表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

明るい自殺

作者: ふみ

自殺

第1章:心病む

第2章:練炭

第3章:キョウチクトウ

第4章:洗剤

第5章:塩 

第6章:水

第7章:風呂で溺死

第8章:二酸化炭素中毒

第9章:首つり


第一章:心病む

 俺の名は尾崎ふみ。こう見えて幹部自衛官である。幹部という言葉から、皆さぞかし偉いんだろうとよく言われる。しかし実態はノンキャリアの部内幹候ってやつで、忙しい割に対して給料が上がるわけでもない。タダ働きさせられる、嫌な立場だ。そんな幹部になぜなったかって?そりゃあ簡単。3曹が長かったから。8年やった。3等陸曹を。そこまできたら、指折り数えて一曹定年がみえてくる。50過ぎて上級陸曹教育隊に行く自分がみえる。そんなのは嫌だ。そうだ!幹部だ!部内幹候だ!となる。若かりし頃の浅はかな考えが仇となり幹部に任官する。幹部に任官して約2年俺はとある教育入校を卒業することなく原隊復帰した。この原隊復帰がその後の人生に暗い影をおとす。激しい後悔をもたらすのであった。悔やんでも悔やみきれないその思いはやがて10年に渡り、いっそ消えてなくなってしまいたいと思う様になり15年後、自殺未遂という形で表れた。

今回は、その自殺未遂についてどの様に失敗して今を生きるのか?をテーマに語っていきたいと思う。


第2章:練炭

 ゴールデンウィークも最終日に差し掛かろうとしていたある日の午後。俺は密かな計画を練っていた。それは練炭による自殺である。庭付き一戸建てを購入した俺は庭でキャンプをしばしば行っていた。5月とはいえまだ夜は肌寒い。だからこそ誤って練炭をテント内に入れてそのまま逝ってしまうってのが大まかな作戦だ。You Tubeで一酸化炭素中毒に気をつけてってな動画を見てて思ったのだが、とりあえず寝る前に練炭を焚いて一晩すれば致死濃度にまで達する事が分かった。後は遺書を残すかどうかだが、これはやめよう。遺書なんて残した所で俺が伝えたい事がねじ曲がって伝わるだけだし。と言うことで、今日は庭でBBQとキャンプをしようと家族に提案。素直に受け入れてくれた。ここでキョウチクトウの枝で肉を焼いて食べるんだが逝けなかったのは別のお話。BBQもおわり焚き火モードに突入する。練炭の箱買いしてきたのはコストコで、安くてたくさん手に入るから。英語で説明書きがしてあってkilled youの一文が目に入る。恐らく一酸化炭素中毒に気を付けろ!お前逝くぞ!みたいな事が書いてあるんだと思う。家族皆はそれぞれの部屋でお休みした頃、俺は外に出してあった焚き火台をテントの中に入れた。最初は煙たくて仕方なかったけど。すぐに慣れた。ちょうど眠たくなってあぁ、これで安らかに逝ける!今までありがとう、皆と思ってるうちに意識が遠のいた。

 次に目が冷めたのは病院の中だった。あれ?逝けなかったの?俺。そう思い当たりを見渡すと嫁が安堵した表情で俺を見ていた。お医者さんと思しき先生が『大丈夫ですか?これは自殺ですか?もしそうなら然るべきところに繋ぎますが』と言われ、とっさに『違います』と嘘をついてしまった。

 体中に色々とつけられてて、一番嫌だったのはチンコに管が刺されてて、小便漏らしてもいい様にされてた事。とりあえず取ってくださいと言うと意外と素直に取ってくれた。あんな長い針みたいなもんが刺さっていたと言うのが衝撃で言葉にならなかった。

 それから合計半月位は入院してたんだけど恥ずかしながら生きてしまった。その事が気掛かりでどうにもショックが隠せなかった。加圧式の酸素濃度治療?的なのが始まってでもこの治療法は値段が高いから海上自衛隊横須賀病院へ同じ器材があると言う事で転院を勧められた。自衛隊病院は自衛隊員なら無料で治療を受けられるからね。

 横須賀病院では一日一回その加圧式酸素濃度治療?って奴を受けて後は読み書きや簡単な暗算をテストさせられて、ちょっと脳に後遺症が残ってる的な結論に落ち着いた。だからって何も変わらないんだけど、普段の暮らしはね。そして退院の日、嫁が車で迎えに来てくれた。

