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30 竜化

 村長が亡くなって一週間と少しが経ち、ようやく日常を普段通りの心持ちで過ごせるようになった。今までは何をしていても、どことなく鬱屈として気分が晴れなかったが、やはり時間の経過というのは心へのよい薬だったようだ。ムウさんは僕よりも立ち直るのが早く、今では製薬に没頭して実験室から出てこない。


 そういえば、ゼファ様への贈り物を買ったままで渡し損ねていた。今は依頼が溜まっていないし、数泊するつもりで出かけようかと思い立つ。無断で出ていくのはよくないので、ムウさんに一言伝えるために、口を布で覆って実験室へ入る。朝日で薄明るい室内に、器具の操作の音だけが響いていた。


「今度は何の研究ですか」

「危篤状態の人間の興奮状態を緩和させるには、どうすべきかと、な」

「助ける、とは言わないですよね」


 投薬だけではできることが限られているし、最終的には本人の生命力頼りになってしまう。万病を癒す手段など、医学にも薬学にも用意はされていない。


「ムウさんは、かならず命を救える訳でもないのに、どうして薬を作り続けるのですか」

「縋れるものくらい、幾らあったっていいだろ」


 質問に対する答えにしては少しずれている気がするが、僕には何となくわかった。きっと、ムウさんは命を救いたいんじゃなくて、死ぬときまで心身ともに健康なのがいいのだと言っている気がする。治療できない痛みや苦しみで精神を摩耗するのならば、それを和らげる手段くらい用意するべきだろう、みたいな。そうであれば、ムウさんらしい答えだな、と思う。


「僕、ゼファ様に会いに行きたいなと思って。数日、家を空けていいですか」

「ああ」


 ムウさんは実験の手を止めて、僕を見上げてこう続けた。


「ゼファはもう限界が近い。何かあればすぐ呼べ」

「限界、って」

「もうじきはぐれるだろう」


 はぐれ――神がその魂を変質させきったとき、怪物のような姿へ変わり自我を失うことの揶揄。以前ゼファ様に見せてもらった、上体の肌一面に広がる鱗のような様相を思い出す。500年も経てば魂の変質に耐えられなくなるのに、千年も神のまま過ごしているなど常軌を逸しているのだ。


「心に留めておきます」



 花祭りで買った万年筆と、幾らかの軽食、そしてお金と着替えを鞄に詰め、背負う。ゼファ様の家を出る日に頂いた毛皮の外套を羽織る。忘れ物はないか確認する最中、ムウさんが紛失した本のリストを持たねばと思い出し、鞄に詰めなおす。準備が整えば外に出て、窓の外からムウさんに声を掛ける。


「行ってきます!」


 ムウさんは手をひらひらさせて、何も言わずにこりと微笑んだ。以前家を出たときほどの不安はない。


 マナを纏わせて、高く高く舞い上がれば、うねる大きなマナに乗り空中を滑る。今日もよく晴れているが、明日は雨になりそうだ。雨の中飛んで帰りたくはないから、また暫くゼファ様の家に滞在させてもらおうかと考える。前と違って十分なお金を持っているし、寝床だけでも借りられれば御の字だ。


 南へ南へと泳いで四刻くらい経っただろうか、そろそろ腹が減ってくる。太陽が真上にあるので昼飯時なのだろう。体は正直だな、と笑ってしまう。

 軽食と休憩をとるため、降り立つところを探さねば。眼下に丁度いい場所がないか顔を下に向ける。


 (……あれは、一体?)


 自分の体の真下に大きなマナの乱れがあった。蛇がとぐろを巻くような渦ができている。降り立とうにも、あの渦に呑み込まれれば強風でひとたまりもなく墜落するだろう。危険だと分かっていながら、それでも見慣れない光景に好奇心が抑えきれず、少し離れた場所へ着地を試みる。


 側にあった岩場の影へ無事ゆっくりと着地すれば、マナの渦の中心を見るべく、マナから物体へ意識を移す。光の帯が視界から消え去れば、その向こうに異様な光景があった。


 ――羽の生えた巨大な爬虫類、と形容するしかない。人の何倍もあろうかと思われる体躯に、それを支える筋肉質な四肢。全身を覆う、蒼く透き通る水晶のような鱗。そして額に生える二本の角は、ムウさんのそれと酷似していた。これには心当たりがある。


(神の、はぐれた姿――竜化だ)


 思わず冷や汗が流れ、唾を呑む。こんなのを放置しておけば人死にが出る。いや、もう既に出ていてもおかしくない。この竜がゼファ様でないことは感覚で分かるが、相当の力を持った神の成れの果てなのだろう。このままにするなと鼓動が早鐘を打ち、警告する。でもどうすれば。ムウさんに知らせる? そんな時間はない。


 竜の目の前には人影があった。何もせず立ち尽くしている。僕は反射的に駆け出していた。助けないと! でもどうすれば? 麻痺薬と毒薬のいずれが効く? 神力はどう使うべきだ? 救える算段が立たないまま、暴風の中ただ息を切らして駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」


 その人影がゆっくりとこちらを振り返る。よく知った姿だった。


「え、ゼファ、様?」

「――っ、セドか。……良い所に来た」


 見知った姿に心から安堵した。ゼファ様は再度竜と相対し、僕の元まで通るように声を張り上げた。


「疾く疾く決着を付けよう! お主の力を借りたい」

「はい!」


 僕は再度、マナへと意識を切り替える。

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