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39 陽光

 神を継いだマグノリアは、もう腹も減らない身体になり、生きるためのあらゆる義務から解放された。その神力を振るって山の中に家を建て、逃げるように本を読み続けた。たまに村へ下りては、薬をわずかに売って、売った金をすべて本へと変えた。それが50年、100年、150年と続いていった。



 ある時、マグノリアのもとに一通の手紙が届いた。シミエ村の女性からだった。



 来てくれと言われたその場所へ向かえば、いやに明るい寝床に、ひとりの女性が横たわっていた。妊娠しているらしく、お腹が膨らんでいる。


 僕はその女性を見て、息を呑んだ。この人は、僕の。

 (……お母さん、だ)


 髪色は違えど、顔つきがよく似ている。僕のものと同じ金の瞳が、マグノリアのことを優しく見つめていた。


 ――ひいおじいちゃんがね。何かあれば貴方を頼れ、って。


「曽祖父とは誰のことだ。私は知らんぞ」


 ――ニコって名前ですよ。知らないの?


 マグノリアが目を見開く。構うことなく、女性はお腹をそっとひと撫でして、話し続けた。


 ――私、もう長くないの。主人も逝った。この子が産まれればひとりになっちゃう。……あなた、長生きなんでしょう?


 拒絶するように、違う、とマグノリアは口ごもる。けれど女性はただ切なそうに笑んで、祈るように言った。


 ――この子を、託しても……いい?



・ ・ ・



「マグノリア、だ」


 ――まうのーら?


「違う。マ、グ、ノ、リ、ア」


 ――むぐのら! むーのら!


「フ。むーのら、か。……もう、ムウと名乗るのがいいのかもしれないな」


 幼い僕が、床に座って名前を呼ぶ練習をしている。3歳くらいだろうか。


「そろそろ潮時か」


 マグノリアが腰を上げ、机の上の一本の小瓶を手に取って、僕の元へ戻る。周りに散らばったままの材料へ目を凝らせば、ミネル、グロームベリー、妄来葉といった、馴染みの違法薬草の数々。


「……口を開けろ」


 まだ遊んでもらえると思ったのか、僕は無邪気に手を伸ばす。


「何をしている、早く」


 マグノリアが僕の顎を掴み、口に細く長い指をねじ込み、こじ開ける。

 小瓶を咥えさせれば、中の液体を飲ませるように、その後ろを持ち上げる。僕はうまくむせることもできないまま、中の液体を飲み込んでしまう。


「良い子だな。セド……」


 陽光が窓から差して、僕らのいる日陰を一層濃くして見せた。

 刹那、僕の身体から力が抜け、床へ倒れ込んでしまう。


「……こんなやり方しか知らなくて、すまない」


 唇を噛みながら、マグノリアは倒れた僕へ謝った。



「ゼファとやら、居るんだろ。時間が惜しい。協力してくれ」


 ゼファ様の家の戸を叩きながら、マグノリアが大きな声で呼ぶ。


 ――誰だ、何の用だ。……ああ、お主はニコの。


「単刀直入に言う。こいつを山へ置いてきてくれ」


 背負った僕を降ろし、ゼファ様へ押し付ける。僕は眠っているというよりも、気を失っているのに近かった。白目を剥き、唇は青く、口端から唾液が漏れ出ている。身体も時々痙攣している。


 ――何だこいつは。早く医者に……


「診せなくていい。私がやった。致死量ぎりぎりの毒を入れてある。これから私がやることは、こいつに見せられないからな」


 ――お、お主、何を言っているか分かっておるのか!?


「濡らした布でも咥えさせておけば死なない。ここに書いた山の中腹に、赤い花で囲われた木のうろがあるから、そこへ。後で迎えに行く。他言無用だ」


 早口でマグノリアが説明し、そのまま僕をゼファ様に預けて出ていってしまう。四肢の力が抜けた僕を抱え、ゼファ様が叫んだ。


 ――説明しろ! 小娘、こんなことをして許されるとでも!



 そしてマグノリアは、一輪の木蓮と一冊の本を手に、シミエ村のニコ様の家、そして僕のお母さんがいた家へと戻ってきた。


 ゆっくりとした動作で本棚を動かし、隠し扉の中の机にそっと花瓶を置き、木蓮を挿す。ふう、とため息をついて、誰が聞いている訳でもないにもかかわらず、とつとつと話しだした。


「……私は、ずっと疎まれ追われて生きてきた。死ねないまま、敵意の中で時を重ねた。かつての私のように、セドには人を忌み恨むことを教えてはならない。全て忘れて、良い思い出だけを礎として育てよう……あいつが人の輪の中で生きていけるように」


 胸中を語りながら、濃いマナを掌のうえでまとめ上げ、金色に輝く1本のナイフを生み出す。持ち手を向こう側へやり、切っ先をみぞおちにそっとあてがう。



「セドは、私の太陽なんだ」



 マグノリアは一息に、金色のナイフを己が身に刺した。身体の内から強烈なマナの光が溢れ出す。


「っぐ、ああああああっ!!」


 痛みか、それとも本能的な恐怖からか、マグノリアは絶叫する。ギリギリと硝子を引っ掻くような音がし、やがて、パキンと高く澄んだ音が響いた。


 魂が欠けた音だった。



 そこで景色は途切れた。


 ただ静かな空間に色が戻り、木蓮の花は力なく散って、部屋が暗くなる。

 ふと、僕の腕の中の重みを思い出す。


「ムウさん?……ムウさん!」


 ムウさんは、映された景色にいたような大人の姿になっていた。あまりにショックな出来事を一気に流し込まれたためか、ひどく震えており、目の焦点が定まっていない。


「ムウさん、しっかりして」

「……は、あ、セド」


 やっと僕と目が合えば、その美しく整った顔立ちをぐしゃ、と歪めて、大粒の涙をこぼした。


「セドっ……セド……」


 ムウさんが、マグノリアが、僕の両袖を掴んで、胸に顔を埋める。


「……どこにもいかないで……嫌いにならないでくれ……」


 弱々しいその願いに、僕が返す言葉は決まっていた。



「大丈夫です。……愛してくれて、ありがとうございます。僕も、愛していますから――」

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