 俺が一酸化炭素中毒に陥った朝、俺の様子にビックリして泣きながら職場に連絡してきたそうな。そんな後日談を聞いていると心が痛む。あぁ、なんて馬鹿な事をしたのだろう。しかしそれ以上に死への執着心がわきあがってくるのであった。さぁ、次はどんな手で逝ってやろうか?そんな事を考え始めるのであった。


第3章:キョウチクトウ

キョウチクトウを知ったのは、たまたま目にした記事であった。なにやら強い毒性をもつらしい、しかもそこらへんに生えているらしい。これは試して見なければならない。そう思い愛車に股がって街を散策する。するとあるわあるわ。そこら辺に生えているもんだな。ウィキペディアによるとフランスでは死人も出たとか書いてあった。こりゃ逝ける。楽に逝けそうじゃないかと期待が膨らむ。とりあえず枝を折って家族とBBQの際に俺の肉をその枝で刺して焼いて食った。これでフランスでは死人も出たとか書いてあった。しかし、あれおかしいな?全然平気なんだけど?気持ち悪くなったりすらない。枝が駄目なら葉っぱかな?毒があるのは。家からいつものジョギングコース。ここにも生えているキョウチクトウ。ふと立ち止まって葉っぱを食べてみた。そう言えば葉っぱを食べたおばちゃんについて書いてあった文献があった。確か10枚くらい食べて病院行ったとか。ってことは15枚も食やぁ逝けるだろうか?頑張って食べてみる。クッソ不味い。しかし頑張って食べてみる。なんとか15枚食べた。しかしなんともない。不思議だ。インターネットに書いてあったから信用したのに全然平気なんだけど!どういう事だ!仕方ない。キョウチクトウでは逝けなかった。また違う方法を模索しよう。


第4章:洗剤

 インターネットを検索していると、どうも洗剤の誤飲で死亡した例があるらしい。界面活性剤ってのが体に悪いらしくどうやら180ミリリットルも飲めば簡単に逝けるらしい。職場で洗い場があってそこにまだ開けて間もない洗剤があった。内容成分を見てみると界面活性剤と記載がある。これこれ。いいもの見つけた。心踊りながらいつ飲もうか考える。仕事でミスをしてしまった。隊長からこってり絞られたある日、ふと立ち止まって洗い場を見てみると界面活性剤入りの洗剤がおいてある。しかもちょっと減ってるいや、半分位か。仕方ないこれを飲んで強制的に元気を無くして今日は帰らせてもらおう。そう思い洗剤を手にする。蓋を回して開け、一気に飲み干す。すると甘い味がして結構行けるじゃんこれ。キョウチクトウと違って旨いよコレ。その直後、猛烈な喉の痛みがやって来た。熱い!喉が焼けるようだ。急いで水を飲むしかし一向に喉の痛みは和らがない。苦しい。気持悪い。そんな俺の状況を察知してくれた優しい先輩が声をかけてくれる。『大丈夫か?調子悪いならもう帰った方がいいんじゃないか?』俺も二つ返事で『はい』と答えるのがやっとだった。優しい先輩に仕事を預け、気持ち悪い吐き気と戦いながら愛車に股がって帰宅。ホウホウの体でベットにはいる。が吐き気が止まらずトイレへ駆け込む。おぇぇぇ。今日のお昼ごはんが全部出てきた。と同時にゲロからは爽やかな洗剤の香りがしてきた。吐瀉物から良い香りなんてと思われるかもしれない。が、本当に良い香りがしたんだ。


第5章:塩

 塩で逝ける。何故そう思ったのか?昔、徴兵検査を逃れる為に醤油を一気飲みしたというのをふと思い出したのだ。醤油って塩分だよな?って事は塩をある程度摂取したら逝くんじゃないか?そう思い調べてみた。すると、だいたい30グラムから300グラムの摂取で逝けるらしい。随分と幅があるんだな。この数字。ひとまず最低値の30グラムから試してみる事に。家の塩を30グラム用意してみた。結構、量があるんだな。ちびりちびり舐めて見たが、とてもじゃないが、全部食べれそうにない。何かで溶かすか、何かに掛けなければまず無理だろう。とりあえず水に溶かしてみた。一口呑んてうぇっとなる。とても全部は飲めそうにない。次は何かに掛けて見る事に。とりあえず白ご飯にかけてみる。これも大量のご飯が必要な位味が濃くて無理。結論、塩で逝く方法は無理ゲー。こうしてまた一つ失敗を繰り返してしまった。


