番外戦術
今回の対局、ちょっと符号を入れています。
味谷は、河津の今までの対局を振り返り研究しながら、番外戦術も考えていた。方法は色々ある。時間攻め、音、態度などなど。過去、谷本にやった上座に勝手に座るというのは、そもそも味谷の方が上なのでできないが、それ以外にも相手を怒らせてミスを誘導することはできる。番外戦術は相手をミスさせるのが大きな意義である。
河津は穴熊に限界を感じていた。赤島戦、村山戦と穴熊を使ったが、そのお陰で相手の研究も捗っていた。実際村山戦は相手頼みの決着だったのだから。
河津はあまり使われていない戦法を探し出すことにした。相手は番外戦術の鬼、ならばこちらは予想外の戦法をするしかない。
調べていくとかつて城ヶ崎千尋九段や大島翼八段、米永文雄九段が愛用したという角頭歩という戦法を発見した。初手に8六歩とする戦法であり、かなりトリッキー、所謂奇襲戦法である。角頭歩は、最近ではめっきり指されなくなった戦法であるが、これを研究することにした。一見不利な手が良い手となる。河津はそれを信じて。
城ヶ崎千尋九段や大島翼八段、米永文雄九段というのはどんな人なのか。まず城ヶ崎千尋九段と大島翼八段は味谷よりも前の世代のプロ棋士である。城ヶ崎は大正時代に活躍したプロ棋士であり、大島は昭和初期に活躍したプロ棋士である。ギリギリ味谷がプロデビューした頃にベテランの大島と対局したぐらいである。
米永文雄九段は味谷の3つ上のプロ棋士で谷本の前に会長を務めた。色々なエピソードがあり、対局場で猥褻罪になる行為をしたり、色んな女性と関係を持ったり、写真はダブルピースとやりたい放題だったそうだ。ただし、味谷のお世話役でもあり、味谷のブレーキ役でもあった。特に将棋界の発展に尽力した偉大な棋士である。SNSでは下ネタ呟いていたが。味谷は米永のことをこう語っている。
「自由人だが、仁義を通す。何というか同業者からは嫌われ、ファンからは愛されるタイプだろうね。将棋界を何とかしようって気持ちはかなり強かったし。3つ上だけど俺はアイツと仲が良くてな。タメで呼ばせて貰ってたよ。アイツが小野寺見てたらどう思ったんだろうね。」
米永が亡くなったのは今から12年前。現役引退は20年前。つまり20年以上角頭歩なんて指されていないのだ。
河津は角頭歩を出すことで米永を思い出し動揺することを狙っていた。味谷も米永亡き今、角頭歩など研究するはずもない。
味谷戦の前に龍棋戦第四局が、大阪府高槻市で行われた。タイトル戦は全国で行われるのだが、比較的中部地方が多く、東北地方が異様に少ない。何故東北地方が少ないのかはあまり詳しいことはわからない。北海道ではそれなりに行われているので本当に偶然か。
この対局は小野寺が勝利を収め、2勝2敗で最終局に持ち込んだのだった。
河津味谷戦の検討室は谷本と村山の2人だけであった。多くの棋士が同じ日に対局があったのが原因である。
「村山君、君は河津君に敗れたわけだが、何故ここに?」
「永遠にいじけろと言うのか?」
「いや、なんでもない。」
「面倒な人と一緒になったもんだ。」
先手は河津に決まった。多くの人が初手に飛車先の歩を突くと考えていた。
「2六歩、それしかねぇだろコイツは」
村山がそう呟くと谷本は
「村山君は若いな。わからないぞ。」
と呟いた。
先手…8六歩
「8六歩!?角頭歩だと!?」
「懐かしい戦法が出てきたな。7六歩かと思ったが。」
村山は、角頭歩を目の当たりにしたのが初であった。米永引退後のプロ入りだからだ。一方谷本は米永の現役時代からプロで活躍している。流石に大島は知らないが、角頭歩は米永の十八番だと知っていた。
「おい、マジかよ…穴熊じゃなくてよりによってこの戦法なんて、人によっちゃ8六歩は一番ダメな初手というのに…」
村山は軽くショックを受けていた。
味谷は8六歩を見て呟く
「お前、米永のパクリか?パクることしかできないのか?」
その言葉に河津はこう返した。
「米永って奴も城ヶ崎や大島のパクリなんだろ?」
味谷は米永を呼び捨てにした河津にイラついていた。おかしい、いつもなら相手がイラつくはずなのに、この男、番外戦術が効かないのか?奇襲戦法は変な所で通じたようだ。
「ふん、20年ぶりだ。お前の弱っちい角頭歩などあっという間に潰してやる。」
後手、味谷九段8四歩。以後先手7六歩、後手8五歩、先手同歩、後手同飛車、先手7八金…
「味谷先生と米永先生は仲が良くてな、角頭歩なんて結構食らっているはずなんだ。しかし20年も経てば角頭歩なんて忘れられた戦法になる。天国で米永先生がダブルピースしとるなこりゃ。」
「その米永って棋士、俺がプロ入りする前に引退してるからあまり詳しくはないが、ネットじゃ地獄定期って言われてるらしい。どう言うことだ?」
「あ、いやぁ…米永先生は良い先生なんだが、女関係とか奇行とかの問題エピソードも多くてね。最も女関係は米永先生の友人で囲碁棋士だった人の方がもっとえげつないそうで。」
「そんなんで、プロとしてどうなんだろうか。」
「米永先生はタイトル19期の大物だぞ。名人格
いたこともある。味谷先生が8期だから、まぁわかるだろう?」
「ほうほう、あの番外戦術野郎より上とは。」
「村山君、味谷先生が気に入らないんだね。」
