平和
復調した第三局です。
小野寺渚復活の知らせはすぐ将棋界を駆け巡った。養成機関でもそれはすぐ届き、三段はやる気に満ち溢れていた。
羽川や村田は現在トップ層を走っている。特に羽川聖は、あの羽川善晴の子供で神童の子供である。父親が捕まっても、大好きな将棋に偽りはない。
高谷は、中野や十六夜と共に三段のリーグ戦の棋譜を眺めている。このような場所からもヒントは得られる。かつて孤独の男が育成機関に顔を出してヒントを得たようなものだ。他人の研究を得られるので、仲間と研究して強くなるの擬似体験ができる。
第三局は格式の高い場所で行われる。繧繝縁が使われている、つまり天皇陛下の使う畳に使われているもの、最も格式の高いものが使われている場所が対局場である。それだけに天才棋士が正気に戻っていて本当に助かったと安堵の声がしている。
「名人格と並び格式の高いタイトル戦に於いて相応しい場所…だな。」
ここまでの対局は格式の低い棋譜ばかりだった。最強の男と神童の本物の一局が恐らく観られるだろう。
「立会人の谷本です。」
「あぁ問題ない、挑戦者も問題ない。」
「はい、問題ありません。」
本当に別人のように、元に戻ってみんなから好かれる男に戻った。あれから菜緒に誠心誠意謝罪を行い、将棋界にも、けじめをつけた。
良い棋譜を残して罪を償う。それがこの男に科せられた十字架だ。
第三局、ここにあり。先手村山2六歩、後手8四歩。
(戻っているな。)
普通の手、そう。この手を見て安心した。
戦型は角換わりへと進む。お互い得意な戦法だ。
「そうだよ、これでなきゃ。」
思わず独り言が出た。非常に小さな声だが、喜びを感じていた。本物と今、対局が出来ているのだから。本当に社交性のある河津みたいな性格だ。
今日の中継、河津もしっかり観ていた。
「正気に戻ったのならば、観る価値がある。研究はパソコンに任せて詰将棋を解きながら中継を観よう。」
(…仲間は必要とかほざいてたな。確かに他人のアドバイスというのは良かった。ただそのために無駄な時間も生まれるなら、どっこいどっこいじゃねぇのか?別に友達なんていらねぇ…からな。)
彼にとって友達や仲間というのはそれを続ける為に無駄な時間を必要とするものだという認識だ。故にそのような関係を得ずに他人の研究を得られるのならそれが一番効率が良いという考えに変わっていた。しかしそんな虫の良い話あるわけがない。ということで一人での研究に甘んじている。強いていうなら、この中継が、それに近いものなのかもしれない。
この村山という男は今目の前に立ちはだかる大きな壁だ。タイトルホルダーとして全勝もできるほどの実力がある自分ですら、この男の仲間と共に研究した手には太刀打ち出来なかった。いくら予選で勝ってもタイトル戦で勝てなければ意味がない。一発勝負ならまだ可能性はあれど、番勝負となればまぐれは許されない。相手もここに狙いを定めている。従って真の実力の最強の男と戦わざるを得ない。
(相手の駒台に置くレベルの、反則ではないがそれぐらいの番外戦術如きで動揺していたら俺は勝てない。精神も鍛えなければいけないようだ。)
東京の連盟対局場では先日に続き高谷、中野、十六夜、そして城ヶ崎、北村太地が集まり中継にて対局を見守る。
「それにしても、北村さんが連盟対局場にいるとは思いませんでした。」
「まぁ用事があったからな。」
「対局は角換わり、ようやく俺たちの望んだタイトル戦が観られる。」
「それにしても、かつて俺に負けたんでしたっけなんて言っていた人とは思えないぐらい進化したよなぁ。」
「タイトルを持つ、或いはその直前までいきゃ変われるものだ。」
45手目、5五角打。46手目、4四角打。
「心なしか、アイツの表情も明るくなってるな。」
立会人の目には今、この対局を楽しんでいる虎王に見えた。第一局や第二局のつまらなそうな、どこか冷めた目で見ていたのと違い、今回は童心といった様相だ。
「そういや、今回森井一門は来てないのか…?」
「聞いた話だとそういうのはやめてくれと村山さん本人からお達しがあったそうですよ。一門で応援に駆けつけるのは、引退している師匠ならまだしも現役棋士を巻き込まないでくれと。だいぶ変わりましたね。」
