復活は
神童、今は昔。
この第二局、村山有利との見方が強まり、戦況を見ても、小野寺の勝ち筋は出てこなかった。本来の棋風を取り戻さないと神童の復活はないと言いたげだ。
「仕方ない。行くぞ。懲罰とか知ったことじゃねぇ。」
そのまま一日目は終了。それぞれ自室に戻る。
部屋の割り振りとして村山、新庄、小野寺といったように、立会人を対局者が挟むような配置だった。これは隣同士の部屋では相手の声が聞こえかねない為、中立の立会人が真ん中に入ることで公平性を保つ狙いがある。実際隣の人に何かを伝えようとした場合、もれなく相手にも聞こえるようになっている。
「お待たせしました。本日京都、新大阪方面最終のぞみ号発車します。」
東京駅から覚悟を決めた者が新幹線に乗り込む。最終の新幹線はビジネスマンで満席だった。
京都は夜も賑やかである。特に祇園四条は繁華街であり、多くの人がお酒の匂いを漂わせお店やタクシーに吸い込まれていく。有頂天な者が大勢の中、明らかに様子のおかしい男が道の真ん中を突っ切った。
「本日は満室なんです。」
「少し聞きたい。近くで将棋のタイトル戦やってるだろ?そこに出ている小野寺渚って奴が泊まっていないか?」
「…あの、個人情報をお伝えするわけには…」
「いいから聞いてるんだ!泊まってるのか!!否か!!答えろ!!」
突然無茶な要求をされると困ったものである。
「…あの、味谷さん。昔みたいに素人を虐める悪い老人になってますよ。」
奥から新庄が出てきた。正直言えばビンゴである。ここに彼がいるということは御目当ての人物がいるということに繋がる。
「おっと、いくら味谷さんでもダメですよ。ホテルの部外者は立ち入り禁止です。」
「知るか!!」
「…では外で話しましょう。そちらもわざわざ古都まで足を運んで下さったようですし。」
なんとか説得をして、近くの居酒屋に入る。なお新庄はソフトドリンクで済ませた。
「それで、何故わざわざここまで?」
「今から話す内容は内密にしろよ。」
「分かってます。」
「実はな…」
「それでしたら、二日目終わりで会わせます。それまでは我慢してください。私はそういう状況であると認識して対応します。」
「今にしてくれ。一日でも早く!」
「…いくら味谷さんでもダメなものはダメです。対局中に他の者が助言すれば血溜まりに首を立てますよ。」
血溜まりと言われている将棋盤の裏にある窪み、実際そのように使われていたかと言われたら不明であるが、そのような逸話が残っているのは事実である。対局中に第三者の横槍は厳禁である。記録係が対局者から聞かれたこと、ルール上必要なこと以外言葉を発しないのも横槍を入れない為だ。
なんとか説得はできたが、あれだけ血相変えて迫られたら嫌でも頭の片隅には残る。
(村山…なんとか良い方向へ頼む。)
二日目、対局再開。平常心こそ一番強い心である。一番それから遠いのは新庄なのかもしれない。
(決着を早くつけようとしてるな、最短経路で叩きのめすつもりか。)
時間を使うには使うが、ほぼ最善手を続ける。実際この最善手というのはコンピュータが一番良いと考えた手である。稀にそれを超える手を指す場合もあるが、基本的に最善手を続けた場合は先手が勝つと言われている。なお今回の相手は最善手をあまり指していない。人の対局ではそれが選択肢の幅を広げ、結果として勝利に繋がることもあるが、今回のような最善手マシンみたいな手を続けられると当然苦しくなる。本調子じゃないと言われてもしょうがない。
一日指して相手の現在の様子は読み切ったのだろう。それの答えがこの対局は早く終わらせようだった。そしてその方が助かるのが立会人だ。
昼食明けすぐ、事件は起きた。村山の歩突きに対して小野寺はそれを取る。
「…は?」
一瞬固まった。時が止まったように、何が何だかわからない。それは記録係も立会人も同じだった。
「…は?」
もう一度聞き返す。
「…えっと」
立会人も困惑している。記録係に至ってはどうすれば良いかわからない。
「なんで、俺の駒台に置くんだ…?」
小野寺渚が取った歩を何故か村山の駒台に置いた。前代未聞、意味のわからない行為だ。
真剣勝負の最中にそのような反則が起きれば、緊張の糸が切れるように、集中できなくなる。
前代未聞の番外戦術、というよりただ呆然とするしかない一手。
外で中継を見ていた味谷ですら目を点にしていた。
「えっと、反則につき、村山虎王の勝利…です。」
記録係もどう書けば良いか困っている。というかここにいる殆どの者が困っている。
中継では批判、というより非難の声が殺到した。神童への失望は大きく、将棋界を揺るがす事件とした。
感想戦はなし、虎王はただ上の空で記者会見に臨む。
「…なんというか、怒りと悲しみでいっぱい…となるんだろうなと。」
今は心ここに在らずでも恐らくこの一局には次第に怒りを覚える。そして良い棋譜が出来なかった悲しみも生まれる。
外に出た小野寺の前に味谷が現れた。
「味谷さん。あはは。」
大きな音が祇園四条に響き渡る。今までにない怒りと更生を求めたビンタが神童の右頬に炸裂した。
「馬鹿かお前は!!大事な、結婚すると決めた相手を監禁して、自分は病んで、それで勝てると思ってんのか!!もうお前を操っていた不届き者は捕まった。後はお前が元に戻る努力をしなきゃいけないんだよ!!お前の一手は番外戦術なんかじゃない。ただの悪手、いやそれ以下なんだよ!!」
周りの目お構いなしで説教を続けた。その目にはキラリと光るものがあった。
最初は虚な、それこそ遺体のような目をしていたが、だんだんとそこに正気という光が差してくる。
「渚くん!!」
奥から菜緒が来た。監禁していたはずの彼女が何故ここにいるのか。
「タイトル戦出かけて、私、小春さんに電話したの、助けてって。渚くんのことが好きだから、だから…」
嗚咽しながら、自分の想いを口に出す。その言葉は、マインドコントロールから解放するのに充分な一手、最善手だった。
「菜緒…菜緒…!ごめん…」
なんと詫びを入れたら良いのか、今取り返しのつかないことをしたと酷く後悔した。ここまで幸せな自分が、その幸せを自ら放棄しようとした。
もう本当に愚か者だと。そう感じた。そして同じように目を十分に潤わせた。
「…これでまともな対局になれば良いが。」
遠くから村山はボソッと呟いた。長かった事件の解決と、ここからでも良い対局、タイトル戦が行われることへの期待を胸に。
その日は一晩中この調子だったようだ。これが黒歴史として片付けられるのならそれで良い。人は誰しも黒歴史というものを持っている。厨二病とは違うが、精神が参っていた時期、ただそれだけのこと。それ以上でもそれ以下でもない。
味方というのは大切だ。孤独じゃないから道を踏み外した時それを引き戻す綱を持つ者がいる。
小野寺渚、神童。ここに復活…
長かったマインドコントロールも終わり、いよいよ本調子の小野寺渚が帰ってきます。
北村(メンヘラの方)以来のこういうキャラでしたが、やはり自分は病んだキャラを書くのは苦手なようです。
ちなみに見守るしかできないと言っておきながらここまでの行動をしたのは、菜緒の電話がきっかけです。それで信念を曲げるのも、人を守る漢ですね。
あと私事ですが、ネタ切れ気味なのです。この話は4月7日完成で、現時点で予約はこれ入れて2本です。
一時期は8本ほどあったのですが…なんとか頑張ります。




