表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

39/42

38 足跡

 ――助けて! 熱い!

 ――火元は何なんだ! 早く消火を! 水を!


「あ……あ……」


 ムウさんにとても良く似た少女は、混乱のために視線を彷徨わせる。


 ――あんたがやったんだろ、マグノリア!

 ――だから長耳人(エルフ)なんて引き取るなと言ったのよ!


「ちがう、ちがうの、わたしは」


 ――黙れ!


 怒声を浴びせられ、少女・マグノリアは思わず身をかがめた。後ろでまた土砂が崩れる。


 ――ちっ、また!


「火をけ、消さないと」


 ――お前の変な力で逃げ道を塞いでいるだけだろう! もういい、何処かへ行け!


 マグノリアは言われるまま、燃え盛る山へと走っていった。

 


 足を熱し、肺を焼きながらも走り続け、山を超えたところでとうとう気力が尽きて、倒れ込む。月の光が、何者かの影によって隠される。


 ――なぁ、何してんの? 嬢ちゃん。


「わ……わたし……わかんない……」


 ――分かんないか~、そっかそっか。


 人影がぼろぼろのマグノリアの顔を覗き込む。その時、月光にはっきりと表情が照らされる。

 童顔の成人男性。金の短髪、そして僕と同じ金の瞳。その額には、ムウさんよりも大きな二本の角。男性は少し驚いた表情をして、すぐにいたずらっぽい笑みを浮かべた。唇の隙間から、大きな牙が覗く。


 ――ふうん、いいね。オレ、ニコっていうの。わかる?


「えと……」


 ――助けてほしい?


「た、助けて欲しい、です」


 ――嬢ちゃんさ。オレのとこまで来たら助けたげる。嬢ちゃんなら追ってこられるだろ?


「どういうこと、ま、待って……」


 そのまま、ニコ様はマグノリアを置いてすたすたと歩いていった。足跡に煌めくマナを流し込みながら。



 行く当てがなくなったマグノリアは、マナの足跡を辿り、村や都市の貧民街へとたどり着く。労働力を搾取され、奴隷として扱われ、また逃げた。それを何度も繰り返した。


 ……映される景色はどれも凄惨だった。目を塞ぎたくなるような記憶ばかりが抜き出され、紙芝居のごとく断片的に語られた。映されない景色は直接脳に流れてきているから、僕が見ているこれらは、きっと、本人が特に手放したかった記憶たちだ。


 戸籍も身寄りもないマグノリアは生きていくために、春を売り、倫理を売り、人を売った。皮も爪も尊厳も、何度も剥がされた。菫色の瞳はだんだんと曇り、とうとう誰をも敵に回せば、薬物へ縋ってまで命を繋いだ。


 場面が切り替わるたび、景色の中のマグノリアの背が伸びていき、成熟していった。何年も、何年も、どこまで続いているか分からない足跡を追い続けながら、マグノリアは独りで生きることを強いられていたのだ――そんな事実を突きつけられた。



 マグノリアがもう20歳を超えているかと思われた頃。

 彼女は手脚を縛られ、崖へと立たされていた。


 そして、何の言葉を掛けられるでもなく、まるで屑でも捨てるかのように背中を蹴りつけられ――海へとその身体をまっすぐ落とした。


 マグノリアは何も抵抗しなかった。


 波は彼女をさらい、崖からどんどんと遠ざけていった。



 何度か夜を越したと思われる頃、その身体は浜へと打ち上げられていた。


 ――見て! 人が倒れているわ。

 ――脈はあるのか?

 ――弱いけどある! 私の家へ運んで。


 昔の景色だが、そこがシミエ村の近くだというのはわかった。瀕死のマグノリアは担がれ、どこかへ連れて行かれる。


 ――あっ、ニコ! あんたも手伝いなさいよ。

 ――ん〜? ケガ人? 病人?


 かつてマグノリアに声をかけたニコ様が、ふらりと木の陰から現れる。やはりとも言うべきか、ひとつも老いていないようだった。相変わらず、場違いなまでに軽い調子で答える。


 ――おお、いつかの嬢ちゃんじゃないの。


 ニコ様が、マグノリアの荒れた髪と長い耳を見てそう呟いた。



 一命を取り留めたマグノリアが最初に口にしたのは、感謝ではなく許しを請う言葉だった。


「何でもする。あとで殺してくれたっていい。だからそこの男と会話をさせてくれ……頼む」


 ――オレ? ああいいよ、オレも嬢ちゃんと話したかったから。……なあ、ちょっと二人にしてくんない?


 ニコ様の周りに集まっていた村人が、手で払われて散っていく。部屋の中にはマグノリアとニコ様だけが残された。


「私のことを助けてくれると言ったこと……覚えているか」


 ――勿論覚えてるさ。ずっと追ってきたんだろ? いいよ。この生活に飽きてきたし。


「飽きてきた……?」


 ――まあまあ、オレのことはいいじゃん。な?


 マグノリアは口を噤んだ。最後の気力を振り絞るように絶望で澱んだ瞳でニコ様を見つめた。


 ――オレに協力してくれれば、生きる金を稼がなくてよくなる。世界中の誰もが、嬢ちゃんのことを忘れて知らんぷりしちゃう。これって魅力的な話だと思わない?


「……本当、なのだろうな」


 特徴的な童顔が胡散臭そうな笑みを浮かべる。


 神を継ぐことの大きな欠点となる、〝人間だった頃の存在の抹消〟。それを、ニコ様はマグノリアへ救いとして提示した。

 血や涙や泥で塗れた人生を送ってきたマグノリアは、その甘言を信じきれずも、受け入れてしまう。



 やがて二者は手を取り、地の神を継ぐ儀式を行った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