嵐の前の静けさ
村山はどう攻略するのか。赤島戦は注目です。
河津は悩んでいた。小野寺に勝った王棋戦トーナメントに全振りするか、満遍なく対策をするか。
棋士の間でも全振りタイプと当たってから考えるタイプに分かれる。河津はどちらかと言うと当たってから考えるタイプであるが、今回はトーナメントを勝ち進んでいる棋戦がある。タイトル戦へ出ると言うのはそれだけで名誉なことであり、全振りする価値はある。
王棋戦の次の相手は村山である。過去河津はこの男に負けている。対策するのは当然といえよう。
北村駿、王棋のタイトルホルダーである。この男、河津と似た部分がある。
北村駿は5人家族で、姉と妹がいた。父親の北村時雨はアマチュア将棋の代表だった。プロにはならずとも、プロと互角に戦い、時の名人相手にも善戦した記録が残っている。母親の北村沙耶は囲碁棋士で、囲碁のタイトルも持っていた。姉の美香、妹の梓と共に幸せな生活を過ごしていた。駿が7歳の頃、家に2人組強盗が入る。運悪く帰宅した北村一家は、強盗によって被害を受けることになった。この時、一家は犯人の姿を1人しか目撃していないので、単独犯と誤認した。
まず父親の時雨が犯人を取り押さえようと格闘、犯人の動きを封じ込めたかと思われたが、隠し持っていたナイフで心臓を刺される。動転した妹の梓は逃げ出そうとするが、隠れていたもう1人の強盗に刺された。母親は携帯を取り出した所で父親を刺した強盗からナイフを突きつけられる。姉の美香と駿はその隙に家を出ようとするが、子供の力では強盗に勝てず、どちらも刺されてしまう。母親は強盗2人と善戦し、1人の体にナイフを刺し返すことに成功したが、体力も残っておらず滅多刺しにされたのである。
この北村一家殺人事件の唯一の生き残りが北村駿なのである。駿だけは刺された場所が良かったおかげで一命を取り留めたのだった。
その後、時雨と仲の良かったプロ棋士、北小路劔の元に住むことになり、プロ棋士となった。
家族がいない点は河津と同じだが、物心つく前に捨てられたのと、目の前で家族が殺されたのを見たのではまた違う苦しみがある。
「家族を知らないのと家族を殺されたのでは意味が違う。河津、お前は幸せ者だと気がつかないのか?」
駿はよくこんな言葉を発する。自分にとっては河津は幸せ者であり、自分の方が不幸だと。
「王棋戦の行方、どうなりますかね?」
「さぁ、小野寺を倒したとかいう河津って奴が気になりますが。」
「まだ味谷も村山も残ってるんだ。勝てやしないよ。」
プロ棋士が会話をしている。この王棋戦、荒れるだろうと。いや既に荒れているのだが、これを嵐の前の静けさだと言う者もいた。
「村山、次の相手は河津だ。前に一度勝っていると聞いているが、油断はするな。恐ろしいものを感じる。」
「味谷一二三ともあろうお方が俺に忠告ですか、まぁその忠告は大人しく聞いておきましょう。小野寺を負かした事実は変わらない。」
味谷と村山の会話が終わると味谷はボソッと呟く。
「村山、谷本にも屈しないあの態度。お前は大物だ。ただ、河津もその器あるかも知れねぇな。性格悪い俺だからわかるんだ。アイツもかなり性格は悪い。」
プロ棋士は番外戦術というのを時に行う。プレッシャーを与える音を出したり、煽ったりと。味谷は番外戦術をよく使う棋士である。これは良くも悪くも性格が出てくるものなのだ。
谷本のようにプロには圧をかけるタイプ、味谷のように満遍なく圧をかけるタイプ、村山のようにしっかりしない人に圧をかけるタイプなどなど。性格の違いはそれぞれ棋風などの違いになる。木村や藤井のような性格の良い棋士は番外戦術を使わない。それはファン目線からすれば素敵なことだが、プロ棋士の戦いに於いては不利である。
河津は次戦の村山戦に全集中することにした。その前にある龍棋戦の対赤島戦を捨てる覚悟で研究することにしたのだ。プロ棋士は時々対局を研究実験場として使うことがある。河津はその覚悟だった。睡眠改善をしたことで徹夜はしなくなったが、村山戦に向けた研究は続く。新しいパソコンを購入し、研究環境を良くした。前回の反省点も活かした研究を。
前回河津に負けた小野寺は彼女の赤羽菜緒に慰めて貰っていた。羨ましい限りである。
「菜緒、僕って本当に強いのかなぁ…」
「渚くんは強いよ、だって本当に強い人は負けた時に報じられるじゃない!」
「そうだけどさぁ、なんというかショックなのさ」
「大丈夫、私が慰めてあげるから、ほら」
2人のいちゃつきは暫くの間続いた。研究するプロ棋士いればいちゃつくプロ棋士ありである。
3日後、河津と赤島の対局が始まった。村山は検討室に入り、河津の将棋を確認する。相手がどのような将棋を指しているのか。対局相手は注目するものである。
「アイツは一度も振り飛車をしていない。完全居飛車なら対策はしやすいものだ。」
