だれが愚かに、みじめに、苦悩する?
フランスの取材旅行から帰国後、編集者にこんなニュースを知っています?
と訊ねられた。
教授がネットにアップしたデータ
実際の現場
報道資料など
一連の流れを元に私は取材を始めた。
まず教授の人柄を聞こうと遺族を訪ねた。
教授には2人の息子がいた。
一人はお笑い芸人。
もう一人の息子はゴミ屋敷に住んでいるようだ。
どちらも連絡が取れなかった。
教授の元妻も連絡が取れなかった。
しかし話を聞けば聞くほど
あまりにもヒドイ展開で…
私は言葉を失った。
私はこの事件を見聞きし、人間のおぞましさにぞっとした。
結局のところ
教授が善人で他は…
そういうことも考えた。
もし私が小説の作者であれば
こんな話は作らない
そう思った。
ハッピーエンドが好きだからだ。
もしこの物語をハッピーエンドで終わらせるとしたら
どうするだろうか?
おそらくこれを序章にし
異世界転生でもさせて
そこで無双譚などを描くに違いない。
そう思った。
編集者とビデオ会議でそう話していると
「それぜひ作ってください」
と言われてしまった。
「まぁ暇があれば作るよ」
と言っておいた。
その後
結局どうなったかというと
1年もしないうちに教授の話は消えてしまった。
みんな飽きたのだ。
時折
話題にはでるが
それほど盛り上がらない。
たんに一時の消費だったのだろう。
人の人生が一時の消費になる世界。
作家という人種からしてみれば
顔をしかめたくなるような気もするし
同時に
その愚かさが
書くという本能を刺激させてくれるとも言える。
世界の闇は、いつだって光と隣り合わせだ。
その重層的なレイヤーを
はがし
調理をすれば
狂った現実が浮かび上がる。
それを生業とするのが
作家なわけで
ある意味
狂っている作家と
狂っている世界
これは共存共栄しているともいえるのだ
ハッピーエンドが好きな私だが
それは狂った世界があるから際立つ。
いわば狂った世界は
それだけで優秀な舞台装置になる。
こうして――
『〇×△は愚かに、みじめに、苦悩する』は完成した。
END