因縁
いよいよ準決勝です。
「大丈夫そうだな、事件耐性がついてやがる。」
今日の検討室は豪華である。村山、小野寺、新庄、赤島、藤井。かなりの盛り上がりである。
「始まるのか、因縁の戦いが…」
王棋戦の時もそうだった。この二人の対局は警察沙汰にならないか心配である。
「警察沙汰と言えば、河津は女性棋士殺人事件の第一発見者になってたな。」
「同じ女性棋士が犯人で捕まった事件ですな、全くLSは何をやってんだか」
藤井と新庄が話をしている。
「LSって何ですか?」
小野寺が質問をする。
「LSってのは女性棋士の組織の名前だよ。そういや将棋界、九段が少ないって話がよく出るだろう?」
「それって九段になるのが大変だからじゃないんですか?」
「それもあるんだが、元々はもっと九段の棋士も多かったんだよ。今引退含め130名ほどの棋士がいるが、もっと多かったんだよ。」
「と言いますと…?」
「九段がごっそり抜けたのは羽川善晴九段が指揮して新しい将棋組織を立ち上げたからなんだ。当時8つあったタイトル戦も半分は向こうに取られたんだよ。」
小野寺などが入る前のことである。当時中学生棋士は4人おり、味谷、谷本、羽川、渡部である。この頃の将棋界は完璧な斜陽産業であり、なんとかしないと行けないという気持ちで一杯だった。コンピュータと対戦してみたり、ファンイベントを実施したりと、ありとあらゆる策を立てていた。米永が亡くなり谷本が会長になって少し経った頃、羽川が突如新団体を設立、多くの九段棋士と共に移籍したのである。谷本は当然戻ってくるようにお願いをしたが、聞き入れられることはなく、結果として連盟と組織として分かれることとなった。LSはその羽川の作った組織であり、女性の棋士を増やす為に作られたものである。
「向こうはこっちを認めていない。元々こっちにいたはずなのにな。」
藤井の言う通りで、向こうの棋士たちは連盟所属棋士を棋士として認めていない。当然ながら交流もないのだ。育成機関や養成機関は連盟のモノであり、四段は連盟所属棋士となるが、向こうは向こうで育成機関のようなものを作っているようだ。
「俺も実は羽川に誘われてたんだ。組織に行って革命を起こそうって。ただ俺は断ったよ。」
「藤井さん、何でですか?」
「木村が連盟に残ったからだよ。あの優しいおじさんを放っておいて新組織に行くほど俺は冷徹じゃないさ。」
「羽川は当時連盟にとっては稼ぎ柱だった。向こうで今はタイトル99期とか会長とか色々やってるようだが、こっちにいた時には全冠制覇を成し遂げている。その時の相手が谷本だ。」
村山が解説を始める。羽川善晴という男がいかに偉大だったかを。
「今でこそ連盟に小野寺渚、お前が入ったことでこっちの人気も上がっているが、お前が来るまでは本当に向こうにやられっぱなしだったんだぞ」
「向こうは今頃、LSの事件の話で棋士総会開いてるようですね。北村事件の時のような感じでしょう。なお第一発見者がよりにもよって連盟の人だったのも向こうは問題視しているようですが」
赤島が話す通り、向こうでは今頃棋士総会が開かれている。松岡も向こうで説明しているだろう。
対局開始前にかなり胃もたれする話が続いてしまった。みんなの気分を変えるため、小野寺が今回の対局の戦型予想を始めた。
「味谷さんは何で行くでしょうか…?」
振り駒の結果、味谷の先手に決まった。
定刻になり、味谷は7六歩と指す。後手の河津は8四歩である。
「前回は角頭歩を仕掛けたわけだが、今回はどうするか。」
「村山さん、敢えてど定番で行くんじゃないですか?」
「赤島、確かにわかる気はするぞ。なんか今日は意表を突くことはなさそうだ。」
3手目は6八銀、以下3四歩、7七銀、6二銀、2六歩、4二銀、4八銀、5四歩、7八金、3二金と進む。
「しかし、なぜ羽川善晴は新団体なんて作ったんでしょうかね。」
「それがよくわからないんだよ、表向きは将棋革命を起こすためなんて言ってたけど、そもそも将棋革命って何?って話だし。」
新庄も藤井も羽川の新団体設立は謎が残ると話す。
昼食休憩の時間、いつも通りに事は進む。現局面、38手目、7三桂まで進んでいる。
