連盟の壁
味谷は組織からやってくるかもしれない男の画像を見つめながら昔を回想する。羽川善晴が連盟にいた頃の話だ。
当時期待の新人、今でいう小野寺のポジションだった神童羽川。彼は当時連盟でタイトルホルダーだった中原、北小路、米永、そして味谷を次々と破っていた。勿論それで黙っているはずがなく、自分含め多くの棋士が戦いを挑んだのである。
そのように思い更けていると、小野寺が入ってきた。折角なので昔話の時間である。
「多くの棋士を破ったその男が、ある男に負けたんだ。誰だと思う?」
それは自分だ…と言いたいが、そうではなかった。羽川という化け物を破ったのは、当時近寄り難い空気感だったと評された羽島誠だった。
「近寄り難い…河津稜と同じなんですね。」
「だからこそアレの師匠なんてやれたんだろうな。」
どちらも苗字に羽と付いていた。そこから当時は羽を倒すには羽しかないとも言われた。
「ただ俺はアイツが嫌いだった。暴力的な性格をしていたからな。」
この辺は河津に対してスパルタ教育を実施するぐらいなので信憑性は極めて高い。
「いつだったかな。名人格の挑戦者決定プレーオフで俺とソイツが戦うことになってな。結果は俺が勝ったんだが、終わった後いきなり殴られてな。腹いせってやつだろうな。俺も当時は今ぐらい丸くはないから、まぁ殴り合いの乱闘だな。」
いつしか味谷一二三、羽島誠名人格挑戦者決定戦乱闘事件と言われるようになったというが、最近の将棋界は様々な出来事があったせいでそれを知らないファンも増えている。
「俺が河津を嫌っているのは、一部は羽島を嫌っているから。なのかもな。」
結局その期は羽川が防衛。苦いタイトル戦となっている。そうなれば向こうから自分が出ればタイトルを奪えたと言われるのは仕方ないこと。それが嫌で嫌で堪らない。
「本当に当時は大変な時代だったんだ。君みたいに性格が良いのがトップならまだ良いんだろうが、まぁ組織を作るぐらいだからな。結構な皮肉屋だったんだよ。」
「皮肉屋…ですか。」
「それで北小路劔という棋士がかなり激昂して、米永、谷本…その辺りが止めに入ったんだけど、彼らを押し退けてしまった。怖いのはここからだ。」
昔話というのはよく話が飛んだりする。記憶を頼りに話すものだから記憶がない部分が飛んで聞き手はいきなり次の話という風に捉える。それでも彼は優しいのでそれを指摘せず聞いている。
「北小路の鞄には包丁が入っていてな、それを羽川に向けて刺そうとした。流石に包丁とありゃ誰も手が出せなくてな。それを背後から殴って止めたのが羽島誠なんだ。あの男を地獄に堕とすのは俺だ。正々堂々将棋で叩き落としてやるって言ってな。」
羽川善晴は自分がプロになった時には既にいなかった上、羽島誠や北小路劔はこの世界に入って割とすぐに亡くなっている。トップを走っていた頃の話は興味深いものだった。
「この高谷って男の画像から色々連想しちまったよ。聞いてくれてありがとうな。」
受験の日、面接の日、それぞれ緊張する場面はあるだろう。高谷類は昔からそのような場面で緊張したことが無かった。いつも素で挑めた。
「五番勝負は、初戦を私、木村と戦っていただき、以降棋士番号の大きい順、東浜真寛、中野海、後藤匠、河津稜と戦ってもらいます。先に三勝すれば合格です。」
「少しいいですか?最終戦、河津じゃなくて小野寺にして貰えませんか?二冠を無冠に変えるというのは厳しいかもしれませんが、俺はあの男に勝ってプロになりたい。」
「でしたら、三勝した後に小野寺と対局して勝てばプロ棋士となるということでどうですか?」
「そうですね、それで行きましょう。」
