34 答え
「いやあ、騒がしいと思ったらセドだもんなあ。あんな荒事する奴だと思わなかったけど」
フランツはケタケタと笑っていた。僕もつられて笑ってしまう。
「もう。僕は優しさを売りにしてるのに」
「ククッ、でも実際、お前は優しいだろ」
「そうかな?」
「自分で言っておいて聞き返すなよ」
急行車での心地の良い会話の続き。ゆったり話すムウさんやゼファ様とは違う、同じ年代同士特有の軽やかなテンポに、笑い声が混じる。
「優しいって、誰にでも言えるんじゃないの」
「確かにな。でもセドの優しさって、誰かを助けるときに思い切りがいいってやつなんだよ。急行車での猪の件もそう、今回もそう」
言われてみれば、猪の治療や、最近では竜との一件でもそうだった。目の前の誰かを助けたとき、あまり深く考えておらず、体が勝手に動いていた気がする。
「僕って、結構思慮深い方だと思ってたんだけどな」
「そうか? 何かに悩むことと、咄嗟に動けることは別物な気がするけどな」
フランツが眉間にしわを寄せて、うーん、と唸って悩む。言葉にするのが難しいらしい。
「俺ってさ。誰かの為に動くのに、尻込みしがちっていうか。迷惑じゃないか、助けようとしてる人が実は悪い奴なんじゃないか、大事になるんじゃないか、って」
言われれば、そのような可能性も考えられたなと反省する。助けた女性が男達を騙していたなんて背景、あってもおかしくない。僕が黙って考えていると、フランツが更に続けた。
「だから俺はいいなって思う、セドの思い切れるとこ。〝間に合う〟ことができる奴って、そういうことができる奴だけだ」
間に合う、という言葉に、ゼファ様の肌一面を覆う鱗が思い出される。
ゼファ様に時間がない。助けられるのは――神を継げるのは、今のところ僕だけ。確かに普段の僕ならこの時点で何も悩んでいないし、きっと迷っていない。
……ああ、自分が何者かなんてどうでもよかったんだ、決断するのにそんなことを考えなくてよかったんだ。何者であってもなくても、ムウさんが既に認めてくれていた。それにその問いに対する答えのヒントを今、フランツがくれた。
神になるとかならないとか、そんな大層な話じゃない。――今僕に何ができるかを、ひとつずつ丁寧になぞるだけだ。
「そう……か」
「うん? どした?」
「ううん、ありがとう。おかげで悩んでいたことをひとつ、片付けられそう」
「それはよかった」
静かに茶を呷って、話しすぎて乾いた喉を一気に潤した。浅くなった液面を見てポットの茶を注ぎ直す。
……神を継ぐ。その決心には、最後の一押しが欲しい。
「ねえ、フランツ」
「ん?」
「僕、もしかしたら消えてなくなっちゃうかも、って言ったら。……どう思う?」
突拍子もない話だ。笑ってくれてもいい。カップから視線を上げると、フランツは大真面目な顔をしてこちらを見ていた。
「どういうことだよ。まさかお前、死ぬのか?」
「いや、その。そうじゃないし、生きてるつもりだけど、この先も」
微笑んで首を横へ振ると、少しフランツの表情が和らいだ。
神となるということ。それは、マナ構成体へと作り変えられ、今生きている全ての人から忘れ去られること。……フランツにさえも。
「オバケみたいになるってことか?」
「近いかも。……神様、になれそう、なんだ」
周りの人に聞かれないよう、ぐっと声の大きさを落とす。フランツが前のめりになって、聞き漏らすまいとしてくれる。
「神様、なっちゃったらさ。みんな僕のこと忘れるんだって。家族も、どんなに仲良かった友人も」
「……急に言われても、わかんねえよそんなの」
「そうだよね。ごめん」
「神様になるってなんだよ、俺がセドを忘れるって? 意味わかんねえ、本気か?」
フランツは目を見開いて、低い声で早口でまくし立てる。神様と暮らしているという荒唐無稽な話を信じてくれた彼でも、流石にこんなことを言われては飲み込みづらいようだ。
心配させたくなくて、慌てて付け足す。
「でも、僕らが過ごした時間は僅かだし、フランツ自身に大きな影響はない筈だよ。ただいつお別れか分からないから説明と、ちょっと話を聞いて欲しかっただけ――」
「――ふざけんな!」
フランツが大きな声を出す。驚き、口を噤んでしまう。
「忘れなきゃいいんだろ。俺が。俺だけでも」
フランツのまっすぐな眼差しが、僕の心の底まで見透かすように差し込まれる。
「こうして話したってことは、ちょっとでも誰かに憶えていてほしいっつう未練がある、違うか?」
図星だった。でも、その思いは手放すべきだ。
「……大丈夫。僕はこうして、言えたから」
「お前が大丈夫じゃねーだろ」
フランツが自分の腰カバンを漁る。何か取り出したかと思えば、革でできた飾り紐だった。端には水晶のような石が付けられており、紐の所々に銀糸で飾りが入れられている。素人目でもかなり意匠が凝ったものだと分かる。
「手ェ出せ」
言われるまま、僕は右手をそっと差し出した。フランツは飾り紐の両端を持ち、僕の手首へ二、三度巻きつけて、金具でパチンと止めた。
「有り合わせの試作品で悪いな、でも一番出来が良かったやつなんだ。……俺はこいつを見れば、自分が作ったやつだってすぐ分かる」
飾り紐は軽いはずなのに、何故か重みを感じた。フランツがやっと笑って、こう続けた。
「どれだけお前のことを忘れたとしても、こいつを贈るほどに大切な友人だったんだって、未来の俺はきっと分かってくれる」
紐に付けられた飾りがキラリと光った。胸が震え、今までぐずぐずと煮詰まっていた不安感が一気に払拭される。
未来の彼が本当に気づいてくれるかはわからない。でも、不思議と説得力があった。それに、僕のことを〝覚えていたい〟と思ってくれた――その事実だけで、もう一人じゃないと思えた。
「貰ってばかりだね」
「出世払いな」
「――うん」
僕を大切な友人だと言ってくれたフランツは、爽やかに笑っていた。




