴方はいつも、自分を大切にしない!」
「……セ、ド……?」
「起きましたか! いいです、もう喋らないでください」
怒鳴りつけながら、マナを操作してゼファ様を浮かせ、書斎の端のベッドへ運ぶ。この様子だと食事はおろか、水さえもろくにずっと飲んでないだろう。
「……すまない、眠く、なって……」
「喋らないでって言いましたよね。あとそれ、眠気じゃなくて失神ですから」
二杯目、三杯目の塩水を同じように飲ませれば、吐き戻してもいいように、ゼファ様の顔を横向きにして寝かせ、服をゆるめる。
「一刻後、様子を見にきます。絶対、寝ていてください」
さっきまで悩んでいたのが嘘のように、がちりと思考が切り替わる。応急処置は済んだから、とりあえず消化によく栄養価のあるものを準備しなければならない。最後にまともな食事を摂ってもらったのは一昨日なので、最悪まだ食事が摂れなくても良いだろう。脱水だけは早く手を打たねばならない。
半日の看病の末、ゼファ様の意識はなんとか会話できるまでに持ち直していた。早く気づけてよかった。
「何故、飲まず食わずでいたのですか?」
「……面倒でな」
はあ、と大きくため息が出る。次は真水に果汁を加えたものを押し付けながら、思わず問い詰めてしまう。
「そこまで死を希うのですか」
「そんなつもりではなかった」
ゼファ様はばつが悪そうに、そっと目を伏せる。
「最初は単純に面倒だったのだ。つい飲食を疎かにすれば、そのまま倒れてしもうたのみ。……だがこの時、このまま眠ってしまえれば、と思ったのは、事実」
怒りを通り越してぞっとする。こんなにまで深い哀しみがゼファ様の心に植わっていたのかと、改めて怖くなった。
「……いつまで、生きたら良いのだ。消えて、無くなれれば」
肉体も弱り果て、うわ言のように願望を口にする。衰弱からくる気力の低下だと信じたいが、あまりにも、心からの願いに捉えられて仕方なかった。
いつまで、か。
「――僕が作ります。消えて、無くなれるような薬を」
「作、る……?」
虚ろなゼファ様の目をまっすぐ覗き込む。
生の終わりが見えないことが不安なのかもしれないと思った。ならばその終わりを僕が作ればいい。走りきるためのゴールを、提示してやればいい――とはいえ、そんなものを製薬できる自信はなかった。製法も心当たりがない。実現性など相当低い。けれど、この約束がきっと、ゼファ様の救いとなるはず。
紅い双眸がゆっくりと開かれ、朝日を吸い込んでいく。
「本当か」
「はい。必ず」
僕は迷いなく頷いてみせた。
「だから約束してください。――それまで、生きて。人らしく」