引退棋士が誰かを応援する。それは大いに結構だ。しかし、現役棋士は例え兄弟弟子でも人生、生活を懸けた敵同士なのだ。不退転の覚悟なのだろうか。
一日目終了、これだけ普通に終わったこと、それが非常に嬉しかった。子供みたいな感想だが、本当のことだった。
「菜緒…本当にすまない。今の俺をもしも観ているのなら、俺の、この誠心誠意、伝わっているといいな。」
ベットの上、一人呟く。天井には菜緒の笑顔が映った。
「病み上がりだが、それが怖い。真の姿はあの孤独男に劣るとはいえ、それでも仲間の力は侮れない。ジャンケンで例えれば俺がパーで河津がグー、小野寺がチョキか…」
「どうでした、この一日目。」
「俺は小野寺が果敢に攻めているように見えたな。本調子だからこそ、最初からアクセル全開といった感じだ。」
「高谷は、どう見えた?」
「そうだな…組織から連盟に移籍した感じだな。」
(…あの角交換、意図は…まぁそれが最善手であるなら見落とした点もあるかもしれない。)
二日目、封じ手開封、72手目、5二銀。
「そういや、和服も前局と違いかなり良くなったな。」
細かな差異、身だしなみが、復調を物語る。
「第三局の立会人ならプールトゥジュールの思い出になったんだがなぁ…」
前局立会人新庄は、クラシックの流れる部屋の中、少し残念がっていた。
96手目、対局も終盤まで差し掛かったが、お互いの攻防は続いている。攻めては受け攻めては受けの繰り返し、6五桂である。
会話がしっかり成り立っている、そのように感じる棋士もいたようだ。
それでもその会話は終わらせなければならない。小野寺が仕掛ける。
プロの中でこの手を無理攻めと評したのは河津だけだった。非常に効果的な一手だと周りは評価した。
実際その通りで村山は段々と追い詰められていた。不死鳥が墜ちる時、その火は最期の輝きを魅せるのか。
「不死鳥が墜ちることはない。だから不死鳥なんだ。」
ここからの建て直しは大変であるというのはお察しの通りだ。
(第二局まで向こうがやっていた番外戦術をここでやるか?否、俺は盤上で相手を惑わせてやる。)
勝負手の連発、時間が減る中、この手はどうかと悩みに悩む。
しかし決まらない。最善手ではないので益々差は広がる。
(そうだ、あの日アイツが研究した手…これなら…)
澤本が生み出したという新手を披露した。
なんだこの一手はというのが普通の反応である。無理攻め判定していた孤独の棋士もこの手は評価しなかった。むしろ何をやってるのかと多少苛立ちを覚える程だ。
ただ、虎王だけが、この手で勝てると算段を立てていた。
「暗闇の中から真っ黒な物体を見つけ出すほど難しい、それを今やり遂げようとしている。」
確信した。本物の神童に剣を。
「評価値が動いたぞ!!」
「何ということだ…AI越えか?」
「こりゃ世紀の大逆転劇じゃねぇか!!!」
目の前で起こっていることに驚く者、喜ぶ者、嘆く者。様々な声が交差した。
(あの手がそんなに効果的とは…まさか、本当に仲間という存在は仲良くするデメリットを加味しても良いものと言えるのか…?)
かつて自身が友達を作りたいと考えていたとは思えない心の声である。
それでもこの一局が、闇堕ちから復帰した彼にとって非常に効果のある薬となったのは間違いなかった。
「負けました。」の一声も、心なしか前を向いているよう感じたのだ。
それに応えるように、タイトルホルダーも今までと違い笑顔で感想戦をしていた。この手はどうか、あの手はどうか。終わっても悩む所は大いにある。
一応は3勝0敗で防衛に王手を掛けたが、本人的にはまだ1勝0敗だろう。
「競り勝った。」の一言よろしく、今回は紙一重の対局であった。
外に出ると菜緒がいた。わざわざ現地まで来ていたのだ。
「菜緒…ごめん。負けちゃった。」
「大丈夫、渚くんは自分自身には勝ったんだから。」
微笑ましいやり取りの後、二人で自宅へ帰った。
やはり平和が一番である。
…春は近くに来ている。
ついに棋士の望んだ真剣勝負のタイトル戦、紙一重の差で村山が勝ちましたが、お互い満足そうです。
やはり平和が一番です。




