寂しそうな顔
第二局までの話です。孤独とはなんなのか。考えてみましょう。
俺の研究が足りなかった。ただそれだけだ…ならばもっと深く研究を、研究を繰り返すだけだ…。睡眠時間を確保しつつ食事を削りひたすら盤面に向き合う。プロならこれぐらい当然だ。
河津はパソコンに一日中向き合っている。朝起きてすぐに検討、もう何日も繰り返している。第二局まで時間がない。あの天才に勝つには、努力しかない。
「相手も研究はしている…俺はそれを越えなければ…勝たなければ意味がない…」
折角掴んだ切符、無駄にはできない。
向こうは何度か自分と対局をした。それらの情報を得て対策を組んでいた。対人戦の棋譜はこちらも確認済みだった。
小野寺家に味谷が来た。河津稜の対策を自分なりの意見を踏まえて持ってきたのだ。自分も対局をしている。棋譜など誰でもわかるもの、そして対局者にしかわからないもの。膨大な数のデータを一瞬に彼に受け渡す。これは時間短縮という面においてかなり重要である。
「やはり、味谷さんもこれが有効と見ますか。」
「あぁ、アイツの癖みたいなものだ。ここを突いていけ!」
天才の周りには人が集まる。孤独の戦いであるはずのプロ棋士、彼はそうではない。何故かみんなが味方なのだ。ライバルというのは自分と同レベルである場合に成立する。飛び抜ければ憧れ、また尊敬の域に達する。
「何局かあの人に負けて、それで対策が完璧になりました。俺、次も勝ちますよ。」
第二局の立会人は味谷だ。師弟関係ではないのでルール上問題はないが、少し不公平に見える人もいるだろう。
村山は河津のいた施設を発見した。施設長に会いに行く為である。あの男の過去を自分は知りたい。
「おや、お客さんですか。」
赤ちゃんを抱き抱え、施設長は外に出てきた。この人こそ、あの棋士の実質的な親なのだ。
「初めまして、村山慈聖と言います。河津稜のことで少し聞きたいことがありまして。」
「まぁ、上がっていきなさい。色々話はあるから。」
中に入ると子供たちが迎えてくれる。別にそこに孤独なんてものは無かった。普通に友達を作り、普通に過ごしている。第二の学校のようにも見えた。
「その赤ちゃんも、親に捨てられたんですか?」
村山は気になっていた赤ちゃんのことについて道中で聞くことにした。
「ん?あぁ、捨てられた…というのは間違ってはないな。君、プロ棋士だっけ。ならばよく知っている人の子供だよ。」
「よく知っている…?」
「あぁ、この子の名前は北村志恩。父親は北村駿だ。」
そう、この子はあのメンヘラ棋士、殺害された北村駿の子供だった。
「あの北村の…なるほど。」
「まぁ実際捨てたのは母親で、その母親も首を吊ったそうだが。」
本当に事情を抱えた子供たちで一つのコミュニティを形成しているのだと実感した。
「それで、河津稜のことだね、あの子は異質だったのをよく覚えているよ。」
「生い立ち、詳しく聞かせてください。」
「あぁ。あの子は、この志恩と同じ、赤ちゃんの頃から此処にいた子でね。当然彼は親の顔なんて知らないんだ。親からの唯一のプレゼントは稜という名前ぐらいなんだ。」
「何故彼は将棋を?」
「よくはわからないけど、そこにある汚れた将棋盤、あれを見て気がついたらそれに虜になっていた。彼は元々一人でいる子だったし、まぁ一人が好きというのも悪くはないと思っていたから放って置いたんだけどね。」
「なるほど、元々一人でいたというのはグループとかに入ってなかったと?」
「そうだね、当時も色んな子がグループなり作って色々遊んでたんだけど、河津だけは誰とも遊んでなかったね。そうだ、その頃の写真、どこかにあるはず…」
そう言うと施設長は本棚へ向かい、アルバムを探し出す。
「あったあった。これだ。当時の様子、分かると思うよ。」