「そういう貴方も味谷一二三を嫌っているのでは?」
「まぁ、番外戦術の鬼。嫌われてなんぼな棋風は、ファンも多いんだがな。味谷先生はファンサービスが良いから将棋知らない一般人でも知ってるレベルだ。観戦記者をいじめることはあっても、ただの一ファンならいじめられることはないとかな。」
「まぁ貴方はプロ棋士はいじめても良いという価値観のようだが」
2人の会話は続く。村山も以前と比べて将棋一辺倒ではなく雑談もするようになっていた。河津戦以降、少し態度が軟化したのだ。まぁ喧嘩腰ではある。なお先程の初手にショックを受けていたのもあるようで。
「今日の検討室は楽しくなるぞ。」
と感じてもいた。
「米永の角頭歩と大島先生の角頭歩は別物だぞ小僧。まぁ城ヶ崎先生は流石に棋譜しか知らないが、俺は2人の角頭歩を受けている。米永の角頭歩はパクリとは言えない。お前はパクリを抜け出せるかな?」
この言葉には、河津が挑発に乗りミスをするのを期待している。ただし居飛車角頭歩なんて上記の先生はやっていない。つまりパクリは抜け出せているはずである。
「じゃ、俺の角頭歩も別物だ、見せてやるよじじい。米永、大島、城ヶ崎と違う。俺の角頭歩を。」
「お前は四段の癖に口が悪い。そんなんだから孤独の棋士と言われるんだ。」
「俺は孤独じゃねぇ。師匠がいたんだからな。それに四段は立派なプロだ。お前と同じプロ。年功序列は大嫌いだ。」
こんな感じで話は進むが、味谷は孤独じゃないという言葉に動揺してしまう。コイツは本物のぼっちだと気がついてしまったのだった。番外戦術の鬼が今日は河津の番外戦術に惑わされている。明らかに様子がおかしいのだ。
「そういや河津は正統派の居飛車党のはず。今日は変態将棋そのものだ。何があったんだ?」
「恐らく河津君は、味谷先生には正統派は失礼と。」
「あの口論見る限りそんな忖度はないかと」
「いえいえ、正統派というものに失礼という意味ですよ。」
「正統派で来られた俺や小野寺は失礼じゃないと判断されたか。」
局面は中盤、膠着してきた所である。
「角頭歩は後手の場合、角道を開ける7六歩じゃなければできないんだが、今回河津は先手でいきなりやってきた。まるで今日は角頭歩をやろうと決めていたように。」
「後手の場合、河津君は振り飛車もしていたかもしれないと」
「その可能性は非常に高い。角頭歩って後手なら振り飛車はほぼ間違いないからな。今日は先手だし、相手が飛車先を突いたから居飛車で角頭歩とかいう意味がわからない将棋と化したが。これ、向こうが角道開けりゃ結局河津君は振り飛車だっただろうね。これで均衡を保つのだから恐ろしい。」
「もしかして河津は後手の方が楽しかったのだろうか?」
「さぁ、それは本人に、対人恐怖症にも見える当人に聞くしか。」
「米永先生はタイトル戦でも角頭歩をやっていた。まぁその時は不発に終わったが、他にもかなりやっていたんだ。今回みたいな先手角頭歩よりも後手角頭歩の方が異常に多かった。大島先生や城ヶ崎先生がどんな感じか知らないが、先手角頭歩ってなかなかのレアだと思うな。」
居飛車角頭歩というかなりのレア状況から始まった対局、味谷が角道を開けないことでこういう状況になった。居飛車角頭歩というのは先手ではあり得る戦法だという棋士もいた。実際ここまで互角。奇襲戦法としては成功なのだろう。
「これは味谷先生が番外戦術を使うタイプの棋士だから居飛車角頭歩だろうがなんとかなっているように感じる。普通居飛車角頭歩なんてやめた方がいいからな。」
「味谷九段が振り飛車角頭歩の経験が豊富だからってのもありそうだな、わざと米永九段と同じような状況にさせなかった。パクリだの言っておきながらやりやがる。」
「居飛車角頭歩なんて素人でも指さねぇよ、諦めろ。」
「じゃなんで中盤まで持ってるんだ?答えろよ、自称角頭歩研究家」
「はぁ、大島先生も米永も居飛車角頭歩なんて指してねぇよ。先手で米永がやった時、同じように飛車先突かれて米永は負けた。そんな戦法なんだよ。居飛車じゃダメなんだよ。」
「じゃそれで中盤まで持ってるからお前が弱いってことだな」
河津と味谷の喧嘩は止まらない。味谷は番外戦術が効かないこと、居飛車角頭歩にイライラしていた。そしてそれを打破できない自分にも。
「集中力は無いようなもん。もうすぐ負ける。」
終盤入ってすぐ、味谷はイライラからミスをする。番外戦術の鬼が番外戦術に敗れた。
居飛車角頭歩。こんな結果になるとは誰も予想していなかった。河津自身居飛車ならかなり不利であることは気がついていた。その上で強行したのだ。
当然感想戦は無く対局は終わった。
「ふふっ、角頭歩なんて可愛いね。ますますメンヘラにしてあげたい。ほら早く愛情を注いであげるからこっちにおいで?あの五段はダメだったので」
北村は笑っている。真っ暗な部屋の中で。
「次はいよいよ決勝。挑戦者決定戦。相手は、谷本浩司か。」
角頭歩、聞いたことない人も多いと思います。米永先生の元ネタの先生が使っていたみたいです。今回元ネタに割と忠実です。なんなら元ネタの先生、もう亡くなりましたが、Twitterが残っています。そういう話、あります。
実はプロトタイプ版孤独の棋士でも符号入れてたんですけど、8六歩にしてました。角頭歩とかいう戦法いきなりプロデビューでやってました。