新たなる未来へ
最終局は第六局へ。勝てば官軍負ければ賊軍。
泣いても笑ってもこれが最後、どちらかはこの対局が終わったその瞬間にこの世から抹消される。
「計画は大幅に狂わされました。連盟というのはいつも私を壊してくる。弱い棋士がいつまでもプロと名乗りながら、本当に強い若手がアマチュアとしてやっている。野球ではどうでしょう。弱い者はすぐに戦力外となり、強い若手はすぐ一軍に上がれる。私はそう見えているのですがね。」
「野球とかどうでもいい、さっさと対局を始めよう。お前を地獄に叩き落としてやる。」
「えぇ、貴方は将棋以外興味がないようだ。」
再度振り駒が実施される。結果は河津の先手である。
「もう番外戦術も効かないようだ。仕方ない。」
運命の第六局が、産声を上げた。
先手2六歩、後手8四歩。この始まり方は居飛車を示す基本の手。
「…会長が、本気だ。最初からこれなら、もっと良いものになったのに。」
「高谷?お前は口を挟むな。刹那や小牛田と同じ、抹殺されるべき存在だ。」
「もうアイツに番外戦術なんて効かねぇ。向こうもそれをわかっている。見られるぞ。連盟時代、最恐と恐れられた鬼畜野郎の対局が。」
味谷はよく戦った。連盟時代、手がつけられないほどに強くなったこの男と。小野寺のように可愛げがあるかと言われれば、年齢的なものもあり、ないと言える。
「この人が、自分のような棋士だった…伝説の男…」
そこにいたのは第二局にいた羽川ではない。かつてブームを起こした神童だ。
「なかなかやるじゃねぇか。」
「貴方こそ、動揺しなければ意外と戦えると。」
序盤が終わる頃には、お互いの棋力は嫌になるほど解っていた。
「どうです?組織に来てみませんか?」
「俺が負けると言いたげだな。この対局が終わった時、お前らは無職になる。」
病室のテレビで検討室を映すようにして、村山も検討を行う。スマホの画面で映しているため、画質は荒いが木村が棋譜を読み上げている。
「アドバイス通り行けば、間違いなく勝てる。俺が予想したアイツの真の力を見られる。」
28手目、7七角成。持ち時間が短い故、長考はできない。一手のミスが命取りのゲームに、ある程度の直感も必要だ。
(全て話そう。俺が指示されたこと。それが正しい。)
高谷が部屋を後にした。渡部は先程知らされた徹也の電話に掛け、尾行するよう伝えた。
「多目的トイレに入った。」
「多目的トイレ、ですか。私が指示するまでそこにいてください。」
尾行されていることなんて気がついている。このドアを開ければ俺は殺されるかもしれない。それでも真実を伝えたい。
涙を流し、彼は電話を掛けた。警視庁の刑事、松岡に。
「わかりました。」
病室に星野がやってきた。村山への事情聴取である。
「そうか、俺に話聞きたいよな。」
「勿論です。犯人逮捕のために、裏取りをしたいので。」
「俺が倒れる直前、目に入ってきたのは、病んだ目で笑いながらこっちを見ていた八乙女って奴だった。観戦記者やってた頃の姿とは全然違うから、多くのやつは気がついてないと思う。」
「やはり、八乙女という人が犯人…」
「俺が意識朦朧の中、なんとか伝えたからな。」
この辺で星野に連絡が入る。
「…なるほど。事件の内容、わかりましたよ。」
10分後、八乙女は逮捕された。罪状は殺人未遂。未遂という言葉で彼女は殺しきれなかったと知らされた。
「これで対局に集中できるな。」
流石にタイトルを総なめにした男の棋力は並大抵のものではない。全力でぶつかって互角である。ある意味ではこの前まで戦っていた天才よりも強い。
「早期決着を目指しているように見える。アイツは最短経路を探し出し、完全勝利、完封を狙っている。」
「ですが、相手はかつて神童と呼ばれた男…本当にそんなこと出来るのでしょうか?」
「アイツはこの前神童を倒した、といえば君が傷つくが、それぐらい強い。それに一人でそこまで出来る奴が今、連盟のためにと他の棋士の入れ知恵が入っている状況。俺は信じるよ。」
連盟会長としてやれることはやった。後は信じることしか出来ない。その時間は異常に長く感じる。タイトル戦よりも。
40手目、4五桂、41手目、4六銀。
(まだまだ互角の範囲だが、少し指し辛い。ここは一つ、妙手を目指しますか。)
羽川の中に番外戦術の言葉が無かった。河津という男にそれが効かないのも大きいが、消えたと思われた人の心が、今蘇っていた。
45手目、2三歩成に対して46手目は同銀、そして3三歩成。向こうが攻めている。何処かで巻き返す必要がある。
52手目、7五桂打。この手自体は、多少向こうの評価を上げるが、間違えれば相手の勢いを止める一手。この手に対して来たのは、6六角打。
(来た!素晴らしい。)
勢いを止めた。行ける、勝てる。強欲は魔力。
(予想通りだ。アイツら中々良い線を行っている。相手の傾向を読めというのは俺もやることだが…研究会という戯れにしか見えない行動も本当は意味のある行為なのかもな。)
孤独男にとって誰かと一緒に何かをするという機会は無かった。
(そういえば…友達が欲しいような顔をしていたとかなんとか…もしかして本当にそうだったのか?昔の俺は…そんなものを欲しがっていたのか…?)
