天下人
第三局です。
「東浜は捕まった…小野寺は殺人を犯すようなタイプじゃない。まぁ連盟期待の神童が闇堕ちというだけでも、良しとするか。」
王棋戦の後は虎王戦である。現在は挑戦者決定戦の最中、既に河津が前虎王谷本に勝ち、決勝に駒を進めている。
一方の山は小野寺と新庄の対局である。
「味谷さん、なぜここに?」
「ん?いやぁ小野寺の対局が観たくて」
天才棋士を監視中の味谷も対局場にいる。口外厳禁の為そう言わざるを得ない。が、その表情を見てそれが偽りの姿であることを見抜かれていた。
「何か事情があるというのはわかりました。」
と小さな声で呟いた。
この対局の翌々日が王棋戦第三局である。一応神童の対局ということで村山は森井家で確認をしていた。
家に着くや、梶谷が昇段し初段になったという旨の話を聞くことになる。まだプロになっていない弟子には愛情を注ぐのも大切だ。
「なんか、変じゃありませんか?」
澤本が映像を見て呟く。
「小野寺の目がアイツと同じだってことか?」
「流石です。」
「つまりコイツも殺人とかを起こす可能性があると?」
「いえ、そこまでは…なんだか単純に雰囲気が違うだけで、狂気というよりは…」
なんとも言えないモヤモヤ感が場を支配した。
「新庄さん?」
口元が笑っている。
「良いクラシック知りたいなら対局が終わってから沢山教えるよ。」
二人の戦いが幕を開けた。禍々しい雰囲気の中。
一方ここまで連敗でカド番の河津。ここは一人でひたすら研究である。
何が間違っていたのか、徹底的に洗い出す。勝ち筋を見つける為に地道にコツコツと。既にまともな食事を家で摂らなくなって結構な時間が経った。体重はかなり落ちている。
「何か、何かあるはずだ。」
龍棋戦で天才には勝てたのだ。だからこそこの王棋戦、不死鳥に負けるわけにはいかない。
突如中継が途絶えた。
部屋から笑顔で出てくる小野寺と絶望の表情を見せる新庄。現場にいた者はその異様な光景に開いた口が塞がらない。
何かがあったということだけが伝わった。
「中継…途絶えたが、何があったんだ?」
森井一門では状況を掴めていなかった。すぐにネットで調べるも、同じように掴めていない者の困惑した声しか無かった。
少しして放送局から一言コメントが来た。
「味谷九段が恐るほどの番外戦術につき放送不可と判断した。」
その文言があまりに異質なもので、悍ましいものであったというのは言うまでも無い。
どうやら城ヶ崎や赤島は不審に思い連盟に電話をしたという。ただ向こうから返ってきたのは「味谷九段が恐るほどなら、放送はできない。」という言葉だった模様。
「株以上に急降下する、決勝もどうなることか。」
「師匠、自分達も見に行くべきでは。」
「平泉、これは我々が手を出して良い世界では無い。俺は次の立会人をやるし、お前は次、杉浦と対局があるだろう。」
第三局は、桐谷が立会人を務める。
舞台は愛知県岡崎市。徳川家康の街として知られ、八丁味噌や五平餅などが有名である。最近では動画配信をする六人組の力によって彼らの聖地となり、多くのファンが集まる活気あふれる所となった。対局場は岡崎城である。
「名古屋は金のシャチホコ、こちらは家康の出発点、と言った所か。」
後に江戸幕府を作ることになる家康も、最初から天下人というわけではない。苦労の連続だったのは容易に想像できる。
「タイトル戦もまた、苦労の連続だ。」
桐谷の言葉は何処か響くものがある。
「何処見ても、六人組の画像ばかりだな。」
ホラー映像と言っても良い中継中断も、自身の対局前には既に忘れていた。いや、忘れることにしたと言った方が良いだろうか、それどころじゃないという方が適切だろうか。
「ん?川に飛び込んでる奴がいるぞ。」
対局場に向かう途中、乙川を渡る。そこでカメラを回しながら飛び込んだ人たちがいた。恐らくその動画配信者たちだろう。周りにはファンと見られる人々が集まっている。
(一見すると何やってんだっていう行為が、人々の心を掴んだんだろうな。)
そう思い、その人たちを検索すると、将棋棋士とコラボした動画も上がっていた。
「連盟棋士も関わりあるのか。」
川に飛び込むという命の危険もあるような行為、真似は禁物だが、彼らは安全策をしっかり取った上で飛び込んでいた。それは一瞬の目撃であってもはっきりわかるものだった。
「将棋がやりたいだけなのに、タイトル戦で全国移動は別に良いんですか?」
記者会見ではこのような質問が飛んできた。確かに河津は将棋の為に無駄な時間を使いたくない人だ。全国各地で行うタイトル戦というのは時間の無駄ではないのだろうか?
