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孤独の棋士  作者: ばんえつP
名人格七番勝負編ー尊敬の二人ー
76/81

さらば味谷一二三

味谷一二三の最終戦です。

名人格の終わりと同時に、龍棋戦が始まる。しかし、河津にとって村山以外の挑戦者では壁を突破したことにはならない。結局ストレートで防衛を決めた。今、王棋戦で勝ち進んでいる。一番最初に手に入れたタイトル。今の保有者は村山。奪い返すしかない。


味谷一二三の引退発表以降は、残っていた対局を全て終わらせる最後の走りに出た。手始めに梶谷戦、勝者味谷。次戦北村戦、勝者北村。そして最後の対局、高谷類戦が行われる。勝っても負けてもこれで終わり。初代中学生棋士最後の相手は組織から来た男との手合だった。


振り駒の結果、先手が高谷に決まった。持ち時間は3時間づつ。プロとプロの意地、引退が決まっていても容赦はない。勝てば良い。勝って綺麗に終わらせよう。味谷一二三という棋士人生を。


午前10時、通い慣れた連盟対局場にて、対局が始まった。

検討室には、小野寺名人格の姿がある。今日は一日、尊敬する先輩の最後の勇姿を見届ける。


木村会長は、最後の日ということもあり、特別に小春夫人を中に入れた。検討室内で見て良いという特別扱いをした。過去に谷本前会長が、当時の妻を中に入れて問題になったことから原則、連盟棋士以外は中に入れないようにしていた。観戦記者もここ最近来ていなかったのはこれが理由である。

「まぁ、小春夫人と奈緒さんはいつでも特別扱いして良いと言われてたが。」

それ以外の一般人は原則お断りということになっている。なので一応は特別扱いである。


先手7六歩、後手3四歩。


11手目、5八飛。ゴキゲン中飛車だ。


17手目、5四歩、18手目、同歩、19手目、同飛。


20手目、4二銀。


「味谷さんは居飛車で高谷はゴキゲン中飛車。対抗形ですね。名人格の時とは全然違います。」

「一二三は、最後の対局というつもりはないと思う。特別な対局じゃない。そういう風に見える。」


29手目、5七銀で昼食休憩となった。

「少し見てきます。」

棋士は対局室に入って見学も許される。無論助言は血溜まり行きだが、中継もされているので、そのような行動を取れば一瞬で終わる。


(なるほど…この手は…)


対局再開後、数手確認し戻っていった。味谷はその姿を見ながら、良い将棋を指そうと心に決めた。男は背中で語るべし。


現在45手目、8四飛。それに対して7一金とした所だ。


「次の手は、5八歩打でしょう。味谷さんならそうします。」

「小野寺君は、一二三のことなんでもお見通しだね。」


その通りの5八歩打。やっぱり棋風は彼に似ている。


プロ棋士として長年やってきた。その中で多くの棋士が関わっている。大昔の棋士から最近の棋士まで千差万別。それらの情報から一番良いと思った将棋を指す。つまりこれが集大成だ。


「彼がプロ棋士になった頃はまだ棋士番号制度すら無かった。戦前生まれの棋士も大勢いた。」

と前に誰かが語っていたが、それだけ長い期間第一線で活躍したのだから、先の引退宣言は驚かれたのである。


71手目、5六龍。高谷は仕掛け続ける。手堅く守る相手陣営を突破したい。


(引退発表しても、棋士としてはまだまだ第一線で行ける奴だ。やっぱり手強いな。)


「小野寺、お前はやはり来ていたか。」

後藤がやってきた。

「味谷一二三を崇拝するお前は間違いなくアレを応援する。ただ俺は自分ファーストで動く。その違い、見せてやる。」

後藤は次の対局が高谷類戦である。つまり彼の動きを見ておく必要があった。


「今、81手目4六桂打。次にアイツがどの手を指すかで決まってくる。俺は次の一手をターニングポイントとして考えている。」

「…そんなの、3三桂しかないよ。味谷さんならそう指す。」

「そうね。彼は手堅く行くよ。」

「…なら勝率はフィフティーフィフティーだな。」

「なんで?」

「高谷という男は、この対局でアイツの性格をトレースした。次にその手を指すとお前のように読んでいる。それで易々とはいそうですかで行くわけねぇだろ?」

「確かに引退対局だけど、だからこそ最後は綺麗に…」

「味谷一二三は確かに引退宣言とか馬鹿なことをした奴だ。ただこの前まで名人格持ってた一流だ。対策しないわけがないだろ?綺麗に?そんなの気にするような奴じゃねぇよ。勝てば良いんだ。勝てば。」

「味谷さんを侮辱しないで欲しい。」

「侮辱?馬鹿なことをしたと言っただけだ。お前、神童とか言われている癖に俺らとは根本的に違うな。憧れなんて捨てろ。そんなの必要ねぇんだよ。」

「…いいじゃない。僕が誰を応援しようと。」

「村山や河津はそんなこと絶対にしない。自分が一番になる。他のやつは泥水でも啜ってろと考える性格だ。だからトッププロとしていられる。俺も多くの棋士と研究会をしているが、俺が強くなればそれで良い。他のやつがどうなろうとどうでも良いんだよ。」

