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孤独の棋士  作者: ばんえつP
龍棋編-頂点の光を掴むのは-
37/81

成り上がり

いよいよ挑戦者決定戦!勝つのはどちらか。

今年最後の大勝負!

「王棋戦以来か。あの時は花子がすまなかったな。」

「いつまでも花子が花子が五月蝿えよ。あの対局も俺が勝っている。確かに真剣勝負が出来なかったことに苛立ちはあるが、それはここでやれば良いだろうが。後悔の念を語るぐらいなら全力で来いよ。俺が捻り潰してやる。」


龍棋戦挑戦者決定戦。河津稜王棋と谷本浩司九段の対局は冬の寒さ厳しい日、青く澄み渡る空の下行われた。1年掛けて挑戦者を決めるこの戦いもいよいよクライマックスである。

東京千駄ヶ谷、対局場は朝から報道陣が詰めかける。天才棋士小野寺渚の初の防衛戦の相手がどちらになるか。世間の注目は一点集中だ。


「やっぱり谷本さんになってほしいよな」

「わかる!小野寺先生という天才棋士の相手にはやっぱり谷本先生しかないよ!」

この前まで行われていた虎王戦。二人の戦いは世間で将棋ファンを増やす良い促進剤だった。羽川騒動以降斜陽産業だったのを小野寺ブームで立て直し、その天才がタイトルを取れば他の棋士にも注目が行く。河津は対局相手が殺されたことで注目されることは無かったが、虎王戦は小野寺ファンの人も見る良いイベントだったのだ。


花子は浩司と別れ田舎に帰っていた。長年連れ添った相手がいないという虚無感から心に穴が出来たようだ。傷心の身は、偶然テレビの画面を点けてしまう。

「あなた…」

特集だ。元旦那の特集をこの身にぶつけてしまった。そしてその放送は花子にトドメを刺した。

「王棋戦以来か。あの時は花子がすまなかったな。」

何気ない一言は花子の目からハイライトを消した。生気が抜ける音がした。

「やっぱり、やっぱり、やっぱり…」


先手番は谷本に決まった。息を呑む対局が今始まる。


検討室でモニターを見つめるのは龍棋の小野寺。横には彼女の赤羽菜緒もいる。普段対局場に部外者は入らないのだが、今回はどうやら赤羽が気になっているからか、お願いを聞いてもらい入っている。

後方には味谷、村山、新庄の豪華メンバー。番外戦術の鬼味谷は素人を虐めた過去があるが、流石に溺愛している棋士の彼女には意地悪はできない。村山はただ盤面に集中し、新庄はクラシックをイヤホンで聴きながら検討を進める。


東京行ひかり506号は、新神戸駅を11時34分に出発した。現在のぞみは全車指定席シーズン。自由席を使う場合はひかりがデフォルトだ。

「やっぱり…やっぱり…やっぱり…」

1号車には新幹線の走行音と共に謎の声が入る。同じ列車に乗り合わせた神戸タイガースの八尋光は、変な声がする。とSNSにあげている。


対局は矢倉に進む。矢倉は何度か見た戦型だが、やはり奥が深いのだ。これをお互い選んだと言うことは、深層部で対局をしようということである。

「先日、谷本さんに新世界よりを教えたんですよ。この人も鉄道マニアだからと。そうしたら俄然やる気が出てきたようで。」

鉄道マニア、同類、仲間意識。それらが実力以上の結果を生むこともある。


「ここまでは互角。昼飯もまだ味がある頃合いだね。」

「プロ棋士って凄いわ。だって、味がないご飯、食べられないもん。プレッシャーとかキツそう。」

「そうだね、俺も負けてる時は味しない時あるけど、これもプロなのだろうね。」

2人の微笑ましい会話の裏で例の3人は検討を続ける。

「矢倉の直近の結果からすれば、ここは」

「いや、ここならこの手がここに合うだろ」

「味谷さんに聞いてみるか、村山。」

「アイツは確かに正当な答えを出すが、相手が指すかは別だ。性格なども全て加味して答えを出さねば結果はわからない。最善手だけが正解じゃない。」

「そうか。村山よ、谷本や河津の癖、わかるのか?」

「味谷一二三のように癖が強い棋士なら簡単なんだがな。」

「そうか、お前は河津に似ている。」

「迷惑な話だ。」

検討から喧嘩になるのも変わらない。


「まもなく、浜松です。」

13時13分、浜松到着。東京までまだあるが、大体1時間ぐらいである。

「やっぱり…やっぱり…やっぱり…」

この声は新神戸以来一度も止まったことがない。八尋が心配になり車掌へ相談したが、独り言である以上声掛けは難しいとの判断だった。仕方ないので耳栓をして寝ることを選ぶ。明日はアルクト戦が外苑で行われる。外苑記念特別大会という普段の公式戦とは違う試合の先発投手として疲れを癒さねば。