「ここまで特に違和感なし。ですね。番外戦術の鬼が普通の対局をしている。」
赤島が話すように、ここまで味谷の番外戦術は一切見られない。
「まぁ見てろ、ここからアイツは変なことをするさ。」
昼食休憩は午後1時までである。それまで記録係も昼食を取っている。
「よいしょ。」
現在の時刻は12時50分。休憩終了まで残り10分である。
「では」
「は?嘘だろ?」
村山が声をあげた。そしてすぐに時計を確認する。
「え?まだですよね?」
赤島などその場に居た若手も続く
「ルール的に良いんですか?」
と聞いた者もいた。
39手目6五歩は12時50分、休憩時間中に指された。記録係は困惑し、すぐに職員に相談する。その職員もまた困惑していた。そこへ村山がやってきて対応を伝える。
「ルール的には問題ないが、普通はしない。味谷一二三の番外戦術、此処にありだな。」
藤井の言う通り彼の行動はルール違反ではない。ただマナーという面では違反としても良いのだろう。
55分に河津が戻ると盤面が進んでいることに気づく。
「そうか、それで俺の心を掻き乱そうって言うのか。」
一言呟き午後1時を待つ。休憩明けすぐに指す為に。
「休憩が終了しま…」
記録係が発した言葉は、最後を駒音に掻き消された。40手目、5三角。
「面白い、お互い頑固なタイプだ。譲れないモノがあるんだ。」
以下4六銀、6四歩、5五歩、同歩、同銀、6五桂、6六銀、6三銀、3七桂、8五歩と続く。
「この手で確信した。味谷アイツは負ける。」
「終盤の鬼よ、何故そう言い切れるんだ?」
「既にアイツの中で終局まで読んでるんだよ。」
「嘘だろ?」
「嘘じゃないさ。俺も読めた。恐らく小野寺も読んでいるはずだ。」
「そうなのか?」
「まぁ僕も読めてますよ。藤井さん。」
村山と小野寺は終局まで見えたと言う。
「でも見ろよ、ソフトは味谷優勢だぞ?」
新庄が話す。確かにソフトは味谷へ振っている。
「今指した手、後々痛いことになるんだ。先手にとってな。」
「51手目は5四歩打、次はきっと同銀。」
小野寺の予想通り同銀であった。
53手目、同銀、54手目、同金、55手目6三銀打。
対局室から声がする。
「お前の負けだよ、俺の優勢だってのが判らない愚か者が。検討室に渚君がいるから控えめにしてやるが、お前はここまでだ。出直せ素人が。」
その言葉の返答は56手目、4三銀打だった。
「味谷さん、貴方の負けです。僕のことを気にかけてくださるのはとても嬉しいことですが、今日は貴方に勝ち目はありません。」
小野寺が哀しそうな目でモニターを見る。
「わかっただろ。アイツは俺が倒さないといけないんだ。」
彼の表情が曇っていくのが画面越しでもわかった。何故この手が、何故ここで役に立つのか。判らないから怖い。判らないということが怖い。
110手までで味谷の投了。河津が決勝へ駒を進めた。
外へ出るとある男が居た。
「河津稜だな?」
「誰だてめぇ」
「羽川善晴。まぁ知らないだろうな。日本国内に唯一存在する将棋組織、そのトップだ。」
「どうでも良いが、お前将棋出来るのか?」
「あぁ、出来るさ。」
「なら俺と平手で勝負しろ。お前が負けたら二度とその面見せんな」
そのやりとりは村山も確認していた。
「まずいことになったな…」
河津が勝ちました。決勝進出です。
今回、現実とは異なり、将棋界の分裂という話が出てきました。現在河津らがいるのは元々ある連盟になります。一方今回登場した羽川が作ったのが新しい連盟、組織になります。番外編で殺害された女性棋士はLSという羽川の組織の傘下の所属で、組織は連盟を認めていません。また連盟も組織を認めていません。少し違うかもですが、イメージとしては連盟が落語協会で組織が五代目圓楽一門会や落語立川流のようなものです。
ちなみに女性棋士は現実でいう女流棋士のことです。実はこちらの方では現実でも一時期色々あったようなのですが、それが棋士の間で起きているようなものです。
羽川は、そのタイトル実績から見て元ネタはあの人です。
九段が少なく味谷が苦労した理由付けも今回させて頂きました。
【年末特別】毎日投稿!20時に投稿します。頑張ります。