五人の審判、そして審判長小野寺。彼らに挑むその覚悟は並大抵のものではない。
「組織…あそこにいた男が、どこまでやれるか。」
ライブ中継されるということもあり、連盟棋士の関心も大きい。特に新庄は興味津々と言った様子だ。
木村との第一戦、プロ棋士の反応は試しているというものだった。
「高谷がどこまでやれるか、それを会長は見ている。」
究極の二択を迫る場面が多くあったのが印象的だ。持ち時間は30分づつの早指しであり、結果は高谷が勝利。続く第二戦も勝利している。第三戦、中野海戦は、彼がゴギゲン中飛車を指し、難解な局面となった。振り飛車党藤井が喜んでいたが、結果中野勝利で2勝1敗。第四戦、後藤匠戦へと続く。ここで勝てば最終戦は河津ではなく小野寺となる。
「俺を舐めないでくれ。」
そう意気込んだのは良いのだが、データがない。組織の棋士のデータなど連盟に存在しない。新入り相手に苦戦すると言うのはよく聞く話だが、後藤はデータをよく参照するタイプである。彼の苦しそうな表情は、どちらが優勢か一瞬で判断できた。しかし挑戦者にとってこの対局は権利を得るためのものに過ぎない。自分が決めた条件、天才棋士との一戦を待ち望むファンは多い。
後藤の投了で、小野寺が動き出す。試験官が検討室へ移動し、注目の編入試験が始まる。
「お久しぶり、試験官、小野寺渚だ。」
「待っていた。今回は一個人として、挑ませて貰う。」
二人の戦いが幕を開けた。先手は小野寺、飛車先の歩を突く。同じように後手番も飛車先の歩を突いた。居飛車の戦いだ。ガッカリしたのは藤井だけで他のメンバーは喜んでいる。
「うむ、この二人、似ているな。」
「将棋に対しての情熱?」
「ここでこう来るのか〜」
雑談は止まらない。藤井に木村となれば、和やかムードになるのは必然だ。
それと対照的なのは対局場だ。勝てば仲間入り、負ければアマチュア。世紀の一戦である。
「ほう、なかなか面白い対局が見られると聞いて、検討室に来てみれば、天才に挑む漢を見られるとは。」
「この対局もまた動画のネタにできますね。」
そう言って現れたのは棋士番号261の北村太地八段と棋士番号308の杉浦和雄五段である。どちらも米永の弟子だ。なお北村姓だが、北村駿一家とは全くの無関係である。当時の騒動の際はかなり心を傷めていた。
「珍しい客人だな。」
木村がそういうように彼らはあまりこのような舞台に顔を出さない。というのも二人で動画投稿サイトに動画を投稿しており、将棋の普及活動をしているためである。先日も棋士編入なるか高谷類!という動画を上げていた。新庄は動画でクラシックBGMを使うことからよく気に入って観ているようだ。
「なんだ、この風景もまた動画化するのか。」
「そうですね、視聴者はこのようなものを望みますし。」
18手目、8六歩、19手目同歩。そして20手目が指される。
「6五桂…!?」
高谷の一撃は衝撃波を出す。木村などトップ層の棋士はこの一撃で既に決着を見せたと意見した。
「持将棋を見せられたからって最短で潰しにきやがったな…」
後藤の指摘通り、長引かせると入玉させられる危険性がある。研究の成果だろう。
「早指しなのもあって、これはキツイ一手だな…」
太地の指摘もその通りだ。一瞬にして的確なコメントが流れる現場へと姿を変えた。
「なかなかの大物が来た。そう捉えて良いな。」
新庄は関心が感心へと変わった。それと同時に危機感も覚えた。
この対局はその後も高谷のペースで進んでいる。以降小野寺の見せ場は特に無かった。呆気ないのが恐ろしい。新たなる天才の登場である。
次世代の将棋界は、今ここにあり。
神童、投了。
高谷類は連盟棋士となった。