昼食明け、ここからが本番ではあるが、手は止まる。長考である。


現在28手目4三銀の場面である。ここでの長考ということはこの手に対してというよりはその先を読むという意味合いの方が強いだろう。


「支える人がいるというのは強さに直結すると思うか?」

味谷が突然質問をする。

「さぁな、と言いたいところだが、虎王戦の時は師匠の支えがかなり大きかったと分析する。」

「支える人とは限らないが、自分ならクラシックのように趣味も支えにはなると思いますね。」

「今対局している二人は、支えをしらない男と、支えを失った男だ。あのメンヘラ野郎と同じ台詞になるのが嫌で仕方ないが、支えを知らないというのは無知であり、知る者より被害は少ないと考えることができる。」

「つまり、孤独の棋士が勝つと言いたいのか?」

「まぁ最後まで話を聞け。新庄がチラッと言っていたが、支える人じゃなくても良いと言う言葉。あくまでも支える人がいることに越したことはないが、どちらもいない場合は支えるモノであっても多少は結果を左右すると考えられるんだよ。」

「つまり小野寺渚のように女がいるやつとであれば、プラス度合で負けてるが、そもそもどちらもそれがいないのだからプラス度合が少なくとも谷本の方が有利だと。」

「あぁ、彼は鉄道という大きな趣味があるし、最近クラシック狂がその良さを教えたそうだしな。」

「クラシック狂とは酷いですよ。貴族ですよ。」

支える人、精神的支柱。将棋は孤独の戦いとよく言われるが、応援してくれる人がいる分耐えられる。谷本にはファンがいるだろう。それを認知してなくとも、趣味が支えている。心の支えというモノだ。


「この場面の長考、終盤まで読む気だね。」

小野寺側もしっかりと盤面を見ていた。

「最善手はこれだけど、指さないの?」

「最善手はあくまでもその手が一番評価が高いとコンピュータが勝手に決めたものに過ぎない。対局は人の手で行われるから、時には最善よりも迷うような手を指す方が効果が高かったりするんだ。」

「恋愛みたいだね。」

「その人に合った技ってやつだね。」


(ここで長考か、このまま3五歩と来ると読んでいたが、何か他の手があるのか?それともその先、どこまで読んでいるんだ?)

河津は谷本の考えること、思考が読めなかった。この場面の長考は予想外だったのだ。


暫くして谷本が3五歩を指す。普通の手。予想していた手だが、何か引っかかる。そう感じさせるのが狙いなのかもしれないが。疑心暗鬼だ。

(この先、何があるのか。)

他のことに気を取られると人は失敗を犯す。


「番外戦術…あの男がそれを使うとは、意外なことだ。」

味谷が話す。番外戦術の鬼の前で今、あの男はそれをしている。

「まるで俺相手に角頭歩ぶつけたアイツのようだ。」


ひかり506号は東京駅に14時42分に到着した。八尋は謎の声の主が気になりながらもすぐにタクシー乗り場へ向かう。

(やっぱいる…よな。)

背後にいたのはその主。自然と早歩きになる。

(本当に何者だよ、全く)

