低すぎた壁
仲間とは何か。
一人の男が、孤独の棋士に挑むことになった。
かつて連盟の敵であった組織、そこで腐らず将棋に情熱を注いだ高谷類。連盟の棋士編入をクリアし、今檜舞台に姿を見せた。
一方のタイトルホルダー、孤独の河津は、やる気がそこまで起きなかった。最早この男を活気で満たせるのは、不死鳥だけだ。
「高谷のやる気は異常だな。棋士編入からの連盟タイトル戦出場。元組織でもこれだけの本物がいるんだと言わんばかりの出立ちだ。」
木村はこのタイトル戦、彼の気力と棋力が勢いづけば、可能性はあると考えていた。
吉池や十六夜、彼と同期昇段の二人は、悔しいという気持ちが勝っていた。いくら組織で活躍してからと言っても、同期昇段に変わりはない。それもあってこのタイトル戦は目を背けたくなる事実だった。
「かと言って、俺との研究会ブッパした奴を応援する気にもなれない。」
「…そうだな。」
第一局立会人は藤井である。場所は新潟県新潟市。本州日本海側の都市で唯一の政令指定都市である。
上越新幹線とき号で2時間ほど、新幹線の名前にもなっている朱鷺、コシヒカリというお米、佐渡島の佐渡金山などは新潟県の有名なものである。お米が有名と言うことは日本酒も有名ということで、立会人は前夜祭で少し日本酒を呑んでいる。
「祝朱鷺の雛誕生と当時新幹線で貼られてましたね。」
今回の対局場は老舗の旅館だが、名前は「朱鷺」それだけ新潟県の人に愛されているのだ。
既に多くのタイトル戦に出場し、着付けも完璧な河津と初めてのタイトル戦で着物屋に着付けしてもらった高谷、この違いは割と明確で、ズレてきた際に自分で直せるか否かに繋がる。結果として着付けしてもらうほど慣れていない者は、段々体とズレてくるのだ。
「今回は記録係一人なんですか?」
記者の質問に対し
「今回は総合的に判断して一人にした。」
と藤井は返す。小野寺が原因で二人にしたと皆が思っているだろうが、表向きはこのような回答にするしかないと彼は考えていた。
対局開始、先手は河津。お互い居飛車党。戦型は角換わりだ。
「河津相手に角換わりはなかなか厳しい所あるぞ。特に先手が彼なら尚更だ。」
今回の対局を中継で見ている城ヶ崎は隣にいる白河と会話しながら研究している。
「今までの傾向から察するに、次の一手は…」
「今回のアイツ、最短経路で始末する気だな。楽しむ事を忘れてただこのタイトル戦を早く終わらせる為に戦っている。」
村山は森井家で研究中。今日は一門の仲間での研究会だ。当然、三段の梶谷もいる。
「何故タイトル戦でそんなことするのでしょう。折角の檜舞台なのに。」
「…そうだな、相手に失望しているんだろう。俺も虎王戦で闇堕ち小野寺に対して失望していた。それと同じ感情だろうな。」
相手のメンタルを崩壊させるような手、メンヘラ棋士北村駿が愛用した手に似ている。ただ向こうは自分と同じメンヘラにする為にしているのに対し、こちらは二度とタイトル戦に来るな、自分の相手になるなという気持ちでしている。
「俺にとっちゃ、仲間のいないお前にも失望しているんだけどな。ただ仲間作りを意識して、結果養分になったが、一人作っていたのは評価に値する。」
彼が研究会を辞めて以降、また勝率は上がってきていた。これでは村山渾身の持論が崩壊するわけだが、あくまで対等な関係に限ると言うことで事なきを得ている。
「伊吹、お前余所見し過ぎだぞ。」
「ん?あぁすまない。」
「まぁ彼は雀士であり棋士だからね。今中継やってるんでしょ?」
「そうそう。孤独男と組織から来た男のタイトル戦がね。あ、ツモ。」
萩原は麻雀仲間と雀荘で楽しいひとときを過ごしている。
「これどっちが良いんだ?」
「…孤独の方、河津の方。正直手合違い。」
「うへぇ。素人目には全くわからんね。」
素人目でも解るようになったのは、昼食明けすぐのことだった。午前中からほぼ時間を使わなかった河津は、午後になるとその勢いを増してくる。格付けは既に終わったと言いたげな指し手が相手を崖まで追い詰める。他の人が病んでもどうでも良い。いや、他の人の心なんてわからない。思いやりなど本来子供の頃に教えて貰えるはずのモノを知らず過ごしてきた男には、これをやって相手が嫌がるというイメージ、想像が湧かない。
「嗚呼、涙目になってきたな。最初の檜舞台がこれは残酷だな。」
憐れむように控え室の藤井が一言呟いた。投了はその直後だった。
立会人が対局室に戻ると涙を抑えきれずハンカチで目頭を抑える高谷の姿があった。孤独男は既にその場にはいない。
「大丈夫…」
という言葉が非常に無責任なモノだとこの時思い知らされた。そして昨日呑気に日本酒を呑んでいた自分に罪悪感が出てきた。別にお酒が悪いのではない。たまたまこんな形になっただけだ。
「ごめんな。」
そっと呟きその場を後にした。