この対局も居飛車穴熊へ進む。
10分後、検討室に王棋の北村が入ってくる。
「彼の弱点わかりますか?」
入って早々村山に話しかける。
「振り飛車をしないこと、と言いたいのか?」
「違いますよ。彼は愛を知らない。」
「は?それが関係あるのか?」
「えぇ。ありますよ。番外戦術として。例えば、今まで愛を知らない人に愛情を与えると人は動揺しますよね?動揺するということは隙を見せるということ。ミスを犯すということです。家族を殺された後、師匠から愛情を与えてもらった時、知らないとは違う、失った自分ですら動揺したのですから。彼はもっと動揺するでしょうね。彼の師匠はスパルタ教育の人でしたし、まともな愛情を知らないでしょう?番外戦術としてはピッタリですよ。」
この言葉、村山にはあまりピンと来なかった。愛を知らなくても愛情なんて与えれば向こうは直感でそれを愛と捉えて強くなると考えたからである。
「もしも河津が挑戦してきたら、お前がやってみろ。」
村山はそう言って検討に戻った。北村も検討するかと思いきや部屋を出てしまった。
今日の検討室は村山1人。寂しい部屋となってしまった。しかし村山にとってはこの方が有難い。クラシックの話をする新庄も、喧嘩する味谷、谷本も観戦記者もいない。平和な部屋なのだ。集中のできる良い検討室だ。
他人というのは分かり合えないものである。自分とは価値観が違う。新庄は将棋を嗜みと表現するし、仕事と表現する棋士もいる。どんな友達でも分かり合えない部分がある。
「まぁ、渾身の研究は俺に当ててくるか」
結果は河津の勝ち。赤島戦は余力を残した勝ちを手に入れた。
「河津、アイツの研究は俺が超えてやるよ。お前は俺に1勝もできない。2敗目を喫する。」
河津、村山戦は前回の反省点を活かした対局になる。その反省点がどこなのか。
河津は睡眠を取ることが1番の反省点と考えた。前回は睡眠不足も影響していただろう。睡眠改善後の河津はみるみる強くなっている。それは間違いない。前回と違い今回は村山のマークも強い。更に強敵となる。
「谷本もこの対局注目してるんだな。どっちが勝つか教えてくれよ。」
「どちらが勝つかなんてわかりませんよ。味谷先生。」
掲示板では、河津負けろというスレッドが立つほど、村山応援の一強であった。
河津が自宅で研究しているのはここまで読んでいればわかることだが、同じぐらい村山も研究をしていた。
村山は河津の過去のデータを持ってきて、それを全て研究にかけ、彼の研究がどの部分にあるか推測。それを基に対策を進めていった。一番可能性があるのは前回の河津村山戦。村山が勝った対局である。次に可能性があったのは河津小野寺戦。これは河津が勝った対局であるが、小野寺の見落としで勝った対局の為、反省点は多い。
「俺が勝つ。それ以外考えられない。」
「愛情を与えれば彼は負ける。そのヒントを要らないと言った村山さんは負けるでしょう。ふふっ。やっぱり彼は硬いんですよ。河津くんもそう。」
北村が暗黒微笑で呟く。
「彼に愛情を与えたら、もしかしたらメンヘラになるかもしれませんね。僕も師匠に愛を貰ってからメンヘラですから…愛を知って愛に飢えて、愛の為に束縛する。そんな彼を見てみたい。タイトル戦に来たら教えてあげるよ。メンヘラの世界。」
この時の顔は悍ましい、恐怖を感じる。そんな笑顔だった。
北村は外では見せないが、見るものが見ればわかる重度のメンヘラである。表に出すメンヘラと出さないメンヘラがいるようだ。
「北村は重度のメンヘラだが、似た境遇の河津はメンヘラになるのか。」
味谷が木村に話しかける。
「うーむ、そうですね。2人の大きな違いは愛を知っているか否かです。北村は家族の愛情を受けて、それが奪われて、師匠からまた愛情を受け取った。愛を知り、愛を失うことも知っているから、メンヘラなんです。それに対して河津は愛を知りません。例え愛を知った所でそれを当たり前と思わないからメンヘラにはならないでしょうね。特に河津はメンヘラを嫌う性格してますよ。」
木村の持論を述べる。
河津はメンヘラを嫌っている。この考え方は間違っていない。飛び込んだ地雷服の女には暴言吐いたわけなので、間違ってないと言えるのだ。
「村山戦、ここが大勝負だ。」
さて新キャラ北村が出ました。重度のメンヘラということでとんでもないことになりそうです。一応北村には元ネタはいないということだけ書いておきます。現実の将棋界でも残念ながら殺人事件は起きたことがあるのですが(子供に刺された将棋棋士がいます。)それとは関係ありません。そもそも強盗じゃないですし、話が全然違います。
後、小野寺の彼女も登場です。羨ましいですこのリア充が。
最近孤独の棋士のストックが無くなってきました。なんとかします。