試合前日にこれはかなりの恐怖体験だ。正直試合どころではない。

タクシーは沢山おり、八尋はすぐ野球場へタクシーを飛ばしてもらった。一方例の主は一つ後のタクシーに乗り込んだ。

「…までお願いします。」

タクシーは山手の方へ走り出した。


「14時50分か、ここまで互角。なかなかいい勝負じゃないか。」

村山が時計を確認する。もうすぐ15時だ。

現在は38手目、4一玉の場面。以下2四歩、同歩、同角、2三歩打と続く。

「そういえば味谷さんは?」

「さぁ」


「どうしたんだ?小春」

味谷は対局場の玄関前にいた。妻の小春が来ていたのだった。

「一二三、不審な人いなかった?」

「いや、来てないけど」

「そう、一応気をつけてね、今日新幹線内で危険な人がいたってつぶやきが流れてたから。」

「あぁ、わかった。とりあえずこっちにも流しとくよ。」

小春は八尋の投稿を見ていた。そして忠告に来ていたのだった。何か嫌なことが起きるのではと。


「ただいま。」

「この手にはこうじゃないか?」

「ここにこの手なら良いかもしれませんね。」

村山と新庄は検討中、割って話すのは気が引ける。仕方ないので検討に入るという形で話に割って入った。

「この手にこうなら、ここに痛い一手が来るぞ。」

「なるほど、なら村山さんの手の方が良さそうですね。」

「そうだ、さっき妻が来たんだが、不審人物を見かけたら気をつけて欲しいと忠告を受けたよ。もしかしたらここに来るかもしれないと。」

「危険人物?あのメンヘラ野郎は殺されたんだし、誰がいるって言うんだ?」

「メンヘラ…ですか…」


「お待たせしました。」

タクシーは客を降ろして再び何処かへ走り去った。

「やっぱり…やっぱり…やっぱり…」

トコトコと、ゆっくり、一歩づつ着実に、その歩みを止めることなく目標へ近づけていく。

「あなた…」


「おっと、ここは部外者以外立ち入り禁止ですよ。」

何処かから声がした。

「誰?」

「新庄伊織って言います。ここの関係者です。部外者を止めるように仰せつかりまして。何をしに来たんですか?花子さん。」

わざわざ新幹線に乗り谷本浩司の元へ来たのは、元妻花子であった。

「浩司を出してよ」

「生憎、部外者を引き合わせるわけにはいきません。」

「私はあの人のことを全て知ってるわ。それでも部外者なの?」

「離婚が成立した以上部外者で間違いありませんね。」

「それでも…」

「見苦しいですよ。美しくない。クラシックも女性も美しく合って欲しい。それが私からの願いです。」

「私が美しくないってこと…!?」

話がズレてきた所に

「いい加減にしろ、メンヘラ女!」

と怒鳴る声が聞こえた。味谷一二三である。

「誰かと思えば、味谷一二三…何の用よ!」

「こっちの台詞だな。俺ら夫婦に迷惑かけて、連盟にまで迷惑を掛けるのか?もう谷本浩司はお前の手の中にはいない。操り人形から脱した。もうお前の言いなりにはならないぞ。」

この言葉の間に新庄へ警察への通報を指示した。

5分もしないで警察が登場。花子は呆気なく逮捕されていった。

「全く、ろくでもない女だな。まぁアレを見ていると小春がいかに良い女性か実感するぜ。」

「世の花子さんに謝って欲しいですね。」

もう操り人形じゃない。谷本浩司は変わったのだ。


(何やら外が騒がしいですね。対局をしているのですが。)

このような事案が発生しているのを知らない対局者は何か騒いでいる程度の認識だった。

相手はそもそも盤面に集中しているのか、気がついてすらいない。


「全く、怖いモノだ。女というのは。」

「女が怖いというより、あの女が怖いんだがな。村山にはわからないか?」

「女に関わると碌なことがない。味谷は兎も角、新庄。お前は心当たりがあるんじゃないか?」

突然の飛び火、新庄はかつて内弟子の女の子がいた。その女は村山の弟弟子への対応などから、破門にされている。

「あの子供のことはもう忘れたい。」

トラウマのように、心に突き刺さっていた。

男と女がそこに現れる時、それぞれに思惑が生まれる。よくサークルクラッシャーだの言われるモノだが、それは邪な考えが現れやすいからと考えるのが基本である。


「55手目は6八角か。まだまだ互角だ。」

この時点でお互い互角。将棋は終盤のゲームとよく言うが、たまには序盤から動くこともある。このような膠着した対局は、見ていてつまらないものだ。新規野球ファンが投手戦を観るようなものと言えばわかる人もいるだろう。