あまりに残酷な対局結果、マスコミは挙って河津を非難した。それで彼が変わるわけではない。むしろ慣れている。変わるどころか日常だ。
仲間を作るということに失敗した男は、ますます人間不信に陥る。他人を信用すると痛い目を見ると信じてやまない。
「信じるのは、己だけ。」
第二局、第三局も同じような展開だった。
それで壁を越えたかと言えば答えはノーだ。
「これじゃダメなんだ。壁を越えたことにはならない。番勝負で村山に勝たねば。」
村山相手にストレート勝ち。それが出来て初めて頂点に立ったと言える。
河津は、第三局の舞台となった東京の旅館春山荘から都営バスで帰っていた。
「ねぇ、その私の席なんだけど」
無論自由席であり、自分の席ということを主張することはできない。
高飛車な女に対して無視を決め込む。
「私が誰かわからないのかしら?」
全くわからない。興味もない。
「朝比奈千秋、これで解るでしょう?」
どうでも良い。なので無視を続ける。
「そう、パパに言って貴方を終わらせてあげる。」
楽しそうだ。どうでも良いが。
次の日、連盟に衝撃的な話が入ってきた。
「女性プロ棋士を誕生させる為に優遇措置を取る」
との話。どうやら審議を行うらしい。
「…谷本の頃から何も変わってねぇじゃねぇか!!何故外の圧力に屈しなきゃ行けないんだよ!!」
「連盟は資金援助を嫌うんじゃなかったのか?」
「掌返しもいい加減にしろよ!!」
棋士からは酷評の嵐である。組織が朝比奈財閥に首根っこ掴まれていた話は有名だが、まさか連盟も同じだったとはという失望も聞こえる。というのもかつて組織も同じように女性優遇措置を取り、そのバックに彼女らがいたというのを見ている人がいるからだ。同じような展開。その財閥が出ない方がおかしい。
「朝比奈…あの女か。面倒なクソアマが!!」
河津もまた反対派に付いている。
「奇遇だな。お前が俺らと同意見とは。」
村山が話しかける。ここに集まったのは女性優遇措置反対派の者達だ。
「質の悪いプロなど無駄だからな。」
「お前らしい意見だ。俺もほぼ同意見だが。」
「今の連盟制度は男女問わず三段で所定の成績を収めた者がプロとして認められる。例外として編入試験があるが、これも男女問わず同じルールで行われる。つまりこの平等なルートは問題ない。ただ、今回は女性だけが使える裏技であり、到底許されるものではない。朝比奈財閥が絡んでいるのはほぼほぼ確実。俺たちはそれに立ち向かわなければならない。」
新庄が珍しくまともに話している。
今回の反対派メンバーは、河津、村山、澤本、森井、新庄、後藤、城ヶ崎、味谷、小野寺、藤井、北村、杉浦、中野、高谷、吉池。多くの棋士が集まった形だ。その中に龍棋戦で戦った二人がいるのは皮肉なモノだ。
「…お前、俺と同じ道に行くのか?」
「…朝比奈財閥を敵に回せばどうなるかわからないから仕方ないんです。」
「と言っても、棋士を敵に回すのはもっと危ないぞ。河津、村山、味谷と言った狂犬が反対派として参加している。あの孤独男もいるんだ。どうなることか。」
「谷本さん。連盟が消滅するのと、女性優遇をするの。どっちが良いと思いますか?」
「…俺は、第三の選択肢、朝比奈財閥と戦うを選ぶ。」
「…自分は会長として、連盟を守るのを選びます。彼女達と戦うことはできません。」
反対派は連盟対局場控え室を使い、日々作戦会議を開いていた。今だけは今後の為にと普段の研究を捨てて将棋界を守る選択を行う。
「河津曰く、都バス車内で自分の席と言い張りそれが通らないと判るとこれを仕掛けたという流れだそうだ。全く、我儘御嬢様だな。」
「そんな奴、プロにするわけにはいかない。」
「みんな、ちょっといいか?」
谷本が部屋に入ってきた。
「なんだ?回しもんか?」
味谷が昔ながらの圧をかける。
「違う。さっき木村、会長と話してきた。向こうは連盟を守る為に朝比奈財閥とは戦えないと話していた。ただ俺は第三の選択肢、財閥と戦うを選んだ。」
「ほう?花子に操られていた過去を持つお前がか。信用できんがな。」
「…確かにそうだな。ただそれの反省、戒めもある。」
「100信用しろというのは無理な話だけども、今回は味方として入れても良いのでは?」
意見が分かれる。
「仲間外れのような行動になる可能性は高いがそれでも良いか?」
「あぁ…」
「味谷さんと谷本さんがあんな感じで話しているの新鮮だな。二人は犬猿の仲なのに。」
「呉越同舟だよ。」
吉池と高谷が話す。
「それで言えば、誰とも仲間じゃない河津がいるのも新鮮だろ。」
「それもそうか。」
この話ですが、当初は朝比奈千秋が河津を陥れる話で考えていました。ところが、執筆中に現実世界の方で女性棋士に関する話し合いが行われると報じられ、急遽それに準じた話(女性優遇措置問題)へと変えることにしました。