そこに写っていたのは、まだ幼い頃、将棋に夢中になる前の河津稜の姿だった。今の誰も寄せ付けない孤高の棋士と異なり、写真の彼はどこか寂しそうな顔をしていた。
「これが…アイツなのか…」
今のように誰とも接しない性格になる前の姿、村山は直感的にそう感じた。今の性格になるまでに色々あったのは明白だった。
「写真の彼は、どこか寂しそうな、誰かと遊びたがっているような顔に見える。」
「ん?うーむ。私には見えないけどね…」
「まぁこの頃にいたわけではないので、100そうとは言えないけども、多分当時は普通に友達とか、仲間とかそう言ったものが欲しかったのかも知れない…」
「…そうか。」
そう呟くと何処か暗い表情を見せた。一人が好きだと確信していた自分を、否定された時。あの男をあの性格にしたのは自分なのではないかと酷く後悔した。
「まぁ、続きも一応話しましょう。」
先程までの口調から変わり、暗いながらも丁寧になっていた。彼への謝罪の意を込めているのか。
「彼は、将棋にのめり込み、3年の頃に大会に連れて行くことになったんです。当時あまりに一人で将棋ばかりやっているもので問題児扱いを受けていた頃です。大会に出させて挫折させようと考えました。案の定というか、彼は1回戦で敗れました。これで変人から元に戻ると思ったんですけど、そこに羽島誠という棋士がやってきたんです。」
「羽島誠…アイツの師匠か。」
「その男は河津に家に来ないかと誘いました。まぁ挫折させるつもりがかえって火をつける結果となってはいたのですが、その羽島という男が、河津を、彼を連れて行ったのです。これ以降のことはよくわかりません。その男も既に入水したと言いますし。」
村山は一通り話を聞き、家路に着くことになる。道中、あの写真が離れなかった。寂しそうな見たこともない顔を。
「孤独は本来、望んで無かったモノなのか…」
孤独というのは何か、彼は考えることにした。河津という男が何故そう呼ばれるのか、彼自身が最初は孤独を自覚していなかったという話、そもそも彼は本当に孤独なのか。
「孤独…か。」
何度も同じ言葉を繰り返すが、あの男は、どのようにして孤独へ堕ちて行ったのか。全ては彼との対局の際に役立つからであるが、このテーマは非常に重苦しい所である。
(あんまり人を怒らせない方がいいよ)
誰かが心の中で呟いた。
「そうですか…わかりました。」
木村は村山が施設に顔を出したことを聞くことになった。この時の推理は的確で、村山が河津の過去も知ることで今後の対局での参考にするという所まで読めていた。
「そこまでやる…のか。二人は似ているな。」
天才棋士小野寺渚。能ある鷹は爪を隠す。発言一つからその人の実力を確認されるのだから、大一番に取っておくのは常識なのだろう。
(まだ誰にも言ってない、とっておきの戦略があるんだよ。)
菜緒は大好きな彼の顔を見て、次の対局も勝つんだろうなぁと感じていた。
(このタイトル戦、防衛すれば俺は菜緒に結婚を求める…菜緒の返事は恐らくOKだろう。だから、俺は防衛しなければならない。菜緒といつまでも一緒でいられるように…)
次の対局は、嵐になるだろう。一人は最愛の彼女のために、もう一人は己の存在意義のために。
今でこそ孤高の存在となった男もかつては友達というものを欲しがったのです。
第一話、この話を書くにあたり読み返したのですが、あまりに酷い出来でした。名前のオンパレード…代名詞ぐらい使えるようになりましょう…すみません。
この話ではわざと孤独という言葉を多用しました。この作品のテーマの一つは孤独ですから(タイトルにもあるけど…)まぁ当然ではあるんですけども、この孤独というものの意味、それを考えるのも、純文学として一つの大事な内容なのでしょう。
この作品が純文学として位置付けているのには色々理由があるというのは過去何度か話しておりますが、一つはこの部分にあります。




