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13 駆け抜けていく

 手のひらが涼しくて、熱い。

 体の中が落ち着いていて、震える。

 呼吸が深くゆっくりで、息苦しい。



 相反する感覚があるが、全く違和感がない。

 呼吸や血液の流れに乗って、巡るものを感じられる。

 体の内がだんたんと熱を帯び始めている。

 肌が粟立つ。


 

 自分に視覚があることを思い出し、見る。

 ゼファ様が、表情ひとつ変えず僕を見ている。


(ああ――)


 たくさんのごく薄い絹布のような光が、ゼファ様の身体に取り込まれていく。

 その光は花畑のように様々な色が交じって、姿を変える。

 時々、光の布の表面が強くまたたいて目が眩む。



 自分に聴覚があることを思い出し、聞く。

 自分の鼓動の音に気づき、その強い音を今まで無視していた事実に驚く。

 僕の呼吸はさっきよりもずっと速く、浅い。



 視界はバチバチと火花を散らしていて眩しい。

 ゼファ様が何か言っているが聞き取れない。

 足をつけて立っている感覚がない。

 体の内側のあらゆる細い管を駆け抜けていく感触。


 熱い。熱い。……熱い!





「――しっかりせい!!」

 



 ゼファ様が僕の肩を掴み、怒号を放つ。


 は、と息を吸い込み、我に返る。ゼファ様が焦った様子で僕の体を支えたが、直後、僕は力を抜かれたようにへたり込んでしまう。


 全速力で走った後のような荒い呼吸が、気管支を痛めつける。床に手をついて四つん這いの姿勢をとると、床に水たまりができていた。僕の顔から滝のように汗が出ているのに気付いた。


「大丈夫か、セド」

「っは、はぁ……っ、僕、何を」

「勢いよくマナが吸い込まれたかと思えば、惚けているようであった。慌てて供給を断てど吸収が止まらず、ようやっと手を離せた時にはこれ、よ」


 疲労感で目が回っている。うまく考えられない。


「よく、わかりません」

「そうか。では質問に答えよ。痛むところはないか?」

「ないです」

「苦しいところや、他に変わったところは?」

「変わったところ……」


 閉じかけていた瞼をなんとか開けると、視界が今までと違うのがわかる。


「布のような、光が、見えます」

「そうか。他には」

「まだ、分かりません」


 ゼファ様は僕の返事を聞いて、少し安心したように表情を和らげた。その時、僕の体が床から浮く。ゼファ様に担がれたのだ。そのまま、書斎の隅のベッドに転がされてしまい、着たばかりの服を緩められる。


「水と、汗を拭くものを持って来る」


 そう言い残して、ゼファ様は光の布を纏って部屋を出る。僕は部屋に一人残され、天井に漂う光をぼんやりと見上げていた。


 呼吸が整えば、やがてふわふわと光が目の前に下りてきたので、指先でつまんでみる。手触りは何もない。何の気なしに、軽く上へと引っ張った。


「わっ」


 光を引っ張った方向に、ぴゅうとゆるい風が吹く。汗だくの顔を冷やして、前髪を巻き上げていった。まさか、と思ってつまんだままの指先を右左へ動かせば、その通りに小さく風が起きた。


 だんだんと、どのように動かせばどんな風が吹くかが感覚的に分かってきたので、手のひらの上で小さなつむじ風を起こしてみたり、結った後ろ髪をふわふわと浮かせてみたりして遊んでいた。


 その時、視界の向こう側で大きく光が乱れる。間もなくゼファ様が部屋へ入ってきて、僕の顔色を見て僅かに笑んだ……気がした。

 ゼファ様の手から固く絞った冷たい布とコップの水を受け取り、一気に飲み干してから顔を拭く。いただいたコップと布を返すとき、目の前に滞空していた光の布を貫くように手を伸ばしてしまう。


「うわっ!」

「む?」


 手を伸ばした方へ突風が吹き荒れ、バタバタと窓やカーテンを揺らす。机に放置されていたメモもあちこちへ舞った。毛布までベッドから半分飛び出し、ぐちゃぐちゃになる。ゼファ様は焦る様子もなく、むう、と喉奥を鳴らした。


「まだ光が見えておるか?」

「はい。さっきもうっかり、手を伸ばしてしまって……すみません」

「それが風のマナだ。操作するかせぬかは己の意識次第。生活に障らぬよう、〝操作しない〟訓練をし、今日は終わりとしよう」


 

 僕がゆっくりと上体を起こせば、ゼファ様がベッドの縁に腰掛ける。その穏やかな低い声で、いち、に、と数をゆっくり唱えながら、指先を揺らして光の布を出したり消してみせたりする。


「マナが消えた……?」

「目を凝らせ」

「ああ、濃度が薄くなっているんですね」


 ごく薄く光るマナの帯に気づいた途端、先ほどよりもずっと多くのマナが見えるようになる。部屋の中のすべての空間が、濃淡さまざまのマナで満たされていた。


「次に我の目を見よ。そう、次は椅子の背もたれ。卓上のペン、窓の外の鳥……」


 ゼファ様が指先をそのまま揺らしながら、徐々に遠いところを見るように指示する。視線を言われる通りに動かしていけば、空飛ぶ鳥が見つけられず、目を凝らして探す。


「鳥なんていないですよ」

「そうか。部屋はどう見える」

「あっ、マナが見えなくなってる」


 先程までとは打って変わって、以前と変わらない書斎の姿があった。あんなにあったマナの光も、すっかり見えない。


 その時、窓の外をひときわ大きく濃いマナの帯が通過する。それを視界に入れたのをきっかけとして、また部屋にマナが現れ始める。要は気にかけているかどうかで見え方が変わるらしい。


「見えぬマナには干渉できない。存在を意識下に置かぬよう、先ほどの訓練を何度か繰り返そう」


 ゼファ様はまた、いち、に……と数を数え始めた。

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