25 病床
「どけ! 私が診る」
村長の家に群がる人達に向かって、ムウさんが怒鳴りつけながら、その波をかき分けて進む。この村には今、医者はいない。次に回診に来るのは来週の末だ。それに危篤状態とあっては一刻を争う、薬師でもなんでも診られる人間が診なければならない。
「ムウちゃん! 来てくれたのね」
「お前は清潔な布と水を用意しろ。水はとりあえず桶1杯。そっちのお前、村にある薬を片っ端から集めてこい。それからお前――」
「わ、わかった」
奥へ奥へと進む足を止めない。周りにいた適当な人間に指を差しながら準備をさせる。一通り村人への指示を終えれば、こちらを振り向くことなく、僕へ命じる。
「セド。こちらに薬が届き次第、105番、27番、84番を最優先に寄越せ。ある分でいい。27番は砕いてだ、5錠」
「はい」
105番は気付け薬、27番は鎮静薬、84番は血圧を上げる薬だ。どれも効き目としてはかなり弱いが、無いよりはましという判断だろう。
「それから、お前の耳裏のアンプルは?」
……僕の左耳の裏がひやりとする。外出時に携帯している、御守りのガラスアンプル。中の薬液の成分も、持ち歩いていることすらも、ムウさんにさえ話したことがない。国にバレれば重罪だが、腹を括ってムウさんにしか聞こえない声でその材料を言う。
「……っ、ミネル、グロームベリー、妄来葉を中心とした抽出物です」
「なんてことだ」
いずれも人間への処方はおろか、所持さえ禁じられている素材である。依存性、有害性、幻覚性があり、使用も流通も固く制限されている。もちろんそんなものを他人に処方したことはない。ただ、山の獣に襲われた等の理由で深手を負った時に、痛覚を麻痺させてでも家に帰れるようにするための御守りだ。後ろめたい気持ちになり、歯を食いしばってしまう。
「預けてくれるか。使わなければ返す」
無言で頷いて、耳に固定するための金具を外し、ムウさんにアンプルを手渡す。……黙っていてくれるらしい。そのまま僕は頭を静かに下げた。
「村長! 入るぞ」
返事を待たず、ムウさんが病床へのドアを乱暴に開け放つ。
並ぶご家族の向こうに見えるのは、ベッドの上で横たわり、ゼイゼイと喘ぐ村長の姿だった。水分や栄養が取れていないのか、以前会ったときより随分痩せて見える。目は限界まで開かれ、震える眼球が今にも落ちそうだ。
「少し、お身体に触りますね」
ムウさんが様子を伺っている間に、僕は村長の上体を抱えて起こし、その背中の裏に毛布だの上着だのを入れて、姿勢に傾斜がつくようにする。きっとこちらの声は届いていないだろうが、どうしても声をかけてしまう。
姿勢を安定させれば、ほどなくして水や布や薬が運ばれてくる。僕とムウさんは互いに場所を代わって、僕は薬の準備をし、ムウさんは村長の熱や脈を測る。105番は村にはなかった。27番から5錠取って砕いて、84番を一包分用意する。――薬箱の中に、強めの睡眠薬もある。村長に苦痛が生じた時に、とあらかじめ渡しておいたものだ。
ふと、ご家族の表情が目に入る。皆、顎や口元に手を当てて、不安そうにみえる。しかし誰一人その不安を言葉にすることはない。少し広い部屋の中に、僕やムウさんが作業をする音と、村長の喘鳴と、本降りとなった雨音だけが響く。そして病床には到底相応しくない、色とりどりの生花飾りが、皆の頭の上で揺れていた。
ムウさんに、薬の準備が出来たので27番と84番、そして睡眠薬とコップに入れた水を近くのテーブルに置く。村長の呼吸は変わらず荒いままだ。
もしかしたら、僕の風の神力で息を楽にできないだろうか――と思った瞬間、村長が激しく咳き込み、鮮血混じりの痰を口から漏らす。医者でないから詳しく分からないが、気管支か肺かがやられているのだろう。神力で何とかできるイメージがわかない。神力程度じゃきっと、どうにもならない。
ムウさんは脈を診るのをやめ、27番を手に取り、水に溶かしたものを経口摂取させる。村長がむせ返るが構わず流し込む。
「部屋を湿潤しろ。村長の着替えも寄越してくれ」
感情のこもらない淡々とした指示に、今まで何も手伝えず気が気でなかったご家族が一斉に散らばる。ムウさんはそれを見届けると、また脈を測りだす。そっとムウさんの表情を伺えば、既にもう諦めたような目をしていて、思わず息を呑んだ。
「湯を沸かした鍋と、濡らしたタオルを持ってきました!」
「こっちに着替えを置いておきます」
「ありがとう。助かるよ」
バタバタと足音を立てて入ってくるご家族に、ムウさんは脈を測りながらお礼を返す。
「それで、その、主人は――」
「……出来る限りのことはしよう」
奥さんはその言葉を聞いて、目に光が少し戻る。ムウさんのことを信じて、縋っているのだろう。でも、ムウさんは奥さんを傷つけまいと言葉を選んだだけで、本当は、もう。
ムウさんはそのままずっと、五刻のあいだ、脈と息と熱を診続けていた。
僕とご家族はその側でずっと立ち会い、時々手伝いをした。
雨はとうとう止まなかった。
日付を超えて少し経った頃、その喉を最期まで枯らしながら、村長は息を引き取った。




