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44 最後

 あれから暫く、ゼファ様には会っていない。



 あの後目を覚ませば、丁寧にも自室のベッドに身体を横たえられていた。ムウさんに何の話をしてたんですか、と聞いても、大した話はしていない、と返される。遠い目をしてやんわり笑んでいるので、かつて幼い僕にしたことを洗いざらい吐き、懺悔したのだろう。そして勝負の結果はやはり、ムウさんの全勝だったようだ。


「……これは、ええと」

「この単語は前置詞だ。あー、これが前にくることで……」


 ウサギとキジの木札を前に、ムウさんに古い言葉を教えて貰う。現代世語しか知らなかったが、このゲームはそれ以前に普及した近代世語で記述されているという。発音や単語の意味は今とさほど変わらないが、文法や字体にやや癖があった。


「まあ、セドなら字形にさえ慣れればすぐ読める筈だ」

「そうしたら、ムウさんとこれで遊べますか?」

「遊ぶだけなら、ひと月もかからんだろうよ」


 木札のいくつかを自力で読めるようになったところで今日の分は切り上げる。暖季は終わりに近づき、夜には薄手の羽織が要るようになった。洗濯物を取り込むために表に出て、ついでに配達物を確認する。


 郵便受けを開けば、依頼書類に交じって手紙が一通届いていた。差出人はゼファ様だった。宛名は僕。……なぜ住所を知っているんだ? と思ったが、アイドレールへの永続通行許可証を作ってもらったとき、戸籍情報を伝えたのを思い出す。


 自室に戻り、封を切って開けば、上質そうな便せんが一枚だけ収められていた。特に何も考えず開けば、ただ二文だけ、軽い筆致で書かれていた。



 『最後に会いたい。もう一度、芋団子を作ってもらえないだろうか』



 最後?



 どういう意図かさっぱり分からない。分からないが、嫌な予感がする。僕は鞄にざっと荷物を詰め、ムウさんの休む居間へと行き、声をかける。もう遠出の準備も慣れたものだ。


「すみません。ちょっと不在にしていいですか」

「どうした?」


 黙って、手紙を見せる。ムウさんはそれを受け取って読めば、少し目を見開いて、怠そうに髪をかき上げた。


「あの馬鹿野郎、何を考えている。無駄に歳を重ねて言葉は重ねんとは、どういうつもりだ」

「ムウさんにも分からないのですか?」

「皆目見当もつかん」


 不安げにムウさんは椅子の上で膝を抱えて、託すような、そして威厳を込めた声音で告げる。


「行け。セド」

「はい」


 鞄を担ぎ、靴を履いてコツコツとつま先で床を叩いて、玄関を開けると同時に空へと発つ。アイドレールへの行き方はすっかりと身体に染み付いていた。



 丸一日かけてアイドレールのゼファ様の家へ着けば、濃いマナが家の周りに滞留しているのが見えた。眠気で回らない頭が急に冴えて、庭へ降り立てば玄関へと走り、強くノックする。


「ゼファ様、僕です。セドです」

「……入れ。鍵は開いておる」


 家の奥から優しい声がするので、失礼します、と言って飛び込む。書斎へマナがゆっくりと吸われているのが見えて、同じように戸をノックして、次は返事を待たずして入った。


「来たか」


 久しく会うゼファ様が、ゆるく微笑んで僕を迎えてくれた。普段と変わらないように、もっと言えば普段より柔和に見えたが、もう、頬骨の辺りまで鱗が侵食していた。


「ちょっと進行が早くないですか。初めて会ったときは鎖骨辺りまで、だったのに」

「逆に今までが遅すぎたのだ。お主に会ってから早まった」

「そんな事ってあるのですか」

「神について、分かっていることの方が少ない」


 言葉を交わしながら、じっと観察する。マナ構成体に対して意味などないのだろうが、癖で〝診て〟しまう。……瞳孔は開いていない、隈や黄疸もなし、血色も悪くない。他に変わったことと言えば、やはり、服で隠れていない手の甲へも鱗が広がっていたことだろうか。そして何より、マナが絶えずゼファ様の魂へと吸い込まれている。理由は分からないが、明らかにおかしいことだけは直感で分かる。


「このままだと、ゼファ様、貴方は」

「分かっておる。故に……」


 椅子に掛けたまま、ゼファ様が僕に向き直る。重い口を開いて、緋色の目で僕をじっと見つめて、決心したように言った。



「ここを出て、別の後継者を探す旅へ出る」

「……は?」



 何を考えている、この人は。この神は。僕という資質持ちが居ながら、僕が神になっても良いと決めたのを知っていながら、僕を置いて他の後継者を探そうなどと言う。


 ゼファ様は笑顔をより深めて、慈しむように言葉を続ける。


「お主はまだ若く、未来がある。ムウと共に、人として人生を歩むべきなのだ。やはり。我は他の適当な人間を探しに――」

「何を、何を言っておられるのですか?」


 自分でも驚くほどに冷たい声が出る。ゼファ様はその声色にびくりと肩を震わせ、笑顔を崩す。



「……表、出てくださいよ」



 マナを操作して書斎の窓を開け放ち、出せる力の全てでゼファ様の体躯を空へと飛ばす。僕も追従するように舞う。


 僕はひどく怒っていた。


 決意を踏みにじられたからというよりも、僕が伸ばした手を掴もうとしないその理由が、意味がわからなくて。どうして人を頼らないんだ、どうして勝手に未来を決めつけられなければならないんだ。


 僕はこんなにも、ゼファ様を大切に想っているのに。

 どうして貴方は、貴方自身を大切にしないんだ。



 かつて竜を討ったあの草原へ、僕らを送り届ける。

 その間、ゼファ様は抵抗しなかった。

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