プロ棋士は全員自分の生活を潰しに来る敵である。

「別に引退棋士が誰かを応援するとか、師匠が自分が出ていない対局で弟子を応援するとかそういうのは良いさ。ただお前は現役棋士で、アイツもまだ現役棋士だ。そして師弟ですらない。そういう戯れが俺は大嫌いなんだよ。」


「…一人で勝手にやっててよ。僕は小春さんと味谷さんを応援してるから。」

「そうか。」

そう言い残すと部屋を後にした。

最後に対局場で盤面を確認してから帰路に着く。


(俺は気がついた。誰かと仲良しこよししていたら強くはなれないと。村山、河津はそう言ったことをしなかった。自分を強くするために人と接することはあれど、誰かを応援することはしない。)


「後藤さんって変わってるね。」

「彼は、最近考え方を変えたのでしょうね。」


その後村山が検討室にやってきた。無言で盤面を見つめた後、部屋に入ってすぐに

「この対局、このままなら味谷の負けだ。」

と呟いた。3三桂と指された直後の話だ。

「今度は村山さんですか。」

「高谷が最近成長しているらしいからな。アイツの棋譜は入れておきたい。」

これもこの後のタイトル戦の為である。


「そう言えば、後藤匠七段が…」

先程の話をした。

「アイツ変わったな。そろそろタイトルを取る算段でも見つけたのだろうか?」

他の棋士に触発されて自分が成長する。それは自分が一番わかっていることだ。


86手目、4五桂。

「味谷も攻めている。引退するとは思えない棋譜だな。」

「それって、味谷さんが勝つかもということですか?」

「そういう事じゃねぇよ。何もしないよりはマシレベルの話だ。ここから高谷が負けるとするなら頓死だな。」


89手目、7五の地点に同角と続いての同歩。ここで溜息を溢した。

「勝てた対局を落とすようじゃダメだな。」

そう言い残すと検討室を去っていった。


この気持ちは、味谷も同意見だった。対局中故に、直接言うことは無かったが、心の中で非常に落胆をしていた。


後藤もまた高谷に失望していた。この対局で負けるならまだまだタイトルなど取れやしないと。実際、河津との対局でストレート負けをしている。


「俺は、あんなのとは違う。そう決めたんだ。」


今は天才が強い時代じゃない。今は、秀才の時代だ。


「小野寺渚、お前に俺の努力を越せるか?」


高谷がはっきりと自分のミスに気がついたのは、93手目、4八銀打の場面だった。

(しまった。あの手はミスだった。)

後悔先に立たず。


120手目、1八飛打。味谷一二三現役最後の手となったこの手を見て、投了した。


対局終了後、小野寺と小春が対局室にやってきた。感想戦はせずそのまま記者会見を行うようだ。


「高谷…君は小野寺のライバルになりたいんだったな。今、お前は悔しいはずだ。こんな老いぼれに負けて。その悔しさをバネに、強くなれ。将棋界を支えていけ。俺は大昔、北小路劔って人に負けてかなり悔しかった。ただそれがバネになった。強くなるには悔しさを知るしかない。アイツだって、悔しいと言う気持ちを何度も味わっている。それが強くなる一番のドーピング剤だからだ。」


最後の言葉が、彼の心に深く突き刺さる。いつか、この悔しさをバネに。


記者会見では、妻小春への感謝や、小野寺渚名人格への期待を多く語っていた。

味谷一二三、初代中学生棋士。長年将棋界で戦ったベテランは、今日現役を退く。

敵になった者ばかりだった。それでも己を信じて戦ってきた。彼の対局は多くの棋士に影響を与えただろう。


「ありがとう。小春。」

「いえいえ、一二三が頑張ったから、ここまで来たんだよ。」

「やはり、お前は俺にとって一番大切な宝物だ。」


連れ添う相手、思いやる心。

小野寺は二人の姿を見て、菜緒とあんな夫婦になりたいと願った。


次の日、王棋戦の挑戦者決定戦が行われた。結果は無惨なまでに圧勝で河津が挑戦者となった。あのメンヘラ棋士北村駿との対局以来の王棋戦挑戦。あの頃はまだ弱かった。それが今では最強まであと一歩のところまでやってきた。前は散々たる結果だった。この悔しさ。今度はお前に味わわせてやる。


「これは孤独卒業の試験なんだ。俺は孤独の棋士を卒業する。」

「掛かってこい。河津稜。お前が俺の師匠森井という仲間を得た今、どこまでやれるか。俺の理論にお前が乗った今、どんな世界が見られるか。この王棋戦で見せてみろ。」


村山慈聖と河津稜。最強の二人によるタイトル戦が今、幕を開ける…

ついにベテランが身を引きました。味谷一二三の元ネタである加藤一二三九段は、引退制度によって引退となりましたが、自分で辞めるのではなく、制度で辞めさせられるまで指すことに拘っていました。

彼の最終戦は、残念ながら負けてしまったわけですが、その際も記者会見はせず妻に感謝の気持ちを述べていました。

味谷一二三が妻を思いやるのは、加藤一二三九段が妻を思いやるからです。

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