「まだ前奏、これからサビが来る。」

「お互い隙を見せたら終わりと解っているから、お互い手が出せないんだよ。」


検討室も段々と怠いムードへ変わっていく。検討という行為が行き詰まることもあった。

「小野寺の奴は楽しそうだな。これがデートなんだもんな。そういう奴は強くなれないってのが俺の持論だが。」

村山が嫌なものを見るような目で小野寺を凝視める。

「村山、時には愛する大事な人がいた方がプラスに動くこともあるんだぞ。まぁ新庄は聞きたくない話だろうが。」

小春がいる味谷は妻を持つことを悪いこととは微塵も思っていない。しかし、谷本含めここには否定派が多くいる。


「もう外も暗い、こりゃいつ終わるかわからんなぁ。」

気がつけば外は真っ暗だ。既に家路に着く者もいるが、それでも目の前の盤面に集中するのは、プロという自覚を持っているからだ。


70手目、3一角。河津はポーカーフェイス。焦る様子は見られない。

71手目、2二歩打、以下7六歩打、2一歩成、5三角、8八銀。

「今夜は微妙な戦いになる。」

味谷のこの発言、微妙というのは少しの差で決まるということである。

76手目、4四銀、以下2二と、4三金、7五歩打、同角、7七歩打、6六角、7六歩、3九角成、8六角。ここでお互い時間を使い果たす。続いて86手目の4九馬から以下2六飛、5一玉、2九飛、5八馬と続く。

「ほら、段々とペースは河津になった。どこでとは言いにくいが、間違いなく変わった。」

小野寺の言った通りだ。谷本の顔から焦りが見え始める。


その時、谷本は直感的に察した。努力が化け物を生み出すことを。

この時、彼の頭の中では、プロデビュー当時のあの男の姿があった。当時会長として新たに棋士になる二人をお迎えした。様々な手続きを行い、プロ棋士として歩む姿を間近で見ている。当時の彼は、平凡な棋士という立ち位置で偶然リーグを勝ち抜いた、偶然その年だけ強い男という印象だった。ただ施設育ちの棋士は初だったのは覚えている。

そう、その平凡な棋士は仲間がいないからこそ己を限界まで鍛え上げ、最強の証、タイトルホルダーとなって今ここで対峙している。

あの時もそうだったが、やはりこの男は努力の天才だ。人付き合いを失った代わりにプロ棋士として大事なモノを得ているんだ。小野寺のような神童もいれば、この男のような努力でたたき上げた者もいる。これだから将棋はやめられない。


「たたき上げと天才。見てみたいな。」

そう呟いて谷本は投了した。潔く散ろう。彼の信念である。

114手、5八角成がその姿を見つめていた。


「決まったか。どうだ村山、あの男は渚君を倒せると思うか?」

「知るか、勝つも負けるも当人次第だろ。」

「新世界…観られずか。残念」


「渚くん、相手、決まったね。なんか凄く怖い人、大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ。どんな棋士でも俺は勝つ。だって菜緒が喜ぶ姿が観たいから。成り上がりには負けないよ。」


成り上がりには悪いイメージがある。思えばタイトルホルダーになったのも、相手が殺されたからだ。たたき上げでなったというより、成り上がりでなったと言った方がしっくりくる。世間では成り上がりと天才の対局ということで小野寺ファンが騒いでいた。


感想戦は行われないだろう。記者がやってきて話を聞くが、谷本にばかりマイクが向けられている。その棒一つ一つに丁寧に対応をする。


二人が対局室から出てきた。片方は清々しい顔で、もう片方は決意を固めた顔で。


「おい、河津。俺の理論じゃ愛する者は棋士を弱くするという考えだ。俺以上に愛する者がいないお前なら、良い結果が生まれると期待しているよ。」

「負けた奴が何言っても虚しいものだな。言われなくとも俺は勝つ。負けるつもりはない。」

孤独の棋士をご覧いただきありがとうございます。

令和6年、7月の末日より始まった当作品は、高校生の頃に構想があった作品の完成系を作ろうという想いで始まりました。何年もの時を経て、この作品を世に出しています。

振り返れば多くの話を書きました。最初こそプロトタイプからほぼ流用でしたが、王棋戦辺りからは完全新作です。どう言った流れにするかは前もってある程度書いておき、そこに肉付けしていくという方法ですが、たまに修正したりしています。意外性をつけるためです。北村の話や今回の話も当初の予定とは異なっています。

初期構想からいた河津、谷本、木村、味谷、村山とここに書くタイミングで生まれた新庄、萩原、澤本など多くのキャラが頑張って動くことで、この作品は出来ています。

初期の頃にこの作品は純文学だと言ったと思います。段々とヒューマンドラマになってきているように見えますが、個人的にこの作品がヒューマンドラマになるのは主人公、河津が孤独を脱した時でしょう。そう考えています。まだこの話のタイトルが「成り上がり」である以上、孤独を脱することは無理でしょう。

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