部屋は境界線となる。
教授は一人部屋にいた。
パソコンで研究仲間の論文を見る。
ときおり
「えっそうなんだ」
「おー」
とか声を出す。
何度か電話をかけようかと思ったが…
躊躇した。
ガシャ。
鍵の開く音がする。
やはりな。釣れた。
教授は確信した。
犯人がいよいよやってきた。
マスクをしているので
誰かはわからない。
しかしどこかで嗅いだことのあるニオイをしている。
これは…
学食のコロッケのニオイに似ている。
まーコロッケのニオイなんてどこも同じか…
じわりじわりと間隔が詰められる。
猫に追い詰められたネズミは
このような心境なのだろうか?
絶対的な強者は
凶器を上段に構え
手慣れた様子で
差し込んでくる。
なんどか悪友が
護身術を習いにいかないか?
と誘ってきたことがあった。
両親に相談をすると
そんな暇があったら勉強をしろと怒られた。
お陰で今の地位を得たが
お陰で今…抵抗できずにいる。
教授はカメラ越しに見た風景を
今度は自分が経験するのを目の当たりにした。
実際に刺されているというより。
刺されている自分を上の方で客観視しているような感覚だった。
幽体離脱とでもいうのだろうか?
しかしこの犯人の姿…
どこかで見たことがある。
だれだろう。
犯人は
ひとしきり刺したあと
マスクを外した。
この顔は…
あーそういうことだったのか。
そりゃコロッケのニオイもするわけだ。
布石はあった。
ゼロではなかったのだ。
ただ意外すぎた。
教授は
その答えに至らなかったことに
激しく後悔をしたが
もう身体は動かない。
健康のため
毎日鍛えていた体は
狂気の前には
無力だった。
部屋は真っ赤に染まっていた。
教授の目に涙がうかぶ。
「なんかごめん」
私は誰にあやまっているのだろう。
すーっと意識が遠くなる。
私は罪を犯したのであろうか?
それとも…
私は罪を犯していなかったのだろうか?
教授は基礎研究を通じて
沢山の答えを出してきた。
目立たぬ功績ではあったが…
それは鉱石のように
人間の経済活動にとって有用な資源となった。
「魚が亡くなるとエビが片付けるが…
私はどうなるのだろうか…
そうか燃やされるのか…
魂はどうなるのだろうか…
輪廻転生とかあるのだろうか…
できたらまた同じような研究をしたいな」
もはや声にすらならない声で
教授は口をかすかに開く。
人は亡くなる前―
過去の総決算を行うという。
教授も走馬燈を見ていた。
子供の頃から始まり
学生時代
結婚式
教授になった瞬間
フィールドワーク
様々な懐かしい風景が彼の頭をよぎった。
私は大学教授という選択でよかったのだろうか?
もっといろんな可能性があったはずだ。
バンドに誘われたこともあった。
起業を考えたこともあった。
NPOをしようと思ったこともあった。
どの人生が良かったのだろうか――
教授は最後の最後で疑問を感じた。
しかし…
その疑問に彼は蓋をした。
「私の人生はこれでよかったのだ」
あー意識が遠くなる…
あれはなんだ。
暗闇に光の粒が…
その日が
基礎研究に命を賭け
目立たぬ功績しかあげれなかった
しかし世界に十分な貢献をした男の最後の日であった。




