23 愛しい神様
神を継げば、今までの自分が〝いなかった〟ことになる。その言葉の意味を、僕は分かりかねていた。肉体を手放してマナ構成体になる過程で、一般的な心停止を伴う死とは異なることは想像できるが、存在そのものがなくなるとはどういう意味なのか。
その疑問を口にする前に、ムウさんが答えを出す。
「――戸籍からも血筋からもありとあらゆる記録からも、自分のことを抹消される。だけでなく、関わってきた全ての生物が自分のことを忘れる。その人間が元々いないことになる、とはそういうことだ。……だから、まだ人間関係の狭い子どもや若者、訳アリの人間ばかりが神を継いでいる」
「それって、僕が神を継げば、ムウさんからも忘れられてしまう……?」
「ああ、元からいる神だけは例外だ。生物、ではないからな。私やゼファのおっさんは、変わらずお前のことを覚えているよ」
その言葉を聞いて安堵する。もし僕が神を継いだとしても、ムウさんと今まで通り話すことができる。――他に、僕がいなくなって困る人って居たっけな。
実の両親はどこで何をしているか分からないし、だから家族なんて誰が生きているかなんて知らない。小さい頃に、村で学舎をともにした友人たちは、皆もう村の外や都会へ働きに出てしまったし、とっくに僕のことを忘れていることだろう。コフ村をはじめとする近隣の村の皆さんに忘れられたとしても、ムウさんが既に顔なじみなので、もう一度紹介してもらって関係を新たに築けばいいや、と思う。
ふと、フランツのことを思い出す。彼は――たった2日話し込んだだけだし、別にそれだけの浅い関係だ。彼には友人と思われてないだろう。なら、別に……いいか。
「神を継ぐのであれば、よく考えることだ」
「……ムウさんさえ覚えていてくれるなら、それだけでいいですね」
その時の僕の、紛れもない本心からの言葉だった。
露店があと少しで閉まるらしいが、まだ全ての店を回れていない。まだ休むつもりのムウさんに声をかけて、一人で離れて見に行くことにする。
生花飾りを買って満足してしまっていたが、他の商品も魅力的なものばかりだった。祭りの趣旨を踏まえて、花を象った雑貨が多いのだが、なかなかどうして花というモチーフひとつでここまで個性が出るのだろうか。ガラスでできた薔薇型のブローチから、ぬいぐるみのような布細工、中には花弁を埋め込んだ家具まで売っている。
次へ次へと見ていけば、ふとひとつのペンに目が留まる。
それは赤い百合の絵が軸に描かれた、黒い漆塗りのペンだった。思わず手に取り、キャップを開ければ、美しい曲線を描く金色のペン先が見える。あまりにまじまじ見ていると、店主から声を掛けられた。
「それ、良いでしょ。万年筆。もう閉店だから安くしちゃうよ。贈り物にどう?」
贈り物か。そういえば、ゼファ様にアイドレールに滞在していた時のお礼をまだしていないことを思い出す。髪や瞳とお揃いの色を持つこのペンは、確かに似合いそうだ。それに翻訳の仕事をしていれば、筆を走らせる機会も多いだろう。
「いいですね。買います」
「毎度」
このペンとは良い出会いだった。それに、またゼファ様に会いに行く口実ができた。暇ができたら渡しに行こう。ご機嫌になって、思わず早足になってしまう。
一通り店を見終えてムウさんのもとへ戻る。ムウさんは僕を待つ間、ずっとぼんやりと、人の流れを眺めて過ごしていたようだった。退屈させてしまっていたか、人混みはやっぱり疲れさせてしまったか、と考えてしまうが、僕の姿に気づいて手を振るムウさんの姿を見てみれば、普段と変わりなさそうだった。
「何か買ったのか?」
「ゼファ様にお土産を。ムウさんは……お疲れですか?」
「ん? 大丈夫だ」
年に一度の祭りなのに、ただ座ってぼんやりしているだけでもゆるく微笑んでいて、ムウさんは楽しそうだった。いや、200年も生きていれば、年に一度の機会など珍しくも何ともないのかもしれないが。
あっちにあれがありましたよ、とお話をすれば、そうか、と返されるだけの会話。それをいくらか繰り返していると、やがてガチャガチャと出店をたたむ音が聞こえてくる。日差しはすっかり傾き、夕から夜に変わろうとしていた。木に点々と吊り下げられたランプに、火が灯されていく。
「さ、そろそろ帰るか」
ムウさんが腰をようやく上げて、出口へ向かおうとする。今までの僕なら何も考えずに了承したと思うが、無性に今はこの時間が勿体なく感じた。気付けば、ムウさんの手を握っていた。
体温を感じさせない冷たい手。
「……まだ。まだ祭りは終わってません」
にこりと微笑めば、どこからか笛や太鼓の楽しげな音楽が聴こえてきた。
「おい、まさか」
「踊りましょう。ムウさん」
年に一度、食えや踊れやの花祭り。
夜の部の始まりが、軽快な旋律と、参加者の手拍子や歌で迎えられる。
「他の若い女とペアになればいいだろうに」
「ムウさんと踊りたいんですよ。ね、さあ、行きましょう」
納得いかない顔をした愛しい神様の手を引いて、広場の中心の明るい場所へと、文字通り躍り出た。