第6章:水

 ふとインターネットの記事で水の一気飲み大会で死亡した人がいると知ったのは、ある夏の暑い日の事だった。水の飲みすぎって、そんな簡単な事で逝けるんだ!俺は体育訓練の後に致死量を飲めば簡単に逝く事ができると思い調べてみた。すると7リットルが致死量であると知った。7リットルって事は2リットルのペットボトル3.5杯分って事か。余裕だろう。そう思いある日の午後、体育訓練の終わりに早速水を飲む。しかし、2リットルは余裕でのめたが、3リットル以降苦戦する。案外飲めないもんだな。お腹が出て苦しくなってきた。それでも頑張って飲む。すると4リットル目、俺は盛大にリバースしてしまう。周囲の冷ややかな目、何やってるんだよコイツと言わんばかりの目。あぁ逝けない上にやらかした俺はまた一つ失敗を重ねたのであった。


第7章:風呂で溺死

 俺のおじいさんは若かりし頃は関東軍に所属し、旧満州に出陣した経歴を持ち、戦後は旧ソ連の強制連行によりシベリア抑留の経験もあるツワモノだった。がしかしよる年波には勝てず90歳くらいの時、風呂に入ってそのまま溺死してしまった。ふとその事を思い出した俺は酒のんで酔っ払って風呂入れば俺も逝けるんじゃね?と思い早速行動に取り掛かった。とりあえずいつもの晩酌に度数の強い酒を並べてほろ酔い気分に。そうして気持ちよく寝てしまった俺は、目が覚めてしまった、風呂に行くのを忘れてた!と何やってんだよ俺!!仕方ない風呂につかりながら酒を飲めば良いのでは?と風呂に日本酒を浮かべてこれまた風流な感じ。しかし酔えない。人間、死のうとしてるのが無意識にわかってしまうとダメなんだな。結局、酒に溺れて逝く作戦は失敗に終わった。おじいさん、あなたと同じようにい来たかったのですがダメでした。


第8章:二酸化炭素中毒

 ある日ふと思いついた。そうだ二酸化炭素だけの空間を作れたら、逝けるのではないかと。二酸化炭素を検索するとなんと熱帯魚屋さん?的な所で二酸化炭素のスプレーを売っていることがわかった。早速買いにいく。さてこの二酸化炭素をどうしようか。買い物袋のでかいのを被って縛り、そこに二酸化炭素を注入しようか。では、やってみる。しかし上手く行かない。何でだろう?ちゃんと縛れてないから空気が漏れ入って来るのか?よー分からんが失敗した。二酸化炭素スプレーは使い果たし、情けないビニール袋を被った俺が鎮座していた。


第9章:首つり 

 練炭から始まった自殺はキョウチクトウ、界面活性剤を経て首つりにたどり着いていた。首つりは最も簡単で楽に逝ける方法であるとインターネットにかいてある。しかし俺がやるとグエグエとなるだけで一向に意識が遠のく気配が無い。どこが簡単なんだよ!とやや切れながらも色々と試す。首つりにも色々な体位があって、皆さんがよく想像する立ったままの姿勢で首つりをする方法の他に座ったままの体位もあって両方練習するんだけど上手く行かない。やっぱりグエグエなるだけで、苦しいだけで一向に意識が遠のかない。インターネットによると苦しまずに逝けるとある。どこがやねん!と思う。家の中でアレコレ試行するうちに嫁が心配してきた。ある日、どうしても仕事に行きたくなくてズル休みした事があった。その時、嫁が泣きながら病院へ行こうと言ってきた。当然の事ながら俺は自分で自分がオカシイなんて思ってなかったし、死への執着心があったから病院なんて行かないと答えた。しかし親父にチクった嫁が泣きながら病院へ行こうと言って来たのと、親父に促される形で渋々、病院へ行く事に。

 病院へ着くと、いかにもな人々が大勢いらして、こんなトコ俺のくるとこじゃねーぜ!的な考えに支配されていた。診察も俺は大丈夫の一点張りで、病名も薬ももらわなかった。嫁が暗い顔しながら一緒に帰ったが、当の本人はどうすれば首つりが成功するか?それだけが関心事であった。

 あくる朝トイレに入った俺は戦闘服のベルトでトイレの手すりにかけて輪っかを作り座ったままで首つりをした。するとどうだろうすぐに眠たくなって来た。あぁ、これはいけ逝けるな!そう思った次の瞬間ドアを激しくノックしてきた。嫁である。『大丈夫?お父さん!』そのノックで目が覚めたのは言うまでもない。『大丈夫だよ!』ちょっと不機嫌そうに言った俺の行動に疑問を抱いたのか手すりはその日のうちに撤去されていた。

