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26 宴の準備

・ ・ ・



 ――口を開けろ。


 人影が、僕の目の前に近づいてくる。低い女性の声。顔はよく見えない。長い髪、すらりとした手脚。女性にしては背が高く見える。


 ――何をしている。早く。


 女性が僕の顎を掴み、口に細く長い指をねじ込まれ、こじ開けられる。

 抵抗する間もなく小瓶を咥えさせられる。中の液体を飲ませるように、小瓶の後ろを持ち上げられ、口内が苦味でいっぱいになる。吐き出し拒絶しようとしたが、わずかに飲み下してしまう。


 ――良い子だな。セド……


 陽光が、その人の後ろで遠くまたたく。


 美しいと思った。


 刹那、身体の自由が利かなくなり、床へ倒れ込む。視界がぼやけ、いよいよ何も見えなくなる。

 僕はこの人を知っている。……ああ、そうか。彼女が、貴女が――



 (マグ、ノリア……)



・ ・ ・



 生々しい夢の感触に、思わず飛び起きる。呼吸ができていなかったのか息苦しく、慌てて息を吸い込む。嫌な汗が身体中から吹き出ており、その冷たさで現実へと意識が引き戻される。


「……うなされていたぞ。大丈夫、か」


 声のした方を見れば、ムウさんがベッドのふちに座って僕を見つめていた。ひどく優しい声で語りかけるムウさんは、昨夜とは全く違う、儚い雰囲気だった。


「すみません、ちょっと怖い夢を見てしまっただけで。大丈夫です」

「人の死に立ち会ったのは初めてだろうからな。無理もない」

「……はい」


 あれからご厚意で、宿に泊まらせてもらっていた。窓の外は夜と呼ぶには少し明るく、もうすぐ日の出なのだろう。起きるには早すぎる時間だ。


「ムウさんこそ、寝なくて大丈夫なんですか」

「マナ構成体が睡眠を必要とするはずがないだろう」

「でも家では夜、眠っていますよね」

「娯楽みたいなものだ」


 そんなことはない。確かに眠らずとも活動し続けられるのが神の身体ではあるものの、リフレッシュの手段として睡眠は有効だ。特に精神的に疲れた日こそ、眠ることで気分を安らげることができる。昔、ムウさんの口からそう聞いた。



 村長は、死の淵まで呼吸を荒げながら亡くなった。


 これが物語だったなら、村長が最後に意識を取り戻して何か言葉を残したり、穏やかに眠ったりして亡くなるのが定石だ。しかし現実は違う。いつどの言葉が遺言となるかなど誰にも分からないし、苦しみの渦中で逝く者が殆どだ。そんなことは知っていた筈なのに、理解できていなかった。初めて直面したその現実に目を覆いたくなる。


 村長も祭りとか宴会とか好きだったな。そもそも、村のみんなと何かをすること自体好きだった気がする。手伝わなくていいと言われているのに、わざわざ顔を出しに来て、何をすればいい? とあちこち聞き回っては、村のみんなを困らせていたっけ。


「――あ」


 頬を、涙が伝っていった。

 一度緩んだ涙腺は言うことを聞かない。やがて、僕の意思に反してぼろぼろと大粒の雫がこぼれる。想い出が、ぱらぱらと紙を舞わせたように幾つも脳裏に浮かんで、そのどれもが帰ってこない。帰ってこないのだ、と思うと、寂しい。……そう、寂しい。


 ムウさんが黙ってハンカチと水を差し出し、背中に手を添えてくれる。声を出せばそのまま叫んでしまいそうだったから、喉奥をぎゅっと締めて、会釈する。ヒュウヒュウと息が漏れて、顔の筋肉が引き攣って、苦しい。


「気が済めば、そのまま眠っていい」


 服越しに感じるムウさんの手の重みに、孤独感を拭われる。


 体が強張って、ベッドの上で震えながら膝を抱えた。

 そのまま僕はしばらく泣いていた。


 次に目を開けたときには朝になっていて、ムウさんが僕の隣で寝ていた。僕たちがいつ眠ってしまったのか、よく覚えていない。




 もともともう先が長くないと言われていたからか、準備は早かった。その日の夜には葬儀が執り行われた。棺の中には祭りで使われた花々が入れられ、眠る村長の顔の周りだけが華やかになる。


 喪服の用意などしていなかったので、地味な服を借りた。ムウさんもこの時ばかりは、丈の合った黒のワンピースを着ている。


 歌を歌い、別れの言葉を復唱し、儀式的な行為のひとつひとつを通して心の整理をつける。部屋とは違って、散らばった感情をどこに仕舞えばいいかわからないが、ぐちゃぐちゃとした気持ちひとつひとつに名前をつけていくことくらい、できる。


 寂しい。虚しい。何もできなかった。無力だった。過ごした日々は楽しかった。苦しそうで可哀想だった。


 村のみんなも声を上げて泣いていたり、俯いて肩を震わせていたり、それぞれ故人を悼んでいた。


 馬車に棺が載せられ、運ばれていく。ここから先はご家族だけが立ち会える時間になるので、動き出す馬車を見送る。きっとこの後、火葬場で遺体が燃やされ、いよいよ骨と灰だけになるのだろう。



 ご家族が戻られたのは2日後の昼過ぎだった。

 嫌になるくらい真っ白に明るい日照りが、雨でぬかるんでいた地面を乾かす。火葬場から戻ったであろう奥さんが、滞在していたムウさんと僕の姿を見つけて駆け寄ってくる。


「ムウちゃん、セド君。……ありがとうね」

「私の方こそ、悪かった」


 憂いを帯びた笑みを浮かべる奥さんと、僕たちとの間に沈黙が流れる。どう、言葉を続ければいいか分からない。


 悩む僕を横目に、ムウさんがカラリとした笑みで返す。


「以前、訊かれた事があったな。『どうしてムウちゃんは幼いままなの?』だっけか?」

「童顔なだけ――って言ってなかったかしら?」

「お前、三日前まで何してた」

「花祭りだけど……それがどうしたの?」


 ムウさんが、広場の方へと歩き出す。僕は口を挟めるわけもなく、慌ててついていく。


「かつての花神は大層陽気でお祭り好きだった! こんな辛気臭い光景、村長も当時の花神も見ていられんだろうよ」


 髪をかき上げるムウさんの体から神力が溢れ、僕の目にさえ映るほどの多量のマナが凝集していき、星屑のようにちらちらときらめく。その威圧感とともに、不敵な笑みを浮かべて言い放つ。


「閉会宣言はしてないだろうな? クク、まだ祭りは終わってない。今代の〝花神〟として祝福を与えてやろう、村人総出で彼の軌跡を語り合おうじゃないか」


 ぶわり。――色とりどりの花弁を空へと巻き上げながら、〝地の神〟ムウさんは、声を高らかにしてこう言った。



「さあ、宴の準備だ!」

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