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50 逢いたい

 ・ ・ ・



「大丈夫か?」

「……はい」


 家に帰って、なんとなく薬師の従事許可証を開けば、僕の欄が、名前や取得時期が、ごっそりと抜け落ちていた。保管していた僕宛ての手紙も、宛名が最初から書かれていないかのごとく、ものによっては中の便箋までもが新品のように白紙となっていた。そして、ゼファ様に作ってもらったアイドレールへの通行証も、まるで記名前のただの紙切れになっていた。


「折角作ってくださったのに。すみません」

「謝るでない。仕方のないことよ。こんなものすぐ作れる、新たな戸籍についても話を通しておいてやろう」


 お礼を言ってひとつ会釈をする。


 ありとあらゆる記録から、僕の名が、僕の記録が、すべて抹消されているのを確認して、再び蓋をする。本当にいなくなってしまったんだ、かつての僕は。


「……本当に、辛くはないか」

「はい。分かっていたことです」


 辛いというよりも――いや、辛いのだろうか。涙が出るほどの苦しさはない。うまく形容できないが、いよいよ人の世から遠ざかってしまったのだという諦めと、存在の抹消などという説明のつかない現象が本当に実現するのかという僅かな感動が、ないまぜになっていた。


「時に。神を継げば、存在そのものが生まれ変わる。その薬師という生き方も、この山でムウとともに過ごすことも辞めて、新たな生き方を選んでもよいのだぞ」

「……いいえ」


 ゼファ様の言葉を受けて、そっとかぶりを振る。あまりにも落ち着いた気持ちの中、もうそこにない心臓に手を当てて、ゆったりと笑った。


「ムウさんの隣で、薬師を続けることにします。きっと、それが僕を僕たらしめる根幹だから。――僕が人の世界に繋がり続けられる手段のひとつだから」

「そうか」


 ゼファ様はちょっと困ったような笑みを見せて、細く息を吐いた。



 ・ ・ ・



 神継ぎから十日後。


「――異常なし、と。何か困りごとはないか?」

「ああ、問題ない」

「そうか。じゃあ帰っていいぞ」


 ムウさんによる診察を終え、ゼファ様はいよいよ帰り支度をする。この十日間、大きく体調を崩されることもなく、人間としての生活に十分なじめたようだ。


「世話になったな」


 挨拶をするゼファ様に鞄を手渡せば、じっとこちらを見つめられる。


「な、なんでしょうか」

「……セド、送ってくれるか?」

「勿論です」

「ついでに寄りたいところがある。悪いが、そちらへも運んでほしい。それとムウ。花を一束、貰えるか」


 ムウさんは少し不思議な顔をして、首をかしげる。とはいえ頼まれごとの詳細にはてんで興味がないようで、近くにあったタオルをいくつか手に取れば、すぐに神力で大きな花束にしてみせた。ムウさんの上半身がすっぽり隠れて見えなくなってしまっている。それ、僕のタオルだったんだけど。


 ゼファ様が身をかがめて受け取れば、有難う、と満足そうに数度頷いた。そのまま二人で玄関を出て、ムウさんに手を振る。


「さあ、行きますよ」


 ゼファ様にかつて教えてもらった通りに、足の裏にマナを二層流し込み、ぶわり――と空へと舞い上がる。先日のように乱暴にならないよう、ゼファ様の体もそっとマナで包んで運んだ。



 多分自分だけならもっと速度が出せるのだろうが、人間のゼファ様が一緒なので、以前のように丸一日かけてアイドレールを目指す。夜を越えねばならなかったが、野宿をする訳にもいかず、またいい宿も知らないので、シミエ村のニコ様の家で一泊した。


 アイドレールへ近づくと、ゼファ様に風の流れを乱されて急に速度が落ちる。


「この辺りで、あちらの方へ」

「寄りたいところ、でしたっけ。わかりました」


 ゼファ様を先頭にして、行先を指で示してもらえば、アイドレール北部の少し開けた丘のような場所へ誘導される。上空から見るに、背丈の低い芝草と等間隔に並ぶ木々が牧歌的で、ピクニックによさそうな雰囲気だった。――点々と並ぶ石の塊にだけ目を瞑れば。


 そっと二人で降り立つ。ゼファ様は花束を抱えなおし、並ぶ石の方へと歩き始めた。石にはいずれも名前が刻まれており、ああ、これは墓標で、ここは墓地なのだとわかる。


「少し入院しておってな。今月は遅くなってしまった、すまない」


 明らかに僕に向けられていない挨拶から、定期的にゼファ様がここに訪れていることがうかがえる。きっとここには、ゼファ様のかつてのご友人、が。


 ゼファ様が、花束から少し花を抜いて、墓標のひとつひとつへと供えていく。ひどく優しいまなざしで刻まれた名をなぞりつつ、ただとつとつと語りだす。



 セシとレミーは仲の良い夫婦だった。喧嘩ひとつせず、ただ二人で畑を耕して、時々作物を寄越してくれた。

 ヒルダは寡黙なからくり工の女で、よく世話になった。息抜きにかわいらしい子どものおもちゃを作るのが好きだった。

 ラーツは大陸南部の少数民族出身の少年だった。族長を継がされそうになり、アイドレールまではるばる逃げて遊んでいた。

 クナキは活発な女で、いい年になるまで世界各地を放浪していた。3日も経てば別の地域にいるから、会うことは少なかった。

 フレイは傭兵にしては珍しく、依頼を受けるかを金じゃなくて気分で決める男だった。そのためか1年の半分は暇をしていた。

 イオは剣の扱いに長けた、獣狩りの女だった。病気がちな妹を食わせるのに苦心していた。

 トトルーは歴史学者の男で、気弱な奴だった。しかし軟弱そうな見た目に似合わず馬鹿力で、いつも何冊もの本を、時には本棚ごと軽々と抱えていた。



 エイラは生意気な少女だった。いつも我のことをオジサンと呼び、よくいたずらをしてきた。学は無いものの勘が冴えていて、時々ハッとさせられることがあった――そんな後継者候補だった。



 最後の花を供え置いたところで、ふわりとゼファ様がこちらを振り返る。


「セド」


 最後に、僕の名が呼ばれる。


「……友に逢いたいのだ」


 その紅い目は、底抜けに穏やかで、陽の光を吸い込み透き通っていて、揺らぐことなくまっすぐに僕を見ていた。




「我を、殺してくれるか」

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