42 渇望
豆のスープ、庭で採った葉物のサラダ、乾燥させた小魚、ドライフルーツ入りの固ケーキ。だらだらと会話しながら食べられるように小分けにし、大皿へ盛った。ゼファ様の好みがまだ良く分からないので、お茶も何種類かを用意し、大きめのポットに入れて空のカップを添えておいた。
なんとなく、二人との間に割り入って会話をする気になれなかった。今まで面と向かって話さなかった二人だろうから、この機会に沢山言葉を交わしてほしいと思っていた。僕は手早く料理を食べ終え、テーブルから離れて洗い物をする。聞こえてくる会話に耳を傾けながら、淡々と皿を磨く。
「美味いな」
「そうだろう。セドの飯は美味いんだ」
ムウさんが得意げに胸を張る。足は床に届いておらず、ぷらぷらさせている。ゼファ様は緩慢な動作で少しずつ口に含み、一口ごとに何度も咀嚼している。
「自慢だよ、こいつは。ゼファが約束通り、セドを山へ放ってくれたお陰だ」
「……待て、あの時預けてきおった瀕死の人の子が、セドか?」
「知らずに接していたのか?」
「妙な縁もあるものだな」
髪色も目の色も同じだというのに、言われるまで気づかなかったらしい。それともあの時の僕が痛々しすぎて見ていられなかったのか。
「……色々と、迷惑をかけた。本当に悪かった」
目を伏せながら、ムウさんは謝った。空白だった200年弱を取り戻し、精神的に成熟したように、そして引きずっている痛みをゆっくり消化しているように見える。
「理由があったのだろう」
ムウさんはゆっくりと考えて、こくりと頷く。
「気が向いたら話すが良い。我でも、セドでも。時間は幾らでもある」
「少なくともあんたには無いだろ。時間なんて」
ふとゼファ様の方を見ると、襟の隙間から覗く首筋へ、鱗が何枚か見えた。――ゼファ様のはぐれが進行している。神力を教えてもらった二ヶ月前は、首までは広がっていなかったはずだ。この間、竜を討った時に、だろうか。
「……まだ数十年の猶予は有る」
「本気で言っているのか?」
ムウさんが怪訝な顔でゼファ様を見る。そしてくるりと振り返り、僕へ声を掛ける。
「セド。私の部屋の、入って左の棚だったか、箔押しの紙箱があるだろう。取ってきてくれ」
「え? わかりました」
最後の皿を乾燥カゴへ掛け、言われたものを取りに行った。
その箱は少し古い言葉で書かれているようだった。似た字をゼファ様の書斎で見た気がする。辞書くらいの分厚さで、一辺が僕の肘から指先程まである大きな箱。持ち上げてみるとずしりと重い。
足元に気をつけながら食卓まで届けると、ムウさんはゼファ様の真ん前に来るよう座り直し、その箱を開けてみせた。
「また懐かしい物を。『ウサギとキジ』か」
「酒も毒も効かん私たちには、こういう娯楽が一番いい。そうだろ?」
黒い爪の太い指と、ピンクの爪の小さな指が、代わる代わる箱から物を取り出す。人間やウサギやキジを象った木の駒と、遊戯盤のような物と、何十枚もの薄い木板が手際よく並べられていく。空になった箱を預かれば、部屋の脇に置いて、僕もよく見える位置へと椅子を動かして座る。
「どういう遊び? なんですか」
「大体700年くらい前に流行ったらしいボードゲームだよ。今ではめっきり見ないが、私が若い頃くらいにも、古き良き遊びとして遊ばれていたんだ」
「もう知る者は居らぬと思っていたが、成る程、神なら話は別だ」
積まれた木板を五枚数え、ムウさんとゼファ様が順に手に取る。それらを相手に見えないように手に持てば、二人とも考えたり、ふむと呟いたりしている。そして追加でもう一枚、木板の山から一枚めくって表向きに見せ置けば、黒い枠で飾られた文と絵が見える。何と書いてあるかは全く読めないが。
「細かい話は置いておいて――私が先行、キジだな。ゼファはウサギだ。互いに駒を進めたり妨害したりしながら、のろまな相手を先に人間様の罠に嵌めたほうが勝ち、ってゲームだよ」
「なんか……物騒ですね」
「そうかもしれぬな。やってみれば案外、奥深いのだよ」
どちらからスタートの合図をするでもなく、ムウさんは盤上のキジの駒をトントンと進めた。札を一枚取って、別の札を場へ捨てる。それをゼファ様が見届ければ、同様にウサギの駒を進め、札を取って捨てる。進めた距離は、ウサギが僅かに短い。
「――なぜ抗う?」
駒を進めながら、ムウさんは訊いた。この声音はおそらく、純粋な疑問。それを受けてぴくり、と太く黒い眉が動く。
「何の話だ」
「本能が求めている癖に。渇望してやまない癖に」
ムウさんの手から札が捨てられ、いいな、とだけ呟けば、ウサギの駒が1つ手前の位置へと戻された。
「尋常じゃないくらい苦しいんじゃないか? はぐれるのに抗うのは」
「……だから、何だという」
ゼファ様の手番となって、駒をいくつか進めれば、盤上のルートに分岐が訪れる。少し悩んで、遠回りで安全そうなルートを踏むべく改めて駒を進めた。盤に手を伸ばすたびに前のめりになれば、その袖から、首筋から、キラキラと鱗が瞬く。
「問いを変えようか。……はぐれの近づいた神は、素質ある者に噛みついてでも後継ぎを欲すると聞く。それをあんたは強靭な理性で押さえつけて――一体、何を恐れている?」
ただただ分からないのだ、と言わんばかりの薄い笑みを湛えながら、ムウさんは手に持った木板の束でコツコツと机を叩いた。