「これをやることで将棋のプロ文化が続きプロでいられるならやる。ただそれだけだ。」
とのことだった。彼の中で移動はプロ将棋を残す為の活動なのだという。
対局は静寂に包まれた中行われた。外は観光客も多いが、それが二人に聞こえることはない。今日の先手は村山である。
「なるほど、米永玉か。」
村山は、米永文雄が使っていた戦法米永玉を採用した。本来穴熊は1九、9九の地点に玉を持っていく。居飛車相手であれば、9九が定跡だ。それに対して米永玉は、9八の地点に玉を連れて行く。これにより手数の削減が可能となる。
「なるほど、籠る受けか…」
「味谷さんが喜ぶか怒り散らかす将棋だ。」
対局を見ていた十六夜はそう呟いた。
「確かに両極端な反応だろうな。」
隣にいた高谷はあの男を過去に目の前で見ている。確かにそういう対応をするだろうと予想する。
「ほう、穴熊擬きか、どちらでもこじ開けて始末できるが、この男にはできるかな?」
穴熊攻略のプロ萩原は趣味である麻雀をしながら対局を確認する。
「それ、穴熊ってやつとちょっと違うけど?」
隣にいた麻雀仲間が呟く。
「あぁ、米永玉って言ってこの地点に置くタイプもあるんだよ。俺ならどちらも対応できるが、よく見る穴熊と違ってこっちは米永って人が亡くなってからあまり見なくなったからなぁ。あ、ツモ。」
「多くの奴はこの駒位置を米永玉と吐かすが、本来は終盤でこの手順になることを指す。大体本人もそう言ってたが、今の奴らはそんなこと知らないからこれをそう呼ぶ。事実、解説をやっている平泉薫は解ってない。今となっては本物の米永玉で認知しているのは弟子の二人と、俺が教えた小野寺ぐらいだろう。」
味谷は苛立っていた。確かにこの地点で手番の短縮はできる。しかし本来は終盤に置いて、早逃げすることで手数を稼いだりすることを指す。時代の変化で9八の地点の玉を纏めて米永玉と称するようになったのだという。
互角のまま中盤を迎える。徐々に河津の顔に焦りが見え始めている。
「珍しいな、あの顔…」
中継でもその様子はバッチリ撮られている。頭を掻きむしり、思い通りに行かない様子を見せ出した。
「ただここからだろう。ここからアイツの研究へ持っていければ勝てはするだろうな。」
「互角だけど苦しそうな顔してるじゃん、ここから逆転の手があると?ツモみたいな?」
「麻雀と違って将棋は全ての情報が公になっている。相手が何を持っているのか、どこに駒があるのかというのはわかるだろう?」
「だからこのような手札かという考えがないとよく聞くけども」
「ここからの手順も考えれば全員わかる。それを先に読んで相手が読む前に終わらせる。」
「…ほう?」
「つまり、相手が読んでいない、研究の手。これが指せる展開に持っていければ、逆転できる。タイムリミットはあるがな。」
「…すまん、お前の説明割と下手で全くわからん。」
「なんてこと言うんだよ!」
と笑いながら談笑する。なおロンであがられた模様。
「ここから河津王棋が逆転するには、向こうが考えている罠に挑戦者を引き込む必要があるな。」
「ただ、それを村山虎王が読んでいれば、もうこの対局は終戦だ。」
河津は研究の手に持っていくために毒饅頭を仕掛けていく。相手に読まれない手を、ひたすらに続けている。
(…取った!!)
毒饅頭を食べた。急に態度が良くなる。その一手を待っていた。そう言いたげな顔だ。
「良い顔してるな。何か良いことでもあったか?」
「あぁ、解ってないようだから教えてやろう。お前は今、毒饅頭を食べた。」
「…そうか、俺は毒饅頭を食べたのか。」
「あぁ、ここからは俺の研究範囲だ。」
「…それ、本当に毒入ってたか?」
「…俺は、その手が問題ないことを既に一門の研究会で確認済だ。お前がそう指すだろうと予想もしてな。好きそうな手を片っ端から洗って、結果毒を無効化したということだ。つまり毒など入っていない。ただの美味しい饅頭さ。」
「は?」
「言っただろう?対人研究は大事だと。相手の読み筋が分かり易くなると。」
毒饅頭が不発だと誰が想像しただろうか?米永玉が研究…いや違う。本当の研究は向こうの思考回路だったのだ。
「頭を掻きむしって後悔しろ。人を頼らなかったという選択の間違いを。」
終局。言うまでもないが三連勝で村山が王棋獲得。二冠となった。
挑戦者だった男が外に出た後、王棋だった男は大きな声で叫んだ。悔しさがたっぷり入った大きな後悔を。
「この男に負けて悔しかったら、新宿で安酒飲んで道路に寝るがよかろう、それが似合いだ」
それを聞き、桐谷はそう呟いて部屋を後にした。天下人は村山だ。
というわけで三連勝で村山が王棋となりました。
孤独ゆえに人を頼れず、結果として間違っていると指摘してくれる友もいなかった。これが敗因です。