ダメだ。今はそんなこと考える時間じゃない。目の前の盤面に集中しないで何がプロ棋士だ。
55手目、2六飛。何気ない一手だが、同じことをしていた。マインドコントロール、相手を操る一手だ。相手の読みを予想して先手を打つのは良くあるが、相手の性格まで読んで指すのは簡単なことではない。
56手目の8六飛を見て河津は勝ちを確信した。当然向こうは何が起きているかわからない。操られている人が操られていると実感できないのと同じだ。
ここからは畳み掛けである。つまり組織に死刑宣告である。
マインドコントロールから解放されたのは割と直ぐであったが、その瞬間後悔という感情が体を支配した。春は出会いと別れの季節というが、自分は組織と別れなければならないというのか。
次第にやめてくれと心の中で呟くようになる。あの時持将棋のタイミングで引き分けにしていればと自分の心は病んでいく。相手は無慈悲にも最善手を指し続ける。高谷が小野寺を刺し殺さなかったことから恐らく自分が犯人と伝えているだろう。もうプロ棋士では居られない。その事実に段々と目の前が真っ暗になる。
77手目、8二飛打。これが組織が最後に見た一手となった。自分の手で組織に死刑を告げる。今までとは違う非常に重い投了の声。会長自らするのだから残酷なものである。夢は潰えた。
連盟は歓喜の声を上げた。ざまぁみろという味谷に勝ったことを素直に喜ぶ小野寺、そして安堵する村山や新庄。その中浮かない顔をしていたのは連盟会長であった。
「君は完璧に孤高の存在と考えていたのですが、どうも私には誰かの入れ知恵が入っていたようにしか見えませんでした。そっちでいう養成機関とか育成機関で勉強でもされたのでしょうか?」
「連盟を守るためとかなんとか言ってあの辺が俺に戦法を教えて来た。意味はないと思っていたんだがな。」
「そうですか。」
元気のない声、それでも見た目だけは変えずに努力していた。棒の上に立つようにフラフラしながらも、対局相手にはそれを悟られないようにする。内心は泣き出したいぐらいだ。
「やはり、人の手助けは一つ上のステップへ行ける。あの男だってそうなんだ。」
対局終わり、病室で村山はボソッと呟いた。持論は間違っていなかったと。
孤高の棋士が去り、入れ替わりに連盟会長がやってくる。連盟と組織の話ではない。二人のプロ棋士の会話だ。
「羽川さん…」
「木村。すまねぇな。」
「なんで、組織なんて作ったんですか?」
モニターの音声は切られたままだった。
「…あの頃の連盟は弱い棋士をいつまでもプロとして置いていた。俺はそれが嫌だった。本物のプロ組織を作りたいって。でも、不正ばかりしていた俺たちの方がよっぽど弱い棋士だった。彼に毒を仕込むよう指示したのは俺だ。今から警察に行くよ。
…一つ、こんな俺からお願いがある。組織にもまだ腐ってない奴がいる。高谷だ。アイツをどうにか助けてやってほしい。こんな愚かな奴と違って、アイツの瞳は本物だから。」
一人称が俺になっていた。取り繕っていた姿ではない。素の彼だった。
「…正直、連盟にも反対する人はいます。ただ、極力なんとかする。そうとしか、今は言えないです。
最後の貴方の対局、あの頃のような感じだった。連盟にいた頃の眼をしていた。不正のこと考えてなきゃ、多分貴方が勝っていたと思いますよ。」
連行される羽川の背中は何処か寂しかった。警察の指示でようやくトイレから出た高谷がその目に入れた一つの時代の終焉。最後に自分を庇ったというのを知る由はなかった。
そこに小野寺がやってきた。勝ち組の顔は清々しいものだ。
「高谷、お前のことは連盟の棋士に伝えたよ。俺は編入試験、賛成だ。連盟に来てほしい。」
「小野寺…お前…」
予想外の一手である。確かに棋士編入制度を使えば、自分も連盟の棋士になれる可能性がある。しかし、犯罪組織にいた者を何故あっさり受け入れると言うのか。
「悪い棋士じゃないってのはみんな分かってる。本当に強くなりたい為に棋士をやってるってこと。だから連盟は歓迎する。棋士編入試験、受けて欲しい。」
「我々は無職、連盟に戻るつもりもない。潔く引退しましょうか。」
「…不正に手を染めなければ良かった。」
「何、どうせ不正に手を染めない決意があれば、勝ってたさ。心の弱さで負けたということ。」
「私、ただのjkってこと?いやなんだけど。」
「お前も負けただろ。そして俺も、会長…だったあの人が指示して勝ったおこぼれだ。俺は知らされてなかったということで無罪放免だろうが、それでも負けだろうな。実質。」
「そんなぁ…」
「高谷を始末しようとしたのも事実。はぁ。もう将棋に関わることもできないだろうな。」
分岐点は何処だったのか、今思い返せば、不正をするかしないかの所だ。一つの時代を終わらせて新たな時代を始める。終止符は簡単だ。ただ始発点は難航する。
「何はともあれ、とりあえず連盟は存続!高谷君の棋士編入試験はこっちで色々やっておくよ。みんなは普段通りいつもの棋士生活に戻ってくれ。」
会長の言葉を持って、二つのグループの生き残りを懸けた戦いは幕を閉じた。
組織はここに幕を閉じた。連盟が存続した。
最後に不正なしの戦いを見せたのは、プロとしてのプライドか。万策尽きての妥協か。