 首つりで逝けない事に焦りを感じていた俺は職場でも吊り始めていた。朝礼の時間、わざと遅れて一人になった隙に吊ってみたり、15時の煙草休憩時間、空になった事務所で吊ってみたり、家に帰った時に家の柵で吊ってみたりと色々と試して見たがあの朝の様な眠気が来る事も無く意識が遠のく事もなくただひたすらに時が過ぎていった。

 ある日もういい加減、逝けない事に焦りを感じていた俺は日曜日の夜に今日こそはと決意を固めて職場の事務所へ赴いた。すると何人か出て来て仕事をしていたが、俺も仕事をする振りをして首つりを始めていた。やっぱりグエグエなるだけで苦しい。早く逝かないといけない。その焦りが周りを見えなくしていたのだろう。同僚に見つかってしまったのだ。そうとも知らずグエグエやってる俺に副隊長がやってきた。副隊長室に連れてかれて事情聴取され、嫁が召喚された。自衛隊病院へ連絡されて、なんと今から連れてこられますか?と。急遽、当直陸曹が運転する官用車に乗っけられて自衛隊中央病院へ。そこで、じつはあの一酸化炭素中毒事案は自殺でした、と。ここまでの経緯を洗いざらい話して自分がオカシイ状態であると気付いた。入院を勧められて入院に対する承諾書みたいなのにサインさせられて。あぁ、俺もあの病院でみた、いかにもな人々と同じトコに落ちたんだ。そう思うと情けないと同時に死への執着心がますます高まった。精神科の病棟へは50センチ以上の紐は持ち込み禁止なのだが、タオルであれば十分首つり出来るものもあるのでベッドのてすりで吊ろうかなと思い態勢をあれこれ思案していたら看護師がきて『なにしてるんですか?』と。なんでわかったんだこいつら?聞けはすべての部屋に監視カメラが付いていて常時監視されているのだそう。なんてこったい!

 次の日風呂はシャワー室みたいな所で『予約表に名前を書いて入って下さい』と言われ、言われるがままに予約する。するとどうでしょう首つりにちょうど良い高さの手すりがあるではありませんか!よーし今日からここで逝ってやるぞ!と意気込んで細長いタオルで吊りはじめるのだが、やはりグエグエなるだけで苦しいで終わる。しかもうざったいコトに10分おき位で声掛けが入る。安否確認されるのだ。面倒な事この上ない。そしてその日はやって来た。いつもの様に吊り始めてグエグエ言ってたらイレギュラーなタイミングで声掛けとともに中を覗いてきやがったのだ。当然グエグエなってる俺をみて、『何やってるんだよ、家族がいるとか思わないのかね』なんて捨て台詞を吐かれながら独居房行きを宣告される。ここは完全に一人でトイレもついた部屋で過ごす。何もない3度の食事しか楽しみがない様な空間でまだ死への執着心が取れない俺は息を止める事を始めた。さいしょは30秒で苦しくなってた俺だったが、やると1分位は止められるようになってきてよーしこの調子でと思ってた矢先、あのイレギュラーな看護師がきて『尾崎さん、息とめてたでしょ!?時計みながら!』とやって来た。仕方無しに認めるとそのまま帰っていったが、あぁ、これで独居房も延長だなと思ってた矢先、なんと独居房から出してくれる事に。何で???だったけどまぁいいよ。早くもっかい風呂の時間にならねぇかなと思っていると『尾崎さんは今日からここの風呂をつかってください』と手すりが微妙な位置にある風呂を斡旋された。これじゃ、首吊できねぇよ。俺の首吊りは一旦休止することと相成った。

 だがしかし諦めたわけじゃないぞ!北欧の方の研究で首つりを企図して失敗した人々の8割位は、その後1年の間に首つりを成功させているとの研究もあるそうで。俺もこれからまた首つりを研究して行くかもしれん。楽に確実に逝く方法としての首つり。皆さんはどうですか?吊ってみてすぐに意識が遠のきそうですか?そうでない人もここにいます。

 今私は薬を飲んでいます。そのため首つりはしていませんが、いつか薬を辞められたらどうなるかわかりませんよね?ここまで読んで下さった方々の心身の健康を祈りつつ終わりと致します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