53 星
「ずっと笑ってたけど。……俺がお前のことを忘れたから、そんな顔してんじゃねえよな」
軋む木張りの階段を二人で上る。ところどころ木が腐って割れていて、体重を思い切りかければ踏み抜いてしまいそうだった。
「……聞かない方が良かったか?」
「驚いてるだけ。表情を作ってるとき、厶ウさん――育ての親以外には言われたことなくて」
「まあ、好青年っぽい笑顔ではあったな」
一階、二階、とただ上を目指す。何度も空を飛んで、今よりずっと星に近い場所へ到達したはずなのに、こうしてステップを一段一段踏んでいけば、いつか届いてしまうのではないかと錯覚する。周りの家屋より高くへ上れば、急に空が広く感じられて、心まであちらへ持っていかれそうだった。
「フランツには、心細いときばかり会うからね」
「心細い?」
僕は黙って、上空を指さす。
「――光環の向こうには、何がある?」
「何って、死者の国」
「信じてるんだ」
「そりゃあるだろ。あるべきだ」
月の横、星の海の中、静かに佇む小さな光のリング。朝になれば姿を消し、夜の時だけ顔を出す。その向こうには死者の国があると言い伝えられているが、若い世代は信じていない人も多い。心臓が止まれば、魂も失われて終わり、還る場所などないと。
ギイギイと音を立てる階段を上り続け、屋上への扉を開ければ――砂埃にまみれた床と、錆びた金属製のベンチがひとつあった。
「なんでこんなところに、ベンチが」
「置いた奴も、誰かと話したかったんじゃねーかな? いい場所だろ」
フランツが先に座るので、僕もその隣に腰を下ろす。空気は冷たく澄んでいて、マナから意識を遠ざけて、ただ上空の景色だけを瞳いっぱいに映す。
山の中で見るよりも星は少なく見えたけど、その分ひとつひとつが際立って見えて、まるで漆黒の絹布にビーズを縫い付けたようだった。
「……綺麗だね」
「俺が塞ぎ込んでるとさ。じーちゃんが、よく星を見に連れ出してくれたんだ。だから声、かけた」
フランツの太い飴色の髪と深い青の瞳が、月と光環に照らされて艶々と光る。それすら、美しかった。
「こんなに綺麗だと、何から話せばいいのか分かんないな」
「思いついた順からでいい。話したくなければ話さなくてもいい」
落ち着くまでと上塗りし、後回しにした記憶を、ひとつずつ呼び起こす。重たく閉ざされた口を、声で押し開ける。
「……死を選ぶのって、駄目なこと?」
フランツは驚きつつも、問いの真意を聞かないでいてくれた。深く深く、何か呟きながら悩んで、一旦の答えを出してくれる。
「単純に、命を頂いてモノ食ってんだから、それを裏切るようなことをしちゃ駄目だと思う」
「深い絶望に身を落としたとき、それでも生き続けなきゃだめなのかな」
「どういうことだ?」
「ただ心臓を動かしてるだけって、生きてるって言えるのかな。――亡くした友人にまた逢いたいと、肉体の死を願うことは、食べてきた命への冒涜なのかな」
「……お前自身のことじゃねーよな」
静かに頷いて返す。僕自身の事じゃないから、気楽に考えてくれ。そんな思いがあった。けれどフランツは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
「なら、最悪だ」
「え?」
「お前をここまで悩ませるなんて、相当そいつは本気なんだろ」
星を見ていたフランツが、首だけ傾けてこちらを見る。
「――お前はどうしたい?」
フランツは僕と違って、決まりや倫理をよく守るほうだと思う。僕の答えはきっと、受け入れられないだろう。
「楽にしてあげたい。方法が分からない」
「ああ」
少しの間、沈黙が続く。どのような言葉を選べばいいか分からないでいた。フランツも息を呑んで、僕をただ見つめていて、なんだか責められているような気持ちになる。
「……僕が何しようが、もう僕を裁く法はない。自分の選んだ選択の結果を受け止める覚悟だってある。何が言いたいか、分かるよね」
「だったら何で、迷ってんだよ」
「その人を喪いたくないんだ。それだけ」
涙は流れなかったけど、視界はぼやけなかったけど、苦しくて、喉の奥がじんと熱くなって、うまく話せなくなる。婉曲も例えもできず、ストレートに表現するしかできない。
「きっと僕が何もしないでいたら、あの人は自ら命を断つ気がする。だから生かすでも殺すでも、何か、何かしなきゃなんだ。それが僕の、神を継いだ僕の負うべき責任――」
ゼファ様を人の身へ戻したとき、あの人が故人に会いたがるのは予想できた筈だ。どこかでその予想を拒んでしまっていた、神継ぎのあと、あんなにも平和にのどかに、一緒に笑って過ごせたのだから。でも、僕が出会ってからの半年と、ゼファ様が友人と過ごした何十年もの蓄積となら、後者のほうがきっと大切なはずだ。
それに、本当に死ぬしか選択肢がないなんて思いたくなかった。まだ何かできないか、そう、例えば人を喪う痛みを上回るような目標を見出すとか、生きたまま光環の向こうへ行くとか。しかしそのどれもが現実的じゃなくて、だけど死はあまりに短絡的な選択肢な気がして――。
無意識のうちに、星空から足先へと視線が落ちていた。
「……覚悟だの責任だのって言うけど。お前が何もしなかったせいで、そいつが死んだとしても、お前に非はないと思うぞ。本来、そいつの人生はそいつが面倒見るべきだ」
フランツは星を見上げたまま、まるで迷子の手を引くように、導くように、優しくはっきりと言い切る。
「だけど後悔するなよ。そいつとは沢山、話せ。お前の言いたいこと、やりたいことを全部出し切ってみて、押し付けてみてからでも、遅くない」




