29 仕業
次の日の朝、珍しくムウさんが僕より早く起きた。急かされて、頭がまだ回らないまま朝食と簡単なお弁当を作って携える。山頂への分かりやすい道はなく、草を分け入って進まねばならないので時間がかかるのだ。虫に刺されたり草で皮膚を切ったりしないよう、厚手の長袖を着る。暖季真っ只中の今これを着て歩くのは暑いが、仕方がない。
ふと、歩かないという選択肢があったな、と思い直す。着替えの終えたムウさんを家の前の広いところへ呼んで、腰をかがめて両手を広げた。
「ムウさん。……ほら」
「ほら、って何だ」
「飛びますよ。捕まってください」
「は?」
「二人同時に空へ浮かせるのは自信がないんです。だから僕が抱きかかえて、ひとかたまりとすれば解決でしょう?」
「歩いていく選択肢はないのか?」
その選択肢は勿論ある。更に言えば、ゼファ様に神力を教わる前はいつも自力で歩いていたが、敢えて言わない。静かに笑顔でかぶりを振って見せれば、ムウさんは困り顔をして大きなため息をついた。
「……私は重い、ぞ」
「僕の前では、重さなんて全くの無力ですよ」
正面から僕の肩へと腕を回してもらい、子どもを抱っこするような姿勢になる。見た目も10歳くらいの少女なので、こうして見た目相応の行動をされるとちょっと微笑ましい。親戚とかいたらこんな感じなのだろうな。
「また失礼な事を考えているな?」
「しっかり捕まっていて下さいね。あと舌、噛まないように」
「話を逸らすな、図星か――って、うわっ!?」
飛ぶのはもう慣れたものだ。軽く地面を蹴れば、僕たちは宙へと軽々投げ出される。マナを自分の手足のように操作し、光の帯で体を包む。木より少し高い位置をキープして、ゆっくりと目的地を探しながら空中を泳ぐ。
「……ちょっと心地が悪いな」
「僕の腕の中でそんな事言わないで下さいよ。傷つきます」
「違う、お前がダメだって訳じゃない。風のマナを真っ向から受けたのが初めてでな」
どうやらムウさんにとって、風のマナはむずむず、そわそわするものらしい。毛筆で全身をゆっくり撫でられているような感触だという。僕からしたら風のマナは、爽やかで心地良いものなのだが。地の神であるムウさんには、逆の属性は受け付け難いのかもしれない。
「眺めはいいものだ」
ムウさんが目を細めて、僕の耳元で呟いた。
目的地に到着するやいなや、ムウさんが違法薬草の群生地へと駆け寄る。地面にしゃがみ込み、一株一株の様子をじっくりと丁寧に、実から花、葉の表裏、根へと観察の対象を移していく。その間、ムウさんは一言も喋らなかった。
半刻ほど経った頃、気が済んだのかこちらを振り返る。
「セド。いつからここを知っていた?」
「12歳くらいの時に、ここを探検していた時でしょうか? 美味しそうな木苺があると思って、ひとつ持って帰って図鑑で調べた記憶があります」
「よくそれを食わなかったな」
見知らぬ植物はむやみやたらに食べないのは幼い頃からの常識だ。これを契機に、グロームベリーを始めとした違法薬草の数々を調べ始めたのが懐かしい。ふふん、と胸を張ってみるが、ムウさんは表情ひとつ変えなかった。姿勢を整えて向き直る。
「違和感がある……わかるか?」
「人為的に植えられたものだとは理解しています。株の根元が等間隔ですし、いずれも分布する地域が異なる」
「そうだな」
やけに人工的な植生地。だからムウさんはここを知っていると思ったし、ムウさんが栽培したと思っていたのだ。
ムウさんが何かを確認するように目を閉じて、地面に手のひらをつける。淡く発光しているから神力を用いているのだろう。胸を軽く圧迫されるような感覚があったが、苦しいほどではない。
「はぁ……何なんだ、これは」
ムウさんの眉間に皺が寄る。難しい事を考えている顔だ。
「地のマナが注がれた形跡がある。個々の植生域に合わせるためか?」
思わずえ、と声が漏れてしまう。マナを操れる人間が僕以外にいるのか。もしくは別の誰か、中位神あたりで土壌改良のようなことを得意とする神がいるのだろうか。
「……ムウさんは知らなかったんですよね。この場所のこと」
「ああ。でも注がれたマナは綺麗すぎる、混じり気がない。まるで私が――高位神が扱うようなものだ。私でないなら、先代の仕業かと思ったが……あいつはそんな事に興味がないだろう」
ムウさんが目をそっと開け、一段とその体の輝きを強める。地面に縫い付けられそうなほどの重力を感じ、よろめく。ちらちらとした光が地面に吸われていく。
「まあいい。根絶すれば、誰の仕業かなど問題ではない」
根から焼き切るように違法薬草をすべて枯らし、無害な雑草へと変質させた。もったいないな、とちょっと思ったのは内緒だ。
ムウさんは土ぼこりを払い、周りに生え残った違法薬草がないか念入りに確かめる。
「すまないな。案内してくれてありがとう」
「いえいえ。じゃあ、帰りましょうか……ん?」
ムウさんが無言で立ち尽くし、こちらへ向かって両手を伸ばしている。
「何しているんですか?」
「いや、その……飛んで帰るには私を抱えなければだろう?」
「変なこと言ってないで。歩いて帰りますよ」
その言葉を聞いた途端、ムウさんが顔をぶわりと真っ赤に染めた。
「――歩いて行けるんじゃないか! 騙したな!